Drittens Kapitel § Sternenfest §

Ⅺ 噂話のモルゲンインストラクション

 それは刺激を受けたオジギソウが二度と頭を上げないのでは? と思うほど晴天なのに曇天気分な朝だった。俺はいつも通り調理担当としての任に着いており、味噌汁からコトコト作り始めていた。向かいキッチンからリビングに流れつつあったコーヒーの匂いが最高潮に達したころ、時刻は六時三十分を告げた。それでも朝はまだ薄く、小鳥がさえずりそうである。味噌がいい具合に溶けた鍋の中に素早く切り刻んだネギと豆腐を投入する。ブラインドタッチのような包丁音が途切れ、材料が全て鍋に入ったらあとはそのまま。コーヒービーカーからカップに二杯注ぎ、両手に持ってソファに向かう。


「はい、すずねさん。コーヒー、ブラックでしたよね」

「うん。ありがとう」

「いえいえ」


 赤嶺すずねはいつも早起きだ。少なくとも俺が朝食担当になったこの数日間は一番に起きている。早起きは彼女の生活サイクルの一部なのであろう。以前は彼女が珈琲メイカーのボタンを押していたのだが、どうせならと俺がその担当も引き受けると進言した。俺も朝はブラックが欲しいからね。これは暑い夏でも寒い冬でも変わらない。


 俺もコーヒーを口につける。苦みと濃さが実に俺好みなのだが、一向にその種類を教えてくれない。指示された豆の袋は一種類なのだが、紙袋に包まれているだけでどこにも産地や品種は書かれていない。珈琲をさほど飲み比べたこともなく、特別詳しくない一介の元大学生にとって味や香りだけで当てるのは困難である。一体なんだろうね、これ。イブレンドかな?


 そこでトースターが鳴った。彼女のパンが焼けたのだ。すずねさんに早めにご飯が欲しいと言われたが、まだご飯が炊けていなかったので代わりにトーストを焼くことにしたのである。香ばしい匂いが俺の食欲まで掻き立てる。半分に切って皿に盛り、バターとジャムを用意。テーブルへ運んでいく。


 それにしてもすずねさん、今日は飛び切り早かった。俺は六時前に起きたのだが、それより前に起きていた。この珈琲もすでに二杯目である。何か用事でもあるのかな? すずね先輩は少なくとも朝から補修を受けるような学力ではないと思う。


 鍋が音を立て始めたので、ニュース番組をテレビでザッピングしている彼女から思考を切り替えて料理に戻る。弱火で掛けていた味噌汁はオーケイ。完成だ。たべるときにまた温めればいい。そろそろ他の皆も起きてくる時間だろうし、おかずでも作り始めますかね。


「おはよー」

「おはよ」

「うーっす」


 噂をすればきらり、あやめ、白城の順に起きてきた。時刻はすでに七時過ぎ。ゆっくりしすぎたか。


「おはよう。そこにコーヒーがあるから、欲しい人は各自で注いでくれ。野菜ジュースとオレンジは冷蔵庫入ってるぞ。それとあやめ、お前はまだパジャマだ。早く着替えてこい」


 寮生活とはいえ、人前にパジャマ姿をよく見せられるなと俺は感心する。あやめはきらりに連れられて眠気眼の猫背姿で部屋に戻っていく。


 ソーセージとスクランブルエッグを作り終えた頃には全員が集合。既に半分以上の料理は完成してそれぞれが食している。残り半分の味噌汁を温めて盛り付け、城崎にはこんでもらおうとしていたところだった。


「……なあ、昨日はどうだったんだ?」

「昨日?」

「……声がでかいんだよ。ほら、そのあれだ。……お前、きらりたちと同じ部屋だったろ?」

「ああ。そうだよ」


 俺はサクサクと盛り付けながら答える。


「……どうだったんだよ。その、何かやったのか?」

「何かって?」

「……だから、そういうことだよ」


 俺は手が止まってしまった。なんだこいつは朝っぱらから。いったい何の話だ。


「ちょっと良くわからないな。何が聞きたいのか、もうちょっと具体的に」

「……………キ、キスとか。それ以上とか」

「? ああ、そういうことか。そんなことか。安心していいぜ。残念ながら俺のラブコメは進展していない。そういうのはなかったからお前の想像は全てご破算だ。安心したか? 弄るネタがなくなって落胆したか?」

「……ほ、ほんとうか?」

「なんだよ。信頼してないのかよ。あやめにでも聞いてみたらいいさ。同じ部屋に居たんだ。があったなら録画ぐらいしているだろうよ」


 何ならそれを期待して隠しカメラが部屋中に設置されていたかもしれない。もしそうだったら、それはそれでこまるなー。きらりとではないが、あやめとは少しあったからなー。ご褒美貰ったからなー。なんて言い訳しようかなー。


