第115話 回想:フィーラ-2

「カシマ……」


 学院に在籍している者でその名前を知らない人間は恐らく存在しないだろう。

 “稀代の天才”“学院の麒麟児”“最高の叡智”……彼女を称える言葉は数知れない。そして、カシマはその呼び名に恥じない実績を残して来た。

 カシマが組み立てた基礎理論は近代魔法を語る上では絶対に欠かせない物であり、それをベースに開発された新技術は多い。だから、わたしはカシマは尊敬すべき偉大な人物だと思っていた……ラトリアの事で実際に会って話をするまでは。


 ――カシマが浮かべていた、屈託の無い子供っぽい笑みをわたしは今でも覚えている。これなら話を聞いて貰えると思い、わたしは前置きをせず最短距離で話を切り出そうとした……が。



『やぁ試製01号プロト・ワン、元気になったみたいだね。さ、研究に戻ろう!』



 わたしが口を開くよりも早く、カシマはさも当然と言わんばかりにラトリアの手を引いた。ラトリアは……抵抗しなかった。

 事情も何も、一切を聞く暇も無かった。ラトリアを連れたカシマは付き従っていた研究員と共に部屋を後にする。残されたのは、ただただ呆然と固まっていたわたしのみ。


 暫くして我に返ったわたしの口から、自然と「何だアレは」と言葉が漏れた。

 態度が無礼だとか、そう言った些細な問題に対してではない。一分も無かった僅かな時間で見えた、カシマと言う人間の本質に、恐怖したのだ。


 ――カシマの目には、最初からラトリアの姿しか映っていなかった。その瞳の奥に見えたのは、安堵と喜び・・・・・


 ラトリアが無事に回復した事を喜んでいたのでは絶対に無い。アレは明らかに、研究を再開できる事にのみ・・対する感情だった。

 身震いと共に、理解する。彼女は、輝かしい功績通りの英雄などでは無い……自分の知的欲求を満たす為ならば平然と他者に出血を強いる傲慢な人間だったのだ。


「……っ」


 一人きりになっている間、わたしはどうにかカシマ達が行っている研究について知ろうと魔法科学研究部内を奔走していた。しかし、外様であるわたしに研究の内容について教えてくれる者は皆無だった。

 ……いや、語弊がある。一部の人間はあからさまに隠している様子だったが、大部分は違った。本当に、わたしの問いの答えを知らないと言った感じだった。つまり同じ魔法科学研究部内でさえ秘匿されている何かを、カシマ達はやっていたのだ。

 もう、黙ってなどいられない。わたしはラトリアの健康を預かる身として直ぐにカシマへ説明を求めようとしたが、そこで初めてラトリアを含めたカシマ達研究チームが学院を離れていた事に気付く。

 心臓が冷えた。何処に行ったのかは分からないが、もしかしたらラトリアはこのまま戻って来ないのではないかと思ってしまったからだ。


 しかし、幸いわたしのそんな悪い予感は外れてくれた。カシマが初めて姿を見せた日から一週間後の夜、ふらりとラトリアが帰って来たのだ。

 だが……わたしの前に姿を見せたラトリアの手には、出て行く時には持っていなかった魔導具が握られていた。

 幼さの残るラトリアには明らかに似合わない、一目で武器と分かる代物。わたしは困惑したが、取り敢えずラトリアの手からその魔導具を外して、力一杯抱き締める。そして、聞いた。


『お願い、わたしに教えて。一体、ラトリアは何をされているの?』


 真っ直ぐに視線をぶつけるわたしの問いに、ラトリアは少し躊躇った後……ぽつぽつと、語ってくれた。

 ラトリアの口から聞かされたのは、十年以上に渡って行われてきた人体実験について。思わず耳を塞ぎたくなったが、真実を見極めてラトリアの現状を変えてあげたいと思っていたわたしにそれは許されなかった。

 一晩かけて全てを聞いたわたしは、即座に行動を起こした。湧き上がる怒りを抑え込み、あくまで魔法に携わる一学者としてカシマに自分達が行っている研究の残虐性と違法性について説き、研究を中止させようとしたのだ。


 しかし。そんなわたしの言葉を聞いたカシマの返答は、どこまでも残酷だった。



『下らないな。試製01号プロト・ワンはボクが今一番心血を注いでいる被検体だ、ボクが満足する結果を得られるまで研究は終わらないよ。キミが気にする必要は無い』



 そう言って、カシマはしっしと手を振った。余りの言い草に感情を露にして抗議しようとしたわたしだったが、周りに居た警備を担当していると思われる魔導士ウィザード達に研究室から締め出されてしまった。

 そして、その日の内にわたしには魔法医療学部への復帰が通達された。一連のやり取りの中で、カシマはわたしの存在が研究の妨げになると判断したのだろう。

 異動の書類を持って来たエルヴィンに対して、ラトリアにはまだ治療の必要がありわたしが傍を離れる訳にはいかないと食い下がった。あのカシマを相手に何か出来たのかと言われれば疑問だが、当時のわたしは兎に角このままラトリアを一人にしてはいけないと思ったのだ。

 だが、エルヴィンは『心配は要らない、後任は直ぐに見つける』と冷たく返すのみ。最早決定事項となった離任……わたしは、従うしかなかった。

 力無く項垂れたわたしに、全ての会話を聞いていたラトリアは優しく語り掛けた。『ありがとう先生、ラトリアは大丈夫だから』と。


 それが虚勢だと分からない程、ラトリアとの関係は浅く無い……だから、わたしは決断した。どうにかして、ラトリアに選択肢を用意しようと。


 それから数日を掛けて、わたしは身辺を整理した。その間どうにかカシマ達が行っている人道を無視した違法な研究を告発する為の物的証拠が見つからないかこっそり調査もしてみたが、残念ながらそれは叶わなかった。

 残されたのは危険を伴う直接的行動のみだったが、わたしは迷わなかった。ラトリアの未来きぼうに繋がるのなら、この身がどうなっても構わないと考えていたから――。


「……何?」


 過去の光景を振り返っていた時、わたしは不意にベッドから身を起こした。

 外が、何やら騒がしい。さっきまで静寂に満ち溢れていた筈の廊下から怒号の様な声が幾つも聞こえてくる。明らかに異常だ。


 正体の知れない高揚を感じると同時に、冷たかった空気が熱を帯びる……いや、本当に温かい。と言うか、熱い・・


 しっとりと流れ出した汗を、わたしは慌てて拭う。その時、喧騒を打ち消す一際大きな“ゴウッッ!!”と言う大きな音が壁越しに感じられる熱波と共に響き渡り、わたしはびくりと肩を跳ねさせた。

 そして再び訪れる、静寂。ゴツゴツと何かが足早に廊下を駆けて来る音が近付いてきて、わたしは思わず手元にあったシーツを抱き寄せた。

 足音は、部屋の前でピタリと止まった。わたしがその場から動けずにただじっとドアを見詰めていると、“ヒンッ”と言う澄んだ音が響くと同時に鍵が掛かっていたドアに斜めの赤い線・・・・・・が奔った。

 鋼鉄製のドアが、熱したナイフで裂かれるバターの様に切り開かれた。ガタンと倒れたドアの向こうからずんずんと入って来たのは、大きな人影だった。



「――失礼。フィーラ殿ですね?」



 ……後にガレオと名乗った人影は縮こまるわたしの不安を消し去る様に、手に持っていた大剣を地面に突き立ててそっとこちらに手を伸ばした。

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