第107話 慌ただしい帰還

【Side:アリア】


 ゆっくりと昇る朝日を背にした仮設町。しかし、その様相は微睡みの中にあるとは到底言えなかった。

 早朝にもかかわらず、町中に突貫工事で敷かれた道を沢山の人々が慌ただしく行きかっている。かく言うワタシも、その一人だ。


「はぁ、はぁ……!」


 息を切らせながら、足早に南へと向かう。南には臨時で作られたこの町の玄関口があるので、ムサシさん達が帰って来るとすれば恐らくそこからだからだ。


 ――ムサシさん達が≪ミーティン≫を発ってから一週間。事態は、予想を遥かに超える速度で動いた。

 ワタシを含めた町にいる全員がその異変・・を目にしたのは、昨日の事だった。シンゲン様達と共に仮設のギルド館でこれからの大まかな予定について話し合っていた時、にわかに外が騒がしくなった。

 ドラゴンの襲撃かと思い、慌てて外に出ると……地平の先に、有り得ない物が見えた。

 雲を突き抜ける、とてつもない高さの巨影。シルエットからそれが“樹木”だと理解するのに、一分ほど時間を要した。

 白亜はくあ樹海じゅかいに生える太古の木々が小枝に見えてしまう規格外のサイズ。そんな代物が、景色の中にポンと現れたのだ、当然町中は大混乱である。

 騒ぎを何とか今のレベルまで収めるのに丸一日を要し、結果本格的にギルドの総力を挙げて調査を行う事になったのは、巨樹が出現してから一夜明けた今日からとなったのだ。


「まだ、調査隊は出発していない筈……!」


 巨樹が現れたのは、地岳巨竜アドヴェルーサがいる方角だ。となれば、あの巨樹は地岳巨竜アドヴェルーサ絡みの物と考えるのが妥当。

 それはつまり、討伐に向かっていたムサシさん達が何か大きなアクションを起こした結果、ああいう超常的な現象が起きたとも考えられるのだ。

 ムサシさん達の帰る場所を守るのがワタシの役割だと理解している。それでも、流石に今回はこのままじっと待っているという選択肢は取れなかった。


(……!)


 視界に、慌ただしく町を出ていこうとする調査隊の一団を捉えた。息を切らせて傍まで走り寄った時、落ち着いた声音がワタシを引き留めた。


「――む、アリア殿か。如何なされた?」


 ここ数日ですっかり聞き慣れたその声に、ワタシは慌てて足を止める。声の主は、仮設町のトップとして指揮を執っている、シンゲン様だった。


「し、シンゲン様。申し訳ありません、お忙しい所を……」

「まぁまぁ、落ち着きなされ。そんなに慌てずとも、某は逃げないでござるよ」


 そう言って苦笑するシンゲン様を前に、ワタシは若干の羞恥心を覚えながらも何とか息を整えた。


「うむ、落ち着いた様でござるな……して、如何したでござる?」

「は、はい。その、調査隊の出発はこれからですよね?」

「む、そうでござるが」

「でしたら、その調査隊にどうかワタシも同行させて頂けないでしょうか?」


 そう言ったワタシを見たシンゲンさんは、一瞬目をぱちくりとさせてから、顎に手を当てて少し眉を顰めた。


「……アリア殿の心配は、尤もでござる。アレ・・地岳巨竜アドヴェルーサの討伐に向かったムサシ殿達が無関係だとは、流石に考えられないでござるからなぁ」

「はい。ですので――」

「しかし」


 食い付こうとしたワタシを、シンゲン様がぴしゃりと遮った。


「現状、向こうがどうなっているのか皆目見当もつかないでござる。場合によっては調査に相当な危険を伴う故、調査隊は某を筆頭とした青等級以上で固めているでござる。そこにアリア殿を組み込むのは……某としては、良しと言えないでござるよ」


