Ⅻ 並列遡行のアウゲンブリック

 一年一組に課された課題は全部で十枚ほどのプリント。三分の一が数学で、三分の一が国語。残りはその他教科。学年ごとに別の問題が作成されており、提出は教壇に置かれた箱にホチキス留で各々提出。


 懐かしさを掘り起こしながら午前中にすべてのプリントを解き終えた俺は昼食のクリームパンをムシャムシャ食べていた。このクリームパンはどちらかというとコッペパンであり、その最大の特徴と長所である長さをまざまざと見せつけるように食べていた。誰に見せつけているのかって? それはご存知、好奇心の権化あやめ様である。


「くそぉ~。なんでそんなにすぐ終わるんだよ」

「いっがいやったごとあるがらな。モグモグ。特に数学とか懐かしいわ。因数分解と二次関数ね。必死にやった覚えがあったよ、うん、モグ、ほんと」


 俺は食べながらしゃべる。行儀悪いがそのぶん悪意は伝わりやすい。


「はぁーあ」


 どうした? 


「いやいや、それはもうだめですよ。もう反則ですよ。だって、仮にも大学生ですよ」


「ほ(そ)うだな」


「そんなのできて当然じゃないですか。っていうかなんで学校来てるんですか、私をバカにするためですか。そうですか。寮で一生味噌汁でも作っていればいいんですよ」


 ひどい言われようだな。こんどは飲み込んでからしゃべる。


「教科書見てもいいんだから難しくないだろ。先生もテスト勉強にもなるから頑張って解いてください、って言っていたじゃないか。ほら、ひるでもたべて休憩したら?」

「……食べるっ!」


 俺の手渡したジャムコッペパンを感情だけで奪い取り、そしてむしゃむしゃ食べ始めた。俺はあやめのプリントを覗き見たのだが、一問ごとに問題が空白であった。数学のプリントは基礎+応用なので見事に応用問題をすっ飛ばしていることになる。英語も国語も穴だらけ。仕方がない。これも同級生の好だ。俺は手を差し伸ばす。


「わからないところがあるのなら、少し教えようか?」

「……下心全開の家庭教師のような考えしか持ち合わせずに上から見下して下からぐるりと舐めまわすような変態紳士を名乗るチェリーボーイから教わることなんていうのはほんとうに例え天変地異が起ころうとも何一つありません!」


 あやめは口元にジャムをつけた顔で俺を睨み、人差し指一本向けながら一息でこの文言を唱えた。俺は全力で拒否された。


「そうかい」


 それを一度で受け入れた俺は、所持していたポケットティッシュでジャムを拭ってやった。


「お? ジャムってる?」

「お前は自動小銃か。どうした? 約款排出不良か? 俺がみてやろうか?」

「……おんなたらしはどっかいけです!」


 どうしたことだろう。ここまで嫌われるようなことを何かしたか。覚えはあるか。覚えはないが心当たりならある。


 昨日の出来事だ。


 やはり女子の部屋に寝泊まったという行為そのものが良くない。週刊誌やテレビのワイドショーであれば、ほらきたとばかりに毎日のように報道し、その詳細な細部までを再現しようとするだろう。よかった。マスコミにばれてなくてよかった……。一応成人している身であり、未成年淫行だとか言われかねない状況である。軽率な行動が不本意な噂を流させたのだ。人のうわさも七十五日。つまり一つ季節が過ぎればいつの間にか消えてなくなるのだ。きっと夏休みの始まる八月になれば学生の頭は海や花火でいっぱいになるのだからそれまで待てばいい。そう願いたい。


 俺はそれから男子の進捗具合に口を出して解答への誘導をしたり、クラスで一人だけ独りを貫く少女に声を掛けてみたりしたが、どれも反応は芳しくなかった。


「佐倉さん……だよね。どう? 終わりそう?」

「あなたは終わったの」

「うん、まあね」

「そう」


 ここは退散した方が良さそうだと、素直に感じた。転校以来どうにも彼女とは話題を持続させられない。彼女が寮生活を拒み、一人で暮らしているというのは聞いているのだが、そこまで頑なに志を貫くのはよほどの覚悟があるのだと俺は勝手に思っていた。俺もきらりに話しかけられなければこのような態度を取っていたかもしれない。ゆっくりと話せればそれでいいと思っていた。


