第116話 回想:フィーラ-3
「あの、貴方は……?」
差し伸べられた手を取ってのろのろと立ち上がりながら訪ねると、赤毛の人影は一瞬ハッとした表情になった。
「申し訳無い、名乗るのが先でしたね……自分はガレオ。今回魔法科学研究部への
そう言って、ガレオさんは“チャリッ”と音を鳴らして首元から何かを取り出した。
「紫色の、
驚愕に目を見開いた。重装備で大柄な剣を振り回していたので唯者では無いと思っていたが、まさかスレイヤーの中でも最上位に位置する紫等級だとは思わなかったからだ。
しかし、落ち着いて記憶を辿るとわたしはその名前にピンと来る物があった。正確に言えば、ガレオと言う名前の人物の異名についてだが。
「――【煉獄】」
「そう呼ばれる事もあります。さぁ出ましょう、歩けますか?」
「っ、はい!」
突き立てていた大剣を引き抜き軽々と肩で担ぐと、ガレオさんは慌てて身なりを整えたわたしを背後に庇いながら部屋を出た。
外に出ると、目の前に広がっていたのは地獄もかくやという光景だった。
大型の研究機材が通れるだけの十分な幅と高さの廊下は、その無機質な壁を真っ黒に煤けさせており、場所によっては無残にも熔解して元の形を失っている。
更に目に付くのは、縁を溶かしながら奔る斬撃の跡。まるでドラゴンでも通ったのではないかと思わせる、大きく鋭利な爪痕だった。
「すみません、歩き辛いでしょう」
「だ、大丈夫です。それより、これは一体」
「いえ、思ったよりも連中が抵抗したもので……こちらもそれ相応の対応をせざるを得なかったのですよ」
そう言って、ガレオさんはちらりと視線を動かした。目を向ければ、そこには数人の
ここで漸く、わたしは疑問に思っていた事をガレオさんに聞いてみた。
「あの、一体何が起きているんですか?」
「……カシマと言う学者を中心とした違法行為に関しては、ご存知ですよね?」
その言葉だけで、わたしは全てを察した。こくりと頷くわたしを見て、ガレオさんは話を続ける。
「今回、我々は
「何か、あったんですか?」
「……フィーラ殿は
ガレオさんの問いは、予想外の物だった。
【
「はい、何度か文献に目を通した事が……まさか!?」
「えぇ、ご推察の通りです。三〇〇年ぶりに現れた彼の巨竜を相手に、現在ギルドを含めたあらゆる組織が官民問わず対処に当たっています」
ガレオさんの言葉を聞いて、わたしは愕然とした。
(何て、こと。どうして、何でよりにもよってこんな時にそんなモノが現れるの……!)
脳裏に、ラトリアの姿が過った。折角自由を掴む為に、あの子はわたしの手を取ってくれたのに。飛び出た先が、まさか――。
「すみません! ガレオさんは、この位の背丈で薄青色の髪の女の子を、見ていませんか!?」
咄嗟に聞いてから、後悔する。いきなりこんな事を聞いても、ガレオさんが答えられる訳が無い。そもそもあの子が最終的に何処へ向かったのかなど、誰にも分からないのだ。
「っ、すみません。少し取り乱しました、今のは忘れて……」
「――――知っていますよ。ラトリアの事、ですね?」
下さい、と言おうとしたわたしはぽかんと口を開けた。それを見たガレオさんは小さく苦笑した。
「カシマ達の人体実験の被害者で、フィーラ殿が逃がした十五歳の少女……で、合っていますか?」
「は、はい……」
「安心して下さい、彼女は無事です。自分がギルドマスターを務めているギルドがある≪ミーティン≫と言う街に身を置いています。今は新米スレイヤーとして頑張っていますよ」
「す、スレイヤー!? あの子がですか!!?」
「はい。≪ガリェーチ砂漠≫で行き倒れていた所をとある面々に拾われましてね、そのまま彼等のパーティーに加入して活動しています」
「そ、そうなんですか」
全身から、力が抜けた。後で詳しく聞かなければならないだろうが、兎にも角にもラトリアが無事だと言うのが分かって、本当に良かった。
安堵のため息が口から洩れた、その時。
「――失礼ッ!!」
「え、きゃあっ!?」
