Ⅳ投擲バイブルーEinsー

 翌日。事態は最悪の展開を迎えていた。魔女が侵攻を開始したのである。その合図となったのが今朝の屋根が吹っ飛んだ事件。「やぁね」とかギャグを言う暇もなく、男子部屋の集まりとなっている最上階からは澄み渡った薄い空を見上げることができるようになってしまった。おかげで朝食を取る余裕もなく、男女ともにおっとり刀で寮を飛び出す羽目となった。


 魔女は強かった。


 魔女はあらゆる手法とあらゆる魔法を瞬時に放ち、意のままに操る。その魔女に対して俺たちに成す術はなかった。俺たちが使用できる魔法など紛い物の購買税込四百九十八円である。それも遊び心に使う程度のおもちゃレベル。三回ほど地面に火花を上げたかと思えば、魔女の大火炎放射から逃げる羽目になる。相手になどなるはずがなかった。兵士とサバイバルゲーマー程の格差がある。このとある高校がいくら不可思議であるからと言って、俺たちは高校生だ。当然ながら軍事訓練を受けたことなどない。俺や一部の文系が、その手の知識を小説やドラマからもぎ取った中途半端な物で対抗策を練ろうとするが、やはりお遊びにしかならない。


 寮から学校へ向かうだけで命がけだった。幸い怪我人はいない。多くが中学から居るとのことで、みんなこういうのに慣れているのだろう。


 俺はそもそも、なぜ魔女がこの世界にいるのか。魔女とはそもそも何なのか。答えが帰って来なさそうな素朴な疑問を抱いたのは俺だけではないらしく、この世界の住人である彼らは以前から調査を行っていた。魔女が危害を加えてくることがその大小を問わず、今までにもあったのだときらりは言う。そしてその魔女の出どころもどうやら噂のダンジョンだということも、見当がついているそうだ。しかし、ダンジョンの敵はそれこそゲームの住人。ダンジョンが存在する限り無限に出現する。仕組みも原因も不可思議な現状では、何か対策を打てる状況でもないらしい。


 命からがら学校の校舎に滑り込み、ドアを施錠することさえ忘れて駆け込んだ俺たちは、自分たちの教室で籠城することに何とか成功した。そして現在、きらりを中心に魔女の詳細を含めた情報をまとめながら今後の方針についての会議が執り行われている。


「さて……まず念頭に置かなければならないのが、今回の侵攻はけっこうまずいと分析されていることだ。今までの魔女といえば、校庭での千五百メートル走のラインに魔法を掛けてエンドレスランさせたり、教室の入り口を一つずらして隣の違う教室に間違って入ってしまった時の羞恥心を覚えさせたり、授業中理科室で一緒に実験をしていたり、椅子の高さを三センチ低くして妙な違和感を与えられたこともあった。だけど、今回はけっこう、いや、かなりまずいときらりは思う」


 魔女は魔法で何をしているんだ。イタズラの質があやめと大差ないぞ。


 きらりは教壇に両肘をついて顎を乗せて眼光を光らせる。


「魔女はすでに校内に潜入している。一部を占領して拠点としたとの情報も上がってきている。さらに先生が自習というこの字を黒板に残したまま朝から姿が見えない。つまりこの危機に対応できるのは私たちしかいない。そういうことになる」


 偉そうなきらりに俺は問で話を進めさせる。


「魔女はいったいどこを占拠したんだ。それは分かっているのか?」


 ああ、と神妙な雰囲気で声を漏らしてからきらりは顔に影を入れて皆に告げた。


「占拠されたのは……購買だ」


「何だと……!」


 城崎が驚愕している。


「ええ!」


 中学子ギャル二人が声を出してきゃっきゃ騒いでいる。


「購買? おばちゃんが人質に取られたの!?」


「ああ、そのようだ。そして、おそらくここにいるメンバーでは太刀打ちできないだろう。そこで、今副島さんが外部と連絡を取っている。現在連絡が付いたのは〝シトウテンノウ〟のうち三人だ。ダンジョンに潜っている彼とは音信不通。他のメンバーにはすぐに援軍として駆けつけてくれるとのこと」


 シトウテンノウ? この言葉を俺はすぐに頭の中で漢字変換することができなかった。死闘、至当……シトウ?


 そういえば四人ほど授業には出ていない生徒がいるんだっけ。彼らが何をしているのかはとても気になっていた。全員ではないが、ようやく会えるというのは今回の騒動に対して俄然興味が出てきた。


 俺はようやくまともに参加する意思が芽生えたので、特務機関最高司令官になりきれていないきらりに質問をした。


「購買押さえられるっていうのは、どれだけヤバイの?」


 きらりはさらに声を低くして答える。


「偵察隊の報告では既に値段が平均百万倍に値上がりし、おばちゃんもローブを着用しているそうだ。人質ばかりでなく、すでに向こうの手駒として取り込まれている可能性が高い……。これは月一万円の支給で遣り繰りしている寮生われわれにとって深刻な経済危機に成り得る事態である……!」