「七夕作るの」


 疑問符の掛けた抑揚のない話し方は一瞬それが俺に対する問であることを忘れさせる。


「ああ。他にやることもないからそのつもりだけど」

「そう」


 佐倉ゆりは、彼女はそれだけ言うと教科書を開くだけ開いて真面目にプリントに取り組んでいた。目測では七割以上終えているように見えた。


 昼食も課題も終えた俺は必死に教科書とにらみ合っているクラスメイトを残して向かいの教室へ向かうことにした。七夕の装飾づくりはこちらで作業が進められているとのことだったからだ。ドアノックして入る。これは女子率の高い環境で身に付いた慣習だ。


 コンコン。


「はい?」

「入りまーす」

「あ、諦くん。いえーい」


 先客としていたのはきらり。


「こんにちは、黒羽根君。プリントはもう終わったの?」


 それとすずね先輩だ。


「ええ。現役の高校生にはとても敵いませんが、それでも昔の勘を思い出しつつあります」

「……私は終わってないけどねー♪」

「そうなのか? だったら戻って――」

「りらさんは実行委員なんですよ。七夕の実行委員さん」


 そうかそうか。つまり、この祭りが例年どのように行われているのかを一番知っている、ということか。指示もきらりに仰げばいいのかな。


「そしたら、おれはまず何から始めればいい?」

「諦くん、仙台の七夕まつりって知ってる?」

「ああ」


 それなら一度行ったことがある。大きな吹き流しが仙台のアーケードに張り巡らされた竹から吊るされているやつだ。生前祖父が、俺を肩車して連れていってくれたことを覚えている。


「ここではそれを再現すると思ってくれたら分かりやすいかな。そこにプリントがあるから詳しくは見てほしいんだけど、飾りは全部で七つ作ってほしいんだ」

「七つ?」


 俺はほとんどの机と椅子が後ろに片づけられている教室に取り残された机の上にある箱からプリントを取る。ホチキス留にはきらりの言った通り七つの飾りの作り方が書かれていた。大きな吹き流しは毎年使いまわすそうなので、実質作業は六種類。


「吹き流し、巾着、投網、屑籠、千羽鶴、紙衣、短冊の七種類ね。一部去年のを使うから作らなくても大丈夫。最後は竹に吊るすからね。男手期待してるよっ」


 七夕といえば竹に短冊だけ飾りつけて願い事をお願いするのが通例であるが、仙台の七夕は青竹を横にして一番上にくす玉、一番下にイカの足のような吹き流し、その間に他の飾りが飾られる。確か七日からではなく、六日にはすでに祭りが行われていた覚えがある。


「そう! その通りだよ諦くん。よく知ってるね。仙台の七夕祭りは六日から始めるんだよ、よく知らないけど」


 俺もそこについては地元民ではないので見聞は深くない。だが、伊達政宗がなにか関わっているのでは? と素人考えではあるが、歴史を考察してしまう。今度調べてみよう。それはそうと、


「きらりって仙台出身なのか?」

「うん。そうなんだ」



 きらりはそう答えた。



 俺はこの言葉に懐かしさを感じた。



 その懐かしさはとても強い既視感で、刹那だが俺の視界を揺らした。



「みんなが私の我儘に付き合ってくれて、学校側もそれなら、って大きな竹と吹き流しを買ってくれたの。私が来て二年目だよ。だから最初の七夕はとても寂しかった」


 俺は歯を食いしばって正気を保つ。そして問う。完全に俺の言葉ではない質問で。


「きらりがここに来たのは平成何年だ」

「そういうのは、だめかな。個人的なことだし、プライベートっていうの?」

「平成二十三年じゃあ、ないのか。西暦、二千十一年。日本では富士山が活動を再開したことで慌てふためいていた、あの年だ」


 きらりは座り込んで作業していたものを放り出し、立ち上がった。これまでにない真剣な顔で俺のことを見た。すずねさんが何か声を掛けたようだったが、それは俺たちに届かなかった。いや、俺にだけ届かなかったのかもしれない。


 俺はリープした。結果から言えばそうなる。


 俺が今まで見ていた絵は気が付いたら誰が持っていってしまい、その後ろにある絵が俺には見えている。言葉で頑張って説明するならそういう状況、現象が起きていた。申し訳ないが俺にはここまでしか言うことができない。語彙不足を嘆くばかりだ。


 きらりは俺の額に触れたことはたしかにこの体が覚えているのだが、気が付けば目の前に広がるのは一年一組のメンバーが座っている教室。俺は教壇に立ち、隣にいる担任の先生はこんなことを言いだした。


「それじゃあ、黒羽根君。自己紹介をお願いします」


 俺は転校初日の朝にいた。不可思議の始まり、スタート地点に戻されていたのだ。


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