Ⅷ 相殺はノートヴェンディヒカイトーfünfー

 窓を全開にし、二人は枠を飛び越える。着地した場所はまたもや教室。これまでのどの教室とも異なるが、日本にあまた存在する普遍的な学校の教室。そしてそこにはすでに先客がいた。それも一人ではなく、複数名。黒羽根諦が、ここに白樺いちかの求めるものがあるかもしれないと思ったのがその面子。彼ら彼女らの顔はとてもよく見知った顔で、諦は実質一日と少しの付き合いなのだが、それ以上の時間を共にした気にさせる面々。



 お馴染み一年一組のメンバーである。



 それにしてもこの一年一組って不相応だよな。小・中・高・高校戻等受けるべき教育も異なれば、もはや学年すら違う。高校一年生が多いクラスではあるが、ぶらぶらしている四人を含めたら案外そうでもないかもしれない。一年一組を使用しているのは校内位置における利便性故だろうが、他の皆はどう思っているのだろうか。この不可思議さを受け入れることができるのもまた、この高校での正しい過ごし方なのかもしれない。



「ここは、私たちの教室ですか?」


「そうだな。とある高校一年一組だ。俺たちが勉強している教室であって、そうではない。そういうところだ」


 いちかは首を傾げる。それから反対方向にまた折り返して傾げた。


「さっきちらっと見たが、本当に面白いよここは。俺、この高校結構気に入ったかもしれない」


 教室内はざわざわとした雑踏の雰囲気で、特別変わったところは見受けられない。もちろんそこに俺といちかもいる。だがそれとは別に俺たちもここにいる。変わった教室ではないが、そこがおかしい。


「私たちのこと、見えてないんですかね」


「そうなんだろうな。全員が息を合わせて無視していなければだけど」


「そ、それはいやですね」


 二人は静かに笑う。ここで大声を出して、このおかしさを確かめてもよかったのだが、俺たちは声を潜めた。まるで参観日に保護者同士で会話をするかのように。


「授業がはじまりましたね」


「そうだな。俺はまだあの担任の授業受けたことないのに。不思議な気分だ」


 俺はこの学校にきてからずっと自習しかしていない。一回体育の授業があったが、高校の授業はまだ受けていない。下級生と上級生に別室で授業が行われていたのを記憶しているが、今の担任からはまだほんとうにこれで卒業単位を取り戻せるのか不安だ。


 授業の内容は国語だった。全学年が受けても学力の差による不可解が生じない比較的道徳問題に近い現代文の読解が主テーマ。そこに正解はなく、十人十色異口同音に答えが出て当然、そうであるべき問題だった。指定されたページ毎に各々考えたことをノートやルーズリーフに鉛筆からシャープペンシルまでを使用して書き連ねる。その差こそあれども一様に悩み、それぞれの導きだした末路を語る。


 いま見ていることのみを信じるのであれば、ここはやはり普通の教室だ。


 やがて先生は授業の最後に言う。


「では、今日ノートに書いたところを見ますので教壇に提出してください。次の時間は理科ですので、受ける人は理科室に移動を。準備するものは黒板にかいてあるのでその通りに用意してください。では日直」


「起立――」


 生徒は一同礼をしてからノート、紙切れ、メモ蝶等を教壇に置いてから道具を持って理科室へ向かった。残された二人は自然とそのまま教壇へ向かう。


「どう? 何かありそう?」


「いえ、普通に課題が置かれているだけで、他には何も……」


「そうか」


「あの、どうしてここなら聖書の代わりになるものが手に入るって思ったんです?」


「ん? あれ、言ってなかったっけ」


 彼女はうなづく。それでは、と俺は説明を端的に言う。


「それはね、さっきあっち側からここを見ていたらこれが見えたからなんだ」


 俺は黒板の方を向き、そしてそれを上下にスライドさせる。大学ではお馴染み。よくある二重のやつだ。


「これ、二枚なんですね」


「ああ、俺たちの教室は一枚だがここはどうやら違うらしい。そしてその使用意図も他にあるよう、だ」


 俺は黒板をさらにスライドさせる。二枚は天井と床に吸い込まれて消え、どこからか追加で黒板が現れる。さらに勢いつけて飛ばすこと十数枚。急に今まで白い壁であった場所が消失し、その向こう側に空間が見えた。黒板の動きを止めると、まるで鏡のように向こう側にも教室があることが分かる。そこに生徒はいない――いや、奥の方に誰かが一人だけいる。俺が煙草を吸っているときに見た少女だ。華奢な体つきであったため、女の子だと判断したのだがどうやらそれは正解。


 俺はどうどうとその教室内へ足を進める。いちかが付いてきているか確かめたその時だった。


「……! いない。おい、いちか!」


 すぐに携帯に電話が掛かってくる。


「もしもし」


「諦さん、私戻ってきてしまいました」


 え?


