第117話 回想:フィーラ-4

 場違いな感情を抱きかけ、わたしは慌てて頬を叩いて意識を切り替える。ぱちんぱちんと乾いた音が響いたとき、遠くから足音が聞こえてきた。


「――ガレオさん、ここに居ましたか!」


 また襲撃かと身構えたが、やって来たのは重装備に身を包んだ屈強な男性とそれに付き従う三人の男性だった。

 出で立ちを見るに、先頭の男性は明らかにガレオさんと同じスレイヤーだ。後ろの三人は、ギルドの職員や学院の関係者だろうか。


「首尾は?」

「はっ! 研究棟全体の制圧は粗方終わりまして、今は総出で違法行為の証拠となる資料の押収と後始末に取り掛かっています……そちらの女性は?」


 報告を行っていたスレイヤーの男性が、兜の隙間からこちらを窺う。わたしがぺこりと頭を下げると、ガレオさんが手短に説明してくれた。


「今回の件で、首謀者のカシマ達に監禁されていたフィーラ殿だ。事前の調査書に書いてあっただろ」

「ああ、成程。ではこちらの方が魔法医療学部から派遣されていた?」

「そう言う事だ」


 二人が話し合っている間、他の三人はあちこちに倒れていた魔法科学研究部の人間の元へと向かう。どうやら彼等は医療に従事している者達だったようだ。


「しかし、随分と派手にやりましたね」

「かなり抵抗されたんでな……それより、カシマの身柄は確保出来たか?」


 ガレオさんの問いに、先程まで軽快に答えていた男性が言葉に詰まる。それを見たガレオさんの眉間に皺が寄った。


「申し訳ありません。現在建物のありとあらゆる場所を探してはいるんですが、どうしても姿が見えません」

「そうか……場合によっては学院全域に手を伸ばす必要があるな。よし、悪いがお前は今すぐギルドに増援を要請しに行ってくれ。オレの名前を使って構わん」

「はっ!」


 ガレオさんの指示を受けて、男性は足早に去って行く。入れ違いになる様にして、更に医療班の人達がやって来て倒れている者達の治療に当たった。


「しかし、一体何処に隠れている? 出入口は完全封鎖、事前の監視では学院を出たという報告も入っていなかった筈だが」


 顎に手を当てて思案するガレオさんの横顔を見ていた時、わたしの脳内に電流が走った。だが、もしこの予想が当たっていたら……かなり面倒な事になっている。


「あの、ガレオさん。カシマの行き先に一つ、心当たりがあります」


 意を決して伝えたわたしを見て、ガレオさんは驚きと共に目を細める。それから少し考える素振りをしてから、視線を戻した。


「……今は少しでも情報が欲しい。教えて頂けますか?」

「はい」


 そして、わたしは口を開く。厳戒態勢が敷かれているこの状況で唯一、カシマが逃げ果せる術と場所を。


 ◇◆


 騒然としていた場所から一変、わたしとガレオさんは不気味な程の静寂が包む空間へと降り立っていた。


「これは……」


 物音一つせず、ひんやりとした空気がわたし達を包む。油断無く大剣の柄に手を掛け周囲一帯を警戒するガレオさんに、わたしは説明をした。


「ここは、研究棟内の地下四階に当たる部分です。建物の構造として公になっているのは地下三階までですが……」

「成程、存在しない筈の階層と言う訳ですね?」

「はい。この場所を知っているのは魔法科学研究部の人間でも極一部の筈です」


 思い返されるのは、万全な治療体制の確立を名目に研究棟内を奔走していた時の事。資料庫を漁っていた時、手に取った古いファイルの中から偶然折り畳まれた一枚の紙が落ちてきたのだ。

 色褪せてはいたが、それは確かにこの建物全体の見取り図だった。何気なく目を通して初めてわたしはこの場所には隠された最下層があると知った。


 同時に、そんな物が存在している理由も地図と一緒に挟んであった書類から知る。


「『魔法科学研究部内で不測の事態が起きた際、研究資料と主要研究員を外部へと逃がす為の緊急退避区画エスケープエリア』。昔は誰でも使えた様ですが、年月を経た今では限られた上層部の人間の保身の為・・・・に使われていたみたいです」

