ⅩⅢ 唯一無二のエアゲープニス

 他人の不可思議には関わるな。


 俺はそう警告を受けた。


 他人の人生に手を出すのにはあまりにも重すぎるから、と。


 なにが重いのか、というのは言わずもがな一人の人間に対してだ。たかだか一本の人生がその偉大な線を捻じ曲げることはその人に対する負担が重すぎる。変えようとした本人がひん曲がって捻くれてしまう。通常ではないこの世界であればその影響は計り知れない。そういうことだと俺は考えている。


 だが、今回の不可思議は誰かの物ではない。かといって俺だけの物でもないが、俺の身に起きた不可思議であることは間違いない。俺は以前俺の身に起きた時間と似た時間を過ごしている。世界を繰り返している。


 タイムリープが起きているのだと確信したのは二度目の自己紹介を終え、その後の自習時間が過ぎた次の時間を迎えるときだった。きらりからは相変わらず同じような説明を捲し立てられるように受け、他のメンバーも自己宣言をきっちり行った。その言葉に多少の差異はあれども大きな変更点はない。出来事は繰り返されている。同じだ。


 俺は驚くことはなく、ただただ吐き出したくなるため息に呑まれていた。これからどうすればいいのか分からなくて、途方に暮れていた。そんな感じだった。


 次の科目は体育。着替えて外に集合とのことだった。無論、体操着を用意できていない俺は見学である。


「よーい、どんっ」


 課題は千五百メートル。見学でよかったと心の底から思ったのは体力を使うことだけでなく、一人で考えることのできる時間が得られたことの方である。友人たちが息を切らしている姿を体育座りしながら見て俺は考える。俺はどうしようかと考える。この時間の存在さえ疑わしいんだけどね。


「……さっきまでいた世界はどうなるんだろ」


 俺がいない状態で、つまりは忽然と姿を消したことになるのか。それとも、そもそも俺など初めから居ない設定になるのか。あの世界自体が幻として語るだけ世界で、存在しなかったことにされてしまうのか。


 俺の統一された昔からのルーティン化された思考パターンが続く。


 この世界ではこのようなことが頻発するのだろうか。そうであれば、いま、今まさにこの瞬間過ごしている俺の行動は無意味なのだろうか。いつか戻されるのであれば俺が必死に生きることは無力化するのだろうか。生まれて、生きて、死んでまた何かにうまれる。それは突然でいつ起こるのか予測できない。だが世界はそれを知っている。運命の終わりを知っている。知らないのは俺だけ。何も知らないでバカみたいに生きているのだ。七月の頭には俺のこの世界はリセットされて似たようなできごとを繰り返すのが運命であるのなら、俺が選ぶことのできる正解は何だ。


 正解こたえのない選択肢しかないのなら、俺はどうやって生きればいい。


 時間は相対的である。


 アインシュタインの一般相対性理論ではそうであるらしい。電車の中で起きている出来事を電車の外から見ている人と電車の中で見ている人にとっては異なる速度、時間に見えるとか。大学でよく理解しないまま講義で聞いたことを鵜呑みにすればそうだったはずだ。他に挙げられていた例としては宇宙船の浦島効果とかだった気がする。


 人間は根源的に時間的存在である。


 ドイツの哲学者ハイデッガーの『存在と時間』のとある言葉。噛み砕いて柔らかく言えば「人間は時間があることを前提にして存在しており、行動している」ということ。まさに今の俺はこのような存在論を考えるのにふさわしい状況にいる。だが考えたところで俺の存在が定まるわけではない。


 今のこの世界を二週目とするのであれば、俺は一週目の記憶を保持している。それ以前の記憶はない。だから俺がこのような現象を繰り返し行っているのかどうかは現状不明だ。このまま七月一日をまた迎えれば、俺は引き戻されてしまうのか。それとも行動が変われば世界が変わり、それ以降の、七月一日以降が存在する世界へ行くことができるのだろうか。


 すべての要素を数値化できれば運命は一つに確定する。


 哲学者ラプラスの運命論では、一時の世界で起こった現象と物質、人間の行動や心理、精神状態に至るまで世界に存在するすべての要素を数値化し、それを元に計算できたとすると一時の次の時間に起こる世界と運命はただ一つに定まるという物だ。この計算する存在を悪魔と呼び、ラブラスの悪魔と称されるこれも哲学では有名な考え方らしい。


 つまり運命はただ一つで、それを変えることはできない。どれだけ行動を変えようとそれと同じように世界が応対して変化し、同じ数値を叩きだすように要素を作り変える。運命は常に一つに定まる。ここで右に曲がれば、左に転がれば、まっすぐ走りだせば。無限に広がっているように見える世界はその遥か先で一つに収束している。その先で誰かに出会うのであれば、必ず鉢合わすように心理や世界状況は決定づけられる。俺に与えられていたのは虚栄的権利でしかなく、仮想に過ぎない自由だけ。知らぬが仏。世間知らずの高枕。幸せ者の傀儡道化。生き方も、生きる世界も選べない。決定づけられた過去によって今の自分が作りあげられているのだとすれば、今の自分は必然だ。他の自分である可能性などこの世界にはなく、あるとすれば別の世界にしかない。この世界ではこれが運命で、これが世界だ。


 だとしたら、俺に起こっているこの現象も必然だということになる。世界の策略か、神の気まぐれかそれとも他の何かなのかについてはっきりとした判別は付かないが、どこかに必ず結末はあるはずだ。俺は未だにそれを知らないだけ。


「……きらりたちとであったことも、そういうことなのかな……」


 あやめは現実世界とこの世界を区別していた。担任の教師はもう一度繰り返すのではなく今しかない時間を謳歌して、と言っていた。


 その通り。俺の人生は複数あるわけではない。ただ一つだけだ。この世界にいる俺の生きる道はただ一つ。これも必然ながら寄り道のような感覚なのだろう。そう考えれば自ずと俺のすべきことが分かってきた。真っ先に確認すべきは寄り道前の世界だ。俺はこの世界に来る前の世界での出来事を懐かしい日記をめくり直しながら考え始めた。まだ見えない起こりうる未来を見るために。

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