 見れば俺の入った向かい鏡の教室の窓から、さっきまでいた廊下が見えた。そこには困惑した様子のいちかがいる。何かを探しておろおろとしている。彼女はさきほどからこちらの方を見ているはずなのだが、一向に目が合わない。俺が見えていないのか……。


「さっきの教室に私も一緒に入ったはずなんですけど、そこがこの廊下につながっていて……どうなってるんでしょう。諦さんはいまどこにいますか?」


「俺はその教室にいる。ここからいちかのいる廊下が見えるんだけど、そっちからは見えないよな」


「はい……」


 俺も向こうからでは、ここの存在を直接見ることができなかった。煙草をふかしたときに見えたのは窓の向こうで黒板を動かしてどこかへ行く少女だけ。秘密の部屋の存在は分かっても、中の様子を見ることは叶わなかった。


「どうなってるんだ……。俺は確かに見たはずで、それで――どうしてそこに本があるって思ったんだ?」


 よく考えればおかしな話だ。窓を開ければそこは別の教室でした――なんてことになれば俺はすぐにでも加えていたタバコをその場に落として後ずさりするだろう。それでも見たという記憶は俺の中に残っている。しっかりと、鮮明にだ。本当に、確かに俺は見たのか……。


「諦さん……?」


「すまない。すこし、そこで待っていてくれないか。すぐに戻るから」


「はい。わかりました」


 俺は通話を切って待ち受け画面で時間を確認した。




 AM 9:58




 一時間目が終わり、もう少しで二時限目になる時間。記憶の中にいたあの少女は電話を切った途端にこう話しかけてきた。


「あなた黒羽根さんですか」


「ああ、そうだよ」


「あなたあきらさんですか」


「……ああ、そうだな。俺は黒羽根諦だ」


 「やっぱりそうなんだ。クロさんはすごいです……。全部言っていた通りです……」と彼女は小声で独り言を噛みしめていた。どうやら俺がここに来ることは事前に誰か、「クロ」と呼ばれる人から聞いていたらしい。少女はそれを確認できて感心していた。


「あの、私にはもうこれは必要ないんですが、もし必要なら使ってください」


「これは?」


 差し出されたのは分厚い一冊の本。触れればこれが聖書の代わりになるものだと直感できた。表裏に二重円の中に六芒星が描かれている辞書のよう。


「魔法の絵本です」


 しかし中に書かれている絵は挿絵程度の物で、絵本というネーミングより見た目の辞書にふさわしい一冊だった。


「それを白樺いちかに渡すことを選ぶのでしたらお持ちください。そういう可能性もあるのです」


「可能性?」


 聞いても彼女はこれ以上何も言わなかった。何もかも、これから何が起こるのかさえ知っていそうな素振りに俺は素直に教えてほしいと思った。この世界とか、裏口から入った教室の真相などこの際どうでもいい。俺は何をしたらいい。この不可思議な高校で俺はただずっと勉強していればいいのか。それともいちかのような悩みを聞いてやれば、それで元の世界に戻れるのか。狂った卒業単位は戻ってくるのか。


 チャイムが鳴った。時計は十時ちょうどを指している。教室に見慣れぬ知らない生徒が入ってきた。雑談を交わしながら、いかにも高校生らしく。そして見知らぬ高校生は見知らぬ男性を目にすると足を強張らせて視線だけで会話をし、警戒を強めた。すぐにここにいてはいけないと思った俺は元来た黒板へ走り出す。幸いにもまだ黒板は開いており、辞書を片手に駆け込んだ。


「諦さん! だいじょうぶでしたか、なにがあったのですか」


 そこは先ほどの廊下だった。いちかを振り切り、目の前の教室の戸を勢いよく開ければそこには辛気臭いメンバーがいた。


 後ろからいちかも心配そうに入ってきた。


「諦くん? どうしたの、まさかもうもう魔女が――」


「いちか。俺は電話を切ってからどれぐらいで戻ってきた」


「え? ええと、十秒ぐらいですか。すぐに戻るとおっしゃったのが、思ったより早くて少し驚きましたけど」


 十秒? 俺はスマホの時計を確認する。




 AM 9:59




 まだ十時になっていない。一度刻んだはずの時間が戻った? それとも幻でも見たのか。


「いや、俺の持っているこれがそれを証明してくれる」


 俺は再び廊下に出る。窓から見えるのはマンモス高校にいくつもある一つの中庭の景色。別の教室は見えない。窓は開けっぱなしになっていて、手を出しても風を感じるだけ。


「諦くん、ねえ。本当に大丈夫? なにかあった?」


 一年一組のメンツも心配そうに出てきた。


 『そういう可能性もあるのです』

 

 あの少女はそう言った。いちかに渡すのであればこの辞書のような絵本を持っていけと言った。気になることは多いが、この現象は俺が今まで考えていた仮説に理由をつけることができるかもしれない。

 

 ドゥンンン! 

 

 音の主は今最大の脅威である【ベヒモス】。反対側の防火扉を突進で破ってきたらしい。埃が晴れて俺たちの存在を確認すると、雄たけびをあげた。一年一組は身構え、後ろの防火扉を見た。


「諦さん、あれ!」


「分かっている。敵も随分と時間が掛かったじゃないか。だが、あれに関してはもう大丈夫だ。いちかがいれば、オールオッケイで大丈夫だ」


 俺の突然の全責任放棄と委任に驚き、いちかはそれはそれは不安そうな顔を浮かべる。例えるなら、男が女性に「もしかして、俺のこと好きなの?」という勘違い言葉に対して向ける「は?」という表情であり、困惑しかそこには存在しない。俺は自分だけが理解できているこの状況がたまらなかった。そんなおバカな脳みそしか持ち合わせていない俺はいちかに必死に懇願される。


「私は、わたしはできないです。なにも、できないですよ。聖書がないと、何も」


「ではそんないちかにこれを渡そう。そう、これが先ほど俺が言っていた例のブツであり、今までの代わりだ」


「これは?」


「魔法の絵本というものだ」


 俺はニヤリと笑みを浮かべていう。決心が鈍っている少女に俺は命じた。


「さあその本を開くのだ! いちか。変身せよ、魔法少女!」


 言われるがままにいちかは絵本を開いた。絵本は勝手にページがめくり上がり、蛇腹状になって手元で光を放ち、やがていちかの光となった。光はホログフィックとなり、すぐに全身を包み込んだ。ホログラフィックな謎の光は彼女の手首をきらきらと光らせ、それからはじけ散ってシュシュを身につけさせる。次に足首を光らせて羽付きの靴を履かせる。最後に全身を光らせて青と白が鮮やかなミニドレスを身に纏わせる。おまけに手元が光って伸び、先に六芒星の付いたステッキになった。


 いまここに、魔法少女いちかが誕生したのである。


「……なんですか、これ。子供みたいで恥ずかしいんですが」


 真の魔法少女になりえた彼女の記念すべき第一声はこのようなものであった。とても低い声でスカートをつまみ上げて言った。


「ちょ、ちょっといちかちゃん? そんなにたくし上げるとパンツ見えちゃいますよ? 悪い大人がローアングル狙ってきますよ?」


「いや、もう見えるでしょ。こんなに短いんだし。勝手にいきなり着せ替えられたら不信感持ちますよ、普通。それと、このパンツだって私のじゃないかもしれないし。ねえ?」


 ねえ? と言われても。そこは確認しようがないです。ホログラフィックでしたし。乙女の秘密に立ち入る勇気など、小生持ち合わせておりません。


「いちかちゃん。これは、いわゆる魔法少女に変身したというていだと思うのだけど……」


「なんですか。いちかちゃん、て。馴れ馴れしいな。いつから仲良くなったんだよ! あーあー、これよく見たらあれじゃないですか。日曜朝のプ○キュアじゃないですか。そうですか。いやもう、魔法使いサ○―でも、セー○ー○ーンでも、ほんと何でもいいんですけど」


 急にキャラが変わった。俺はそう感じた。そして怖い。怖いよ、いちかちゃ……さん。これが女子の本当の顔という奴か。あの照れ隠ししつつ、いつも緊張気味の彼女が隠れ毒舌キャラだったとは。今後の発言には気をつけよう。なんか死とか呪いのノートに書かれそうだ。


 それといちかをこのままにしていてはまずい。独り言がエスカレートして、もうキュー○ィーハ○ーとか、カー○○プ○ーさ○○、おジャ○女ド○ミまで言い出した。このままでは魔法少女全制覇してしまう。ぼやきが規約違反に引っ掛かってしまう。その上他のクラスメイトにも白い目で見られ、なぜか俺のせいになってしまっている。よって俺は話を無理やり進めることにした。そうでもしないと俺に対する評価のデフレは止まらなさそうだからな!


「いちかさん、もういいかな? ほら、これで晴れて本物の魔法少女になれたわけですし、ここはその大好きな特撮アニメ的ヒロインのように目の前の敵を倒して下さい。俺たちの茶番が終わるまであの怪物は律儀に待っているようですかし。ささ、購買と私たちの生活を守るために勇気を出して戦いましょう」


 いちかは嫌そうなため息を俺に向けて吐き、それから魔法にかかったように険しい顔をして言った。


「相手は聖書に出てくる空想上の最強の怪物……【ベヒモス】。何かに縋って、その力に頼ってばかりだった。以前の私もそっち側だった。でも、もう私は迷わない。だって諦さんが、きちんと示してくれたから」


 急に台詞っぽくなった。台本なんてあったっけ? しかも内容がさっきあんなに酷く俺のことを言っていたのに、急に持ち上げている。後ろのクラスメイトはヒソヒソとヒ素を盛る話をしている。もう私の株は底をついたみたいだ。


「今度は自分自身の力で戦う。頑張らないと、ね。魔法少女でも何でもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じたみんなを、私は泣かせたくない。これ以上悲しませたくない。それを邪魔する奴なんて、壊して見せる、変えてみせる!」


 こうして魔法少女いちかはようやく猛進し始めた怪物に向かって、ステッキを一振り! 一瞬で棒を弓矢に変えて弦を唸らせた。放たれた矢は複数に分かれて直進し、魔物と後方にいる魔女と相殺。脅威は消え去った。こうして我々はようやく魔女に打ち勝ことができたのである。





 ……魔法少女○○か☆マギ○は角川から出ているから大丈夫だよね……。

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