連鎖

小笠原寿夫

残しておきたい

 君が居ない世界は、こんなにも美しいんです。だけど、君の命は、かけがえもないものなんです。

 だから、君には、この醜い世界を生きていく使命があるんです。

「あの世なんてのはよぉ。あってないようなもんなんだから。」

クスクスと笑う私を見て、君も笑う。

「兄ちゃん、おもしれーな。」


飛び起きたのは、その頃だった。

「夢か。」

最近、芸人さんの夢を見ている。ギャランティ要らずの娯楽である。夢については、随分、考えた。深層心理なんてものがあるのならば、それは、全世界で共有できるSNSみたいなものではなかったか。想えば、夢に出る。夢任せに生きてきた。

 父は、飲んだくれだったが、それは、昂ぶった頭を冷やすためのものだったのだろうと思う。何故、父の話になったかを、説明しよう。

 私という人間を作るにあたって、あの人の存在は、良くも悪くも大きかった。

家族で、旅行している最中に、助手席に乗る母が、父に尋ねる。

「ここで、クラクションならされたら、どうする?」

「謝ったらええがな。」

この時点で、母と父は、漫才をしていた。いい話にしようとは、思わない。所詮、他人の生い立ちなど、他所ごとなのだから。

 しかし、父の営業力は、凄い。

 やはり、「舐められてはいけない。」という気持ちが、先に立つのだろう。息子の私が、これを書くということは、親不孝にも近い気がする。お門違いというか、恩知らずというか。

 親から、乳を吸い上げて、今の私がある。

「お母さんが、一生懸命になっているのにね。」

頑張らない私を、揶揄されることがある。

(いや、頑張っていますけど。)

心の声は、常にそれである。その努力を見ないから、人は、評価しない。それでいいと思っている。

「見返したれ。」

と、社長。

三十年経ったら、あいつの方が、上になっているから。

 その言葉を聴いて、何年になるだろうか。影響されながら、ここまで、生きてきた。

 北朝鮮がミサイルを撃ったなんて、あばらが痒いくらいのことだ。それよりは、日本のエンターテインメントは、どうなっていくのか。

「エンターテインメントの極致が、笑い。」

とした、漫才師の声。なるべく、この言葉を使いたくはなかったが、それを書かない、と小説の源泉が、莫迦になる。

「あほに○○は、出来ませんよぉ。」

○○に入る文字は?との問いの答えが、多すぎて困る。

 かなり、息を撒いたが、父が、これを読んだら、一蹴するだろう。

 というくらい、父の存在は、デカい。

「お前、北大行って、何も悟ってこんかったんか。」

それが、笑いだということを、言えなかった。他人のパソコンを汚さないように。ネチケットは守りましょう。ということを学んだのだけれど。

「笑いっていう表現やめようぜ。経済に言い換えよう。」

と、友は言う。

「笑いに情熱を。ではなく情熱を笑いに。」

と、アナウンサーの声。

私を、笑いから遠ざける二つの台詞。金を払ったところで、人は笑う。

「うそじゃありゃせん、ほんまやで。」(二代目桂枝雀『神津の富』より抜粋)

やはり、芸人に回帰するのか、私の頭は。

「統合失調症」

それが、私に下された病名だった。読み返してみるに、そこに、考えの一環性はない。あらゆる機能が、統合されない病。それが、統合失調症である。それでも、私は、書き続ける。それが、例え、小説という枠に入らなくてもである。

「漫才は神事。」

これは、本当の話である。神を笑わせる芸能もあるくらいである。神の存在を信じるか否かは、別にして、神がいると、日本古来の宗教は、言う。元々、農耕民族だから、その神が、気候を操るとされてきた文化に根付いたのが、漫才と呼ばれる祭ごとである、とされる。古事記だの、日本書紀だのは、読むに至らないが、その一説には、自然を操る古来の神々たちが、物語を作っているのだろう。天照大神や八岐大蛇。否、それが、当時の日本の娯楽だったのかもしれない。

「最近の若い者は、けしからん。」

と、古来から言われてきたことらしい。私は、そうは思わない。若者が次世代を作っていくわけだし、次世代を見たとき、私たちは、そこにはもう居ない。

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連鎖 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio

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