 ゆっくりとそう諭すシンゲン様に、ワタシはくっと小さく奥歯を噛み締めた。

 シンゲン様の言う事は正論である。そもそもスレイヤーの最高位たる紫等級のシンゲン様が“駄目だ”と言えば、一受付嬢でしかないワタシはそれに従うしかないのだ。

 本来であれば、こうして不躾に頼みごとをする事自体が、ギルドに所属する身としてはタブーだ。

 ムサシさん達に出会う前のワタシが今のワタシを見ていたら、心底呆れていただろう。だが、どうしても抑える事が出来なかった。


「無理は承知の上です。ですが、それでもお願いします! もう、待てないんです……どうしても、ムサシさん達の無事をこの目で確認したいのです!!」


 恥も礼もかなぐり捨て、ワタシは大きく頭を下げる。それを見たシンゲン様は、しばし考えた後、ぽつりと言葉を漏らした。


「……若い、若いでござるなぁ」


 それは、何処か哀愁を感じさせる声だった。何かを懐かしむ様な、遠い昔に思いを馳せる様な、そんな声。


「今のアリア殿は、某から見るとらしくない・・・・・でござる」

「それは、ワタシも自覚しています」

「しかし、その“らしくなさ”は決して悪い物では無いでござるよ。現に、その“らしくなさ”に某も当てられてしまった訳でござるからな」

「……! それじゃぁ」

「うむ。条件付きではござるが、某達と共に――」



 ――――ドドドドドド!――――



 どうにか話が纏まり掛けたその時、遠くから微かに地を蹴る音が聞こえて来た。

 同時に体の芯を駆け抜ける予感。それを感じたのはどうやらワタシだけではなかった様で、シンゲン様は弾かれた様に町の外へと目を向けていた。


「……アリア殿」

「はい、間違いなくあの人・・・です」

「であるな」


 二人で顔を見合わせた後、他の怪訝な表情で困惑している調査員達の間を縫って一番前まで出た。

 朝靄の中を、猛然とこちらに向かってくる影。みるみる内に迫って来るそれに、思わず集結していたスレイヤー達が臨戦態勢を取ろうとしたが、シンゲン様がそれを制した。


「やめ、あれは敵ではない! あれは……」


 最後まで言い切る前に、ごうと風が吹いた。ガガガッと地面を強引に踏み砕いてブレーキを掛けたのは、今まさにその無事を確認しようとしていた相手――ムサシさんだった。



「――おっ、アリア! わざわざ出迎えとはありがたいねぇ、それにシンゲンさんも!」



 丁度ワタシの目と鼻の先で止まったムサシさんは、そう言ってニッと笑った。それを見ただけで、張り裂けそうだったワタシの胸はあっという間に落ち着きを取り戻した。


「当然です。ワタシは、皆さんの専属受付嬢なんですから……おかえりなさい。無事で、本当に良かった」


 つい先ほどまで我儘を言って町を飛び出そうとしていた事など忘れて、ワタシは笑みを作る。それを見ていたシンゲン様が、くつくつと笑った。


「あっ! も、申し訳ありませんシンゲン様。あの、その……」

「いやいや、結構結構! 良かったではござらぬか、こうして想い人の無事を確認出来て」


 遂に隠す事無く笑い声を上げ始めたシンゲン様に、ワタシは恥ずかしさを堪えて顔を伏せるしかなかった。ムサシさんはと言えば、頭上に疑問符を浮かべて首を傾げている。


「して、ムサシ殿。聞きたい事は山ほどあるのでござるがその……それは、一体どうしたのでござるか?」

「へ? あぁ、これはその……諸事情でこうやって帰って来るしかなかったんすよね」


 そう言って、ムサシさんは背に担いだストラトス号をちらりと一瞥してからはははと笑う。

 これはつまり、この重量物を背負ったまま地岳巨竜アドヴェルーサと戦った場所から帰って来たと言う事だろうか。となると、車内にはリーリエとコトハさんとラトリアさんが?


「っと、それ所じゃねぇ! アリア、エイミーさんって今どこにいる!?」

「え、エイミーさんですか? それでしたら、町中にある仮設の治療院に……」


 そこまで言って、ワタシはハッとする。


「まさか、誰かが怪我を!?」

「ああ。俺とリーリエとコトハは大丈夫なんだが、ラトリアがちょいしんどい事になってる。悪いが、案内してくれ」

「分かりました、こちらです」


 事態を把握したワタシはすぐさま踵を返して町中へと向かおうとした。しかし、はたとある事を思い出して足を止めて後ろを振り返る。


「シンゲン様、色々とご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。お叱りは後で受けますので、今は……」

「それはいいでござる。それより、早く治療院へ。ムサシ殿達の報告は後で受けるでござる」

「ありがとう御座います!」

「あざっす!」

「うむ……ああいや、一つだけ!」


 ずんずんと地面を打ち鳴らして歩くムサシさんを先導して足早に治療院へ向かおうとしたワタシ達を、シンゲン様が慌てて呼び止めた。


「ムサシ殿、地岳巨竜アドヴェルーサはどうなったのでござるか? それだけを、聞かせて頂きたい!!」


 朝焼けの世界に響く大声で後方から問い掛けたシンゲン様に、ムサシさんは足を止めてぐるんと振り返った。



「勿論、バッチリ討伐しましたよ!!」



 シンゲン様に負けじと張り上げたムサシさんの声が、辺り一帯に轟く。それを聞いた時の調査隊と、町中を行きかっていた人々の顔を、ワタシは一生忘れないだろう。

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