 またやり方がこそばゆいよ、魔女さん。


「偵察隊って?」


「さきほど山下、木下、葉山の三人にスリーマンセルを組ませた。校内を偵察させている。定時報告が今のところ途切れていないから、今は少し落ち着いているとみれるだろう」


 男子参人組。ああ、ええっと…………そいつら誰だっけ。確か最後の方で自己紹介を受けたような、でもどんなんだったかなぁ……。まあ俺の記憶が曖昧だってことは確実にモブキャラだから無理に思い出さなくてもいいかな。


 思ったよりもこのクラスは組織化されているようで、今までにもあれこれあったのだろうと思った。そんな統率の取れたクラスはこれからどうするのだろう。きらりたちは本当に魔女とこれから戦うのだろうか。それとも購買はきっぱり諦めて後は大人、つまり担任の先生を探し出して任せるつもりなのか。俺は魔法がどういう物なのかすらよくわかっていない。今までは科学で説明できない、想像上の何かだと思っていたからな。それに魔女についてもさっぱりだ。この世界の魔女は攻撃するために使用している魔法の規模が非常に小さく、とても限定されていること、その効果は文字通り悪戯クラスだってのは分かった。しかし、今朝の屋根を飛ばした威力は軍事クラス。魔女は安定して魔法が使えないのか。それとも「私はまだ本気を出していないだけ」なのか。


 俺はここまで思考を進めてやめた。駄目だ。どれも推測の域を出ない空論だ。ここは専門家に聞くのが一番。


「いちかは、白樺いちかさんは今どこに?」


「ここです」


 教壇を囲んでいる俺たちの群れの後方に、彼女は立っていた。普段学校で着用している制服ではなく、とんがり帽子に紺色のマント姿。全身を覆うローブの魔女と似てはいるが異なる。まさに専門家といえるその出で立ち。この間の服装と恐らく同じだろう。


 魔法少女がそこにはいた。


「すみません、遅くなりました」


 だが、彼女を魔法少女と呼ぶのは違うと、俺は考えている。きっとこの世界で魔法と呼ばれるものについて精通しているのは間違いないだろう。しかしこの間唱えていた呪文のような文言。あれは呪文でも魔法を発動させるための台詞でもなかった。あれは聖書の一部だ。


 旧約聖書『申命記』。モーセの五書の五番目とされる本書の第十八章を日本語訳すると大体こうなる。




 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたはその異邦の民の忌みきらうべきならわしをまねてはならない。

 あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。



 

 つまり旧約聖書では魔法を禁じているのだ。昨日聞き取れた一部をインターネットで軽く調べただけなのだが、これだけの情報を得られただけで十分だった。白樺いちかは魔法が使えるのではなく、魔法に対するアンチテーゼを使えるのではないか。これが俺の予想だ。


「きらり、ここの購買はどれだけ便利で重要なんだ」


「え? えっと、それはこの間話して――」


「頼む。もう一度教えてくれ」


 俺は頭を下げる。同じことを人にもう一度わざわざ手間を掛けさせるのだから、この誠意しかるべき形で示さなければならない。俺は至って真面目なのだ。そしてこれこそこの度の異常をこの世界の通常へ戻す最短距離であると確信していた。


「う、うん。購買は学生のためにパンとか、ジュースとかを売ってくれるけど、それだけじゃない。この学校の購買で買えないものは何もないの。注文すればその日のうちに手に入るいわばなんでも屋さん。諦くんも知っていると思うけど、この辺りに街はあってもその商業施設を営業する人はいないの。とある高校は、とある町は普通から逸脱しているから」


 またそれか。また普通から逸脱している、か。学級スローガンなのだろうか。俺には言い訳にしか聞こえないんだけどね。


 話を戻す。


「つまり、生活の補給経路を断たれたってわけか。今日の昼飯を買うことができないとなると、それは困る。事態はきらりの言ったとおり深刻なのか」


 俺は立て続けに会話に参加する。昨日来たばかりの余所者がここまで出しゃばると、それこそあっという間に目をつけられそうだが、そこには一目置いてもらいたいという俺の思惑が存在する。このようなトンデモ世界だと、ここにいる高校生もトンデモ高校生だと考えるのが自然。何もできない俺は知恵を持てる策士であることをここで示し、以降の学園生活におけるこのような異常時に備えてポジションを約束させようという魂胆である。我ながら完璧だ。理想の通らない現実主義社会をこれでもかと見せつけられてきた大学生活の叡智を持ってすれば、あのような青臭い理想主義の高校生など容易い容易い。彼女彼らにどれだけ殺人的パワーがあろうと、感情と心を言葉で揺さぶれば俺の筋道通りになるであろう。


 そう考えていた俺はやはりバカだった。


「そうよ、朝食を抜かれてきらりはおなかペコペコ。これはとっても深刻。私たちのごはんが掛かっているの。一刻の猶予もないわ。みんな、いちかを中心に行動開始よ!」


「「「おおーー!」」」


「……お、おー」


 すでに俺の入る余地など、そこにはなかったのだ。



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