「そうか。それならいいんだ」

「……城崎はきらりのことが好きなのか?」

「な、なんでそうなる!」

「声がでかいぞー。誰かに聞こえるぞー」

「うるさい。お前には関係ない!」


 彼は態度と意地はでかいくせに心は繊細な人間だということを俺は理解した。可愛いところあるじゃないか、と考えていたら彼はこんなことを言いだした。




 それは正直、俺には笑えない話だった。




「……そしたらあの噂はやっぱり嘘だったのか」

「噂って?」


 俺は最後の味噌汁を彼の持つお盆の上に置いて問う。城崎は去り際に呟いた。


「きらりがおまえに気があるって話。もうみんな噂してるぜ?」


 ……俺は心が揺れた。世界と視界に嘲笑われるように揺れ動いた。そんなおはなしを俺は耳にしたことは当然ながら、一度もなかった。誰かが話している素振りすら気が付かなかった。まさかこうも展開するとは思っていなかった。俺の最も望まない最悪の転句だ。



 ラブコメなんて冗談にしてくれ。冗談で十分だ。



 ようやく自らの過ちをすぐに省みることができた最中。不可思議さに惑わされた結果に警告を受けたばかり。なぜ俺を大人しくさせておかないのだ。余計なことはするなというくせに。


 これじゃあ、否が応でも関わってしまうではないか。




 ***




 すずね先輩の早起きの理由は今日が全校朝会の日だからであった。早くもこの世界の年月は皐月から葉月に変わっていた。月の初めは必ず全校生徒が体育館に集まって朝礼を行うというのでそれに倣って俺も開催地である体育館へ向かった。しかし、集まるのは一年一組のいつものメンバーであるため新鮮味も特別な感じもしない。そういえば体育館に来るのは初めてだったな。


「気を付け。おはようございます。これより全校朝会を行います」


 突然響いた女性の声。すずね先輩だった。


「まず初めに校歌を歌います。みなさん大きな声で歌いましょう」


 どうやらこの学校、進行の進度は最低学年に合わせていくようだ。この場合は小学二年生のこのはであり、言葉遣いもそれに合わせて行われている。特別それに反論する人はおらず、みな一様に優しい。


 アナウンスを終えた先輩はピアノの方へ向かっていった。すずね先輩ピアノ弾けるんだ。


 そして校歌がジャン、ジャン、ジャーンと始まる。


「ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。

 ラッタラ、タラ・ララ、ラタタ・タム。ラッタラ、タラ・ララ、ラタタ・タム。

 ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。シンデモハナスナ、ジャック・オブ・ザ・ランタン。

 ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。

 ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。ソレデモマコトハ、ラタタ・タム。

 ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。

 ラッタラ、タラ・ララ、ラタタ・タム。オニノヒ、オニビダ、ラタタ・タム。

 ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。

 ラータタ、ラータタ、ラタタ・タム。ギリヤバメノジャック・オブ・ザ・ランタン。


 *間奏*


 タン・タン。タンッ」


 この歌校歌だったのかぁぁぁ!


 俺も皆に合わせて元気よく歌ってしまったが、知らなかった。さっぱり、全然知らなかった。あの教師が口さんでいたのが校歌だとはまさか思わない。だってこの歌には未来とか希望とか元気よくとか、よくありそうな歌詞が一つもないではないか。学校の歌っぽくねぇよ。なんだよこれぇ。歌詞の意味を解読するだけで時間かかるよ。テンポ良くて歌いやすさはあるかもしれないけど、「死んでも離すなジャックオブザランタン」ってなんだよぉ? ラタタ・タムって結局どういうことなんだよぉ。誰か教えてくれぇ。


 全校朝会は当然の顔つきで粛々と進められる。


「次は校長先生のお話ですが、いないので割愛します」


 ……いいのか。割愛でいいのか。


「続きまして、学生指導の先生から今月のご指導をいただきます」


 ……こ、今月のご指導!? 一体何を指導されるのだ。先月問題行動あっただろうか。まさか先月の問題行動を公開処刑したりするんじゃないだろうな。魔女退治の件は、あれは不可抗力だよな? まさかたばこ吸っていることが学校側にばれて(すでにばれて黙認されているはず)――。


「はい。皆さんおはようございます。今月はまず七夕がありますね。昨年から始まった飾りつけを今年も頑張りましょう。特別教室を解放しますので、その日の課題を終えた人から順に取り組んでください。今年も素晴らしいものが出来上がることを期待しております。以上で指導を終わります。今月もみなさん――」


 先生が話し終え、マイクから一歩下がると生徒全員は礼をした。ごく普通の連絡事項と指導内容に安堵していた俺は、このとき話していたこと大事な一言を聞き逃してしまった。


「以上を持ちまして全校朝会を終わります。生徒の皆さんは回れ右をして退場してください」

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