突然、ガレオさんがわたしの肩を左手で抱いてぐいと後ろへと退がらせた。体格と力の差もあり、あっさりとわたしはすっぽりガレオさんの影に納まった。
間髪入れず飛来したのは、巨大な岩石の矢と圧縮された水球。明らかにこちらへと向けられた攻撃魔法だった。
「ふっ!」
死角から放たれた奇襲。しかしガレオさんは顔色一つ変えず、息を吐いて右手に持っていた大剣に青白い炎を纏わせて一閃させた。
轟と音を立てて、空気が引き裂かれる。誰が放ったかも分からない魔法だが、込められた魔力量から見て決して安い威力では無い。ともすれば、
だが、ガレオさんが放った斬撃はそれ等二つの凶撃を――あっさりと打ち破った。何の苦も無く、纏めて真っ二つに斬り裂いたのだ。
「くそっ!」
悪態と共に魔法の向こう側から現れたのは、二人の
「……これ以上の抵抗は止めろ。罪を重くするだけだぞ」
静かに告げるガレオさんだが、その言葉が届いている様子は無かった。何故なら、二人は血走った目で只管わたしに呪詛の言葉を吐いていたからだ。
「お前が、お前さえ余計な事をしなければッ! カシマ博士の研究は完成し、こんな事にもならなかったッ!!」
「だから、罰を受けて貰う……その男を殺してから、
そう叫んだ二人は、魔法陣を展開し詠唱を始める。
支離滅裂で逆恨みも甚だしいが、追い詰められて狂気の沼に沈んだ二人にとってそんな事は関係無いのだろう。
彼等の頭にあるのは、計画が破綻する原因となったわたしを
「聞くに堪えないな」
ぼそりと言うと、ガレオさんはわたしの肩を握る手に力を入れて自分を完全に前へと押し出す。たった一言の呟きには、明らかな怒りの色が滲んでいた。
「直ぐに終わらせます。そのまま離さない様に」
「はいっ!」
言われるがまま、わたしは手にぎゅっと力を入れる。するとガレオさんは徐に大剣を地面に突き立てて右手を前に翳した。
瞬間、ガレオさんの魔力が動く。それに合わせて周囲の温度が明らかに上昇したのを感じて、わたしは更に体を寄せた。
「生憎、“オレ”は貴様等の様な下種を斬る剣を持ち合わせちゃいないんだ――
その宣告と共に、ガレオさんは右手の人差し指と中指を揃えて天にくいっと向けた。
次の瞬間、詠唱寸前の二人の足元に赤い魔法陣が現れる。そこから噴き出したのは、地獄もかくやと言う轟炎だった。
「ギャアアアアアアアッ!!?」
「アツ、あつぃいいいいいっ!!」
凄まじい悲鳴が上がるのと、わたしの視界が真っ暗になるのは同時だった。ガレオさんが、肩から外した左手でわたしの両目を塞いだのだ。
「耳を塞いで下さい」
静かに耳打ちされ、わたしはそれに素直に従う。
きっと、ガレオさんなりの気遣いだったのだろう。暗闇が訪れる直前に見た限り、あの魔法陣を通しての
「……もう良いですよ」
時間にすれば、三十秒にも満たない間だっただろう。光と音を取り戻したわたしの視線の先には、黒い塊が二つ。
死んだのか――一瞬そう思ったが、微かに聞こえる呻き声を聞いて二人がまだ生きていると知る。と言っても、あれではもう立ち上がるどころか、少し体を動かしただけで激痛に襲われる為只管じっとしているしかないだろう。
「申し訳無い、少し熱くなりました」
わたしを解放したガレオさんは、ほんの少しだけ気まずそうに頬を掻いた。
だが、その顔に後悔の色は微塵も無い。きっとこの人は、彼等がわたしに対して下劣な事をしようとした事に怒ってくれたのだろう。だからわたしも、笑みを作って返す。
「ガレオさんが謝る事は、何もありません。ありがとう御座います、わたしを守ってくれて」
「……当然の事をしたまでですよ、フィーラ殿」
そう言ったガレオさんの表情が僅かに緩む。だが直ぐに引き締め直すと、突き立てていた大剣へと手を伸ばして引き抜く。
見上げた先にある、大きな背中。冷静沈着な口振りとは相反する熱い心と力を滲ませる後姿を見て、騒乱の最中にありながらわたしは……自分の頬が微かな熱を持ったのを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます