Ⅱ絶対服従のアイネファレ

 さてはて、そんなこんなで俺が転校してきた時季の暦はすでに皐月を十日ほど過ぎた頃合いで、校庭の木にはこれでもかというほど葉を青く茂らせ、風がそれらで音を微かに鳴らしていた。俺は教室内に設置された喫煙室内で煙を吹かしながらその様子をそれとなく、唯一聞こえてくる静かな換気扇の音を聞きながら見ていた。ちなみにこの喫煙室は教室の後方窓側の隅に置いてある。公衆電話ボックスのような見てくれ且つ掃除箱の横という立地条件にも関わらず、以前は利用者が絶えなかったらしい。


 そもそも未成年が通う場所である学校にいた愛煙家は白城のみ。


 ゆえに自他承認不良である白城対策として建設されたのだそうだが、不祥事の諸事情により現在喫煙は謹慎中らしい。よって校内では絶滅危惧種となっていたスモーカーはめでたく俺の転入によって復活した。聞くことによるとこのボックス内に設置されていた換気扇もこれを機に、つまり俺の転校に合わせて最新式に取り換えたのだという。すごい! 最新式の羽根なしファン!


 そんな最新式喫煙所で教師から引っ越しの荷物が届くまで出された、しばしの待機命令を一服しながら健気に守っていた。するとボックスの透明な壁が叩かれた。


 あやめだ。


 ツインテールを揺らす小柄で可愛げのあるやつ。なぜだか知らないが、とてもにこにこしている。


 俺はたばこの火を処理してから外に出た。


「柳沢さん……だっけ。どうした?」


「一服中にごめんよ。ちょっとこのへんのあれこれを案内してあげようと思ってさ。にひひ。あと、あたいのことはあやめでいいよ」


「あ、ああ分かった。あやめ、それでどこを案内してくれるんだ? 校内ならそれとなく回ったんだが」


「校庭」


 校庭? 俺はふと窓を見る。


「の秘密の場所」


「……秘密?」


 秘密基地とかそういう類いか? 小学生がいるからあっても不思議ではないが、それとも噂の地下ダンジョンへの入り口だろうか。どちらにしても興味深い。

 

 こうしてあやめに連れられて俺は校庭の端の方に来た。やはりこういう物は隅に隠匿されているのだろう、すごいエスエフ的だぁ、などと一人盛り上がっていた。一方のあやめは鼻歌を歌いながら終始ご機嫌な様子で、転校生という存在が楽しいのか、それとも道案内が好きなのかは分からなかったが楽しそうだった。


 そして目的地に到着。そこには校内唯一の小学生このはが遊んでいた。つまり、秘密基地なのか? このははなにやら地面に落書きをしている。そういえば俺も書いたなー、ケンケンパーの円とか書いてよく一人で無限ループしてたなぁ。なつかしいなぁ。


 などと想い出に耽っていた時だった。書いている絵をよく見ようと一歩足を踏み出した瞬間、俺は捕まった。そう。この場所に連れてこられた時点で敵の作戦は八割型成功していたのだ。既に魔の手は俺の首元まで来ており、今きっちり掴まれたのである。


「な、なんだこれは」


 動けない。手足に網の目が引っ掛かり、その網の大きさは限界まで小さくしぼんでいる。完全に身動きを封じられてしまった。


 俺の身にいったい何が起きたのか。自分でも把握しきれていない。もう一度スローで確認してみよう。


 俺はこのはの書いた絵を見ようと、やや前かがみになりながら気持ち悪い笑みを浮かべている。そして、今。一歩踏み出した。踏み出したその足が地に着いた刹那、地中底浅いところから網が出現し、俺の体を一舜で包み込んだ。俺は未だ笑みを張り付けたままである。そして俺を包み込んだ、捕縛した網は重力に逆らう別の力に引っ張られ上昇し画面からフェードアウトした。そして現在木の上である。


「あの、あやめさん。これは新入りに対する恒例儀式的な何かですか?」


「いや、ただのドッキリだよ。どう? びっくりした?」


 いや、それはもう超びっくりだよ。まさか校庭にトラップが仕掛けられているとは。一体だれが想像できようか、いやできない。だって学び舎の庭だぜ? 