「保身の為、ですか。こんな物を使う事を想定する位には自分達の行いの一部に法に触れる部分があると自覚していたと……度し難いな」


 低い声で吐き捨てたガレオさんに、わたしは頷いて同意した。それから、空間の奥に歩を進める。

 ここまで来る途中にあった部屋から拝借した魔導機灯ランタンで、進路にあった闇を払う。開けた視界の先から現れたのは、昏々と暗闇が続く一本の通路だった。


「この道は、≪グランアルシュ≫の外門付近の裏路地まで続きます。なので、もしカシマが逃げるとしたらここを使うんじゃないかと思ったんです」

「成程、理に適っている」


 わたしの仮説を聞いたガレオさんは、通路の中に一歩踏み込んでから徐にしゃがみ込む。全てを射貫く様な鋭い視線が、床に向けられていた。


「長い間、使われていなかった様ですね。かなり埃が積もっている……が」


 一度言葉を止めたガレオさんが、手招きをする。わたしは促されるまま、隣にしゃがみ込んでガレオさんの指先を追った。


「足跡が三人分、奥へと続いています。古いのが二つ、比較的新しいのが一つ……サイズを見るに、全て女性の物の様だ」

「と言う、事は」

「十中八九、カシマはここを通って逃げたんでしょうね。往生際の悪い事だ」


 そう言って、深く溜息を吐いたガレオさんが立ち上がる。だがわたしはその場から動かず、足跡の中で一番小さな物に視線を落とし続けた。


「……古い二つは、フィーラ殿とラトリアの物ですね?」

「……はい」


 ガレオさんの指摘に、わたしは小さく返事をした。


「あの時わたしは、ラトリアと手を繋いでここを通りました。暗くて、冷たい道ですが……この歪んだ鳥籠から逃げ出せる唯一の道だったんです」


 二人分の足音が木霊する中、何度も後ろを振り返ったのを覚えている。追手が来ない事を祈りながらわたしとラトリアは走り続けるしか出来なかった。


「本当は、外に出てからも一緒に行きたかった。でも、貨物を積んだ商隊に相乗りの交渉をしている時に魔法科学研究部の腕章を着けた人間が、遠くの方に見えてしまったんです」

「ラトリアを逃がす為に、囮になった訳ですか」

「はい」


 すっくと立ち上がって、わたしはガレオさんを見る。


「ガレオさん……追手を引き付ける為とは言え、右も左も分からない外界にたった一人でラトリアを放り出したわたしは……人でなしでしょうか」


 それは、過酷な選択肢を提示しながら責任を負い切る事の出来なかった、フィーラと言う女の懺悔だった。尋ねるべき相手を間違えていると思うが、どうしても問わずにはいられなかった。

 暫し、ガレオさんとわたしの視線が交錯する。沈黙を打ち破ったのは……ガレオさんだった。


「――確かに、ラトリアは過酷な旅路を歩んだでしょう。ですが、その先で彼女は信頼出来る仲間達に出会えました。フィーラ殿が動かなければ、そんな未来は絶対に有り得なかった」


 落ち着き払いながらも断固とした声音でそう言ったガレオさんは、ふっと笑って見せた。


「自由も夢を持つ事も許されない環境に身を置き続けるなど、生きながら死んでいる様な物です。フィーラ殿の行動は、そんな状況で半死人になっていたラトリアに生命いのちを吹き込みました。他の者がどう思うかは分かりませんが、少なくとも自分は己の身を顧みずラトリアの為に全てを投げうった貴女を……人でなしとは、断じて思いません」


 それを聞いて、わたしの心に閊えていた物が音を立てて砕け散った。同時に、頬を何かがつーっと流れるのを感じる。


「……ありがとぅ、ございます」


 流れ落ちる涙を拭いもせず、わたしは小さくお礼を返して頭を下げる。

 きっと、わたしは赦しが欲しかったのだと思う。もしかすると、誰からも与えられなかったかも知れない物だが……この人は、それをわたしに与えてくれたのだ。


「っ、あの。不躾ですが、お願いがあります」


 頭を上げて乱暴に手で涙を払ったわたしは、思い切って口を開いた。


「もし、許されるのなら……わたしを、このまま≪ミーティン≫に行かせて下さい。外が大変な事になっているのは分かっています、でもどうしてもこの目でラトリアの姿を見たいんです! 人手を割いて貰うつもりはありませんので、どうか――」

「それは駄目です」


 大きく頭を下げようとしたわたしを、ガレオさんはその大きな手を肩に置いて押し留めた。

 ……それは、そうだろう。ただでさえ状況が切迫しているこの状況で、一連の不祥事の証人の一人となるわたしを自由には出来ない。頭では分かっている、分かっているけれど!



「――一人では、行かせられません。行くのなら自分と共に」



「……え?」

「いや何、この強制捜査が終わり次第自分は≪ミーティン≫にとんぼ返りしなければならないのですよ。もしフィーラ殿を一人で向かわせて道中で何かあったら、ラトリア達に顔向けが出来ません。ですから、会いに行くのなら自分を含めたギルドの一団と共に≪ミーティン≫へと向かう……それが、条件です」


 そう言ったガレオさんは、少し悪戯っぽくニッと笑った。一泊置いて内容を理解したわたしは、安堵と共にぶんぶんと首を縦に振った。


「そ、それで構いません! ありがとう御座います!!」

「礼は要りません……さて、そうと決まれば手早くを片付けてしまいましょう。フィーラ殿、医療従事者としての貴女のお力をお借りしても宜しいですか?」

「はい、勿論!」


 勢い良く返事を返し、ガレオさんと共にわたしは踵を返す。


 不安は無い。胸中にあるのはガチャガチャと鎧を揺らして歩くガレオさんへの感謝と、きっとわたしが見た事の無い表情を浮かべているであろうラトリアへの想いだけだった。

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