「驚いた、驚いた。よくできてるなこの罠。これなら俺だけでなく、イノシシだろうがクマだろうと何でもびっくりだぜ。いやー、ほんと焦ったわ。……それであの、そろそろ降ろしてくれませんか?」


 するとあやめは、ふふふと笑った。


「諦だっけか、転校生。そう簡単に解放してやるわけがないだろう? もちろんそれ相応の対価を要求するっ!」


 うわぁ、駄目だこのひと。超悪人だ。今すごく人相悪いですよ、あやめさん。


「金ならないぞ。借金してるぐらいだからな」


「そんな夢にもならないものなどいらん!」


 夢にもならないって……現実的なんだか理想家なんだか。


「黒羽根諦。貴様に絶対服従を命じる! でなければ解放しない! ちなみにこの罠を作ったのはこのはだ。どうだ、すごいだろ? わははは」


 ええ? この立派な捕獲罠作ったのこのはちゃんなの!? 小学二年生だよね? さっき書いていた地上絵を上から見直したら魔方陣書いてる……。地面に何か怪しげな魔方陣書いてる……。あの娘何者なんだよ……。


「どうした黒羽根諦。貴様に選択の余地などない。降伏しろ」


 俺は籠城している犯罪者ですか。それにしても絶対服従って、これから先あやめの命令を聞くってことだよな。奴隷としてこき使われるのはいやだな。どうすっかな……。


 下から偉そうな声が聞こえる中で俺が辟易していると今度はこのはが俺の方を向いた。彼女も俺になにか要求するのか。おもちゃとかねだるのか、そんな金はないぞとか考えているとだんだんとその表情から意思が伝わってきた気がした。そして俺はこの直感に従うことにした。あやめよ、絶対服従するのは己の意志のみだ!


「分かったよ、降伏だ。絶対服従を誓うよ」


「本当か! 何でも言うこと聞けよ! 購買でパンとか買えよ!」


 ショボい。命令がショボすぎる。絶対服従させたい魂胆は学生生活を充実させるための自分専用パシリかよ。


「ああ、そうするとも。ご命令とあれば、即座にパンを買ってきますよ。何でも買ってきますよ。命令から三秒以内に買ってきてやりますよ」


「ホントだな! 言ったからな。後からやっぱナシは無しだぞ!」


 子供なのはこいつの頭の中だけだったな。ともかく、俺はあやめへの絶対服従と引き換えに地上に降ろしてもらった。解放された俺はどこにも怪我がないのを確認するふりをし、奴隷を一人獲得したあやめは両手を天に突き上げて望外の喜びを表していた。俺はそっとこのはとアイコンタクトを交わし、再度先ほどの密約を確認すると背を向けて右手を上げた。


「ああ、絶対服従だ」


 途端、誇りに驕り、勝ち誇っていたアヤメの体は宙へと投げ飛ばされた。その運動は木の上で停止し、数秒前の俺と同じ状況に陥っていた。


 あやめもこのはの罠に掛かったのである。捕まったのである。


「な、なんだこれは。動けない、どうなってんのぉ?」

 どうやら当の本人にも何が起きたのか理解し切れていないらしい。仕方ない。それではスローで振り返ってみよう!


 俺が解放された後、あやめは天に両手を突き上げて上体をそらしている。勝ち誇っている。その刹那、足元の地面が崩れるように浮かび上がってそこから網が現れた。網はすぐにあやめの体を包み込み、そのまま木の上まで上昇。数秒前の俺と同じ状況って訳である。

こうなると次に勝ち誇るのは俺。要求は同じだ。


「ああ、絶対服従だ。それが俺の要求。俺の言うことにはすべてイエスマンとなり、一切の反抗・抵抗・口応えを許さない。例え俺が理不尽な借金をさせてその利子率が十割であっても文句は何一つ言えないのだ。なぁに、俺の借金を肩代わりするだけだ安心しろ。私利私欲のために私腹を肥やすつもりはない。資本主義社会におけるパラサイトにはならないから大丈夫だ。俺の言うことには絶対服従であることには代わりないが、逆説的に口にしていないことはそのすべての自由が認められている点、あやめは奴隷ではない。召し使いって割当だ。どうだ?」


「い゛や゛だぁぁぁああ」


「おやおや、君はそんなことを言える立場にあるのかね、あやめさん。一度は俺のことを一方的に通告無しで捕縛し、すべての非が俺にあるかのようにしたあなたが。そんなこと言えるのかな?」


「ご、ごめんって」

「ぬはは。因果応報と言うことばをご存じかな?」

「や゛め゛でぇぇえええ」


 俺と彼女の立場が逆転した今、俺は思わず調子にのっていた。ここぞとばかりに相手をいたぶる。


「それにしても可愛らしいパンツだなぁ。スカートが網に引っ掛かって思いっきり捲れ上がり、重力によって網に引っ掛かったパンツが俺の頭上に晒けだされている。これでも俺は結構なロリコンでなぁ。こういうオレンジの縞々のパンツとか、いやはや、とても可愛らしくて良いなぁ」


「や゛め゛でぇぇえええ」


 俺はオレンジ色の横縞模様のその幼めの容姿から容易く想像できるが、しかし本当に履いているとは恐れ入るような光景を堪能していた。直接触れるのはさすがに紳士である自らの心とコンプライアンスが許さなかったので、罠を仕掛けた張本人であるこのはが気を利かせて細長いプラスチック製の棒を受け取っていた。これで高いところにあるものにも届く。つんつん、つんつか。ふふん。ビバ! 人類の叡智!


「い゛や゛あ゛ぁぁぁああ。恥ずかしいよぉぉ」

ううむ、なかなか強情なやつだ。拒絶反応を示す一方で降参する意思は未だ固まっていない。どこかで俺が許してくれると思っているのだろうか。


 仕様がない。ここはやむを得ない。

 

 いくら同級生であれども、相手は未成年。俺は成年して二年が経つ。さらにこの悪戯っ子は見かけが幼い。つまりロリだ。そんな彼女、柳沢あやめのそのロリ下着に隠されつつも隠しきれない、可愛らしくて華奢でありながら小さめにふっくらと至高の魅力を放っているお尻に直に触る行為は、いくら同級生のじゃれあいであっても限界ラインだ。世間社会的にも、校内社会的にも例え許されても周囲の白い目線は避けられない。

だが仕様がない。やむを得ない。


 相手が降りないのであれば、その身をもって相手の脅威と恐怖を知らしめるしかない。故にこんな棒切れなど投げ捨てて、俺が片腕を伸ばし、もう一方の片腕で罠の紐を引っ張ることで徐々にその距離を縮めているこの行為、相手に勝利すべく取っているこの策略は正義に則った実に正当化されたもので――。


「ぎゃあああ。またかぁぁぁ」


「またか、じゃないわよ。何してるの? 諦くん?」


 俺は再び発動された網トラップに引っ掛かって木ノ上に吊るされた。声の主を探せばそこにいたのはきらりだ。白樺いちかもいる。


「どうせあやめがいたずらしてたんだろうけど、まさか諦くんまでそんなことをする人だったとは……」


「待ってくれ、誤解だ。俺はロリコンではない。ノーマルだ。だから、これには深い理由が――」


「おやおや? 君はそんなことを言える立場なのかな?」


 因果応報である。


「……すみませんでした」


「きらり~助けてよ~」


「あやめも!!」


 因果応報である。


「……申し訳ありませんでした」


 こうしてバカ二人はきらり様に土下座をし、絶対服従を誓うことになったのである。

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