第67話 即時撤退

 天を劈く咆哮は、俺が立っている巨樹きょじゅを遠慮無しに激しく揺さぶる。耳がバカになりそうな大音量だったが、やがて残滓を残しながらゆっくりと収まっていった。

 その途方も無い大きさの図体に見合う緩慢な動作で、村一つを飲み込んでしまいそうな大口が閉じられる。しかし、地岳巨竜アドヴェルーサのその後の行動は予想だにせぬものだった。

 後ろ脚と短い尻尾を引き抜き、完全に地表へと躍り出たヤツは、てっきりそのまま地形を壊しながら前進するかと思ったが……徐にその四本の脚を折り、地面へと伏せてしまった。

 地を這う低く長い周期の音を響かせ、ヤツの巨体は完全に地面へと接地する。そうしている内、爛々と見開かれていた瞳に、静かに瞼が下ろされた。

 辺りには、未だにヤツが巻き起こした天変地異の余波が残っている。しかし、それらは地岳巨竜アドヴェルーサが行動を停止させると共に徐々に落ち着いていった。

 やがて……ピタリと、白亜はくあ樹海じゅかいが静寂を取り戻す。状況から察するに、恐らくアイツはのだ。


「何だ? 地面掻っ捌いて出て来るのにエネルギーを使い切っちまったのか……?」


 ありとあらゆる常識をブチ壊す超常の存在に、俺の脳内には疑問の嵐が巻き起こる。しかし、それを直ぐに打ち払って俺は思考を回転させた。

 何にせよ、身動きが取れる様になったのは事実。であるならば、ヤツが再び動き出す前に行動を起こさなければならない。

 そう結論付けた俺は、最後にヤツを一瞥してその姿を目に焼き付けてから、足場にしていた巨大な枝から一息で飛び降りた。

 瞬く間に、重力が俺の体を下へ下へと導いて行く。バキバキと大小様々な枝をへし折りながらも、見る見るうちに地面へと吸い込まれていき、ズンッと言う音と振動と共に俺は巨樹きょじゅの根本へと着地した。

 ピリピリと脚に残る痺れを瞬時に打ち消し、俺は地面を蹴って残して来たリーリエ達の下へと向かう。未だに【防壁展開プロテクション】の傘の下に入ったままだった彼女たちの下へで辿り着くと、魔導杖ワンドを天に向かって構え続けていたリーリエの肩に、ポンと手を置いた。


「リーリエ、もう大丈夫だ。魔法切っていいぞ」

「あ、はい……」


 自分達を襲った異常事態に呆然としながらも、リーリエは俺の言葉に従いゆらゆらと展開していた魔法を解除する。

 魔導杖ワンドから白い光が消え、リーリエ達を守っていた【防壁展開プロテクション】がキラキラと光の粒子になって消えていった。

 漸く訪れた平穏。しかし、今はそれに安堵している時間は無い。早急に、これからどうするかを全員で考える必要があった。


「ムサシはん、今のって……」


 辺りを警戒しながらも、しっかりと二本の脚で立ち上がったコトハが言葉を漏らす。俺はそれに、静かに頷いて見せた。


「ああ、地岳巨竜アドヴェルーサの仕業だ。今、樹の上から全部見て来た……アイツ、どうやら地中を掘り進んで移動していたらしくてな。今の大地震は、あの野郎が地面を派手に吹き飛ばしてお天道様の下に出てきた結果起きたモンだ」


 俺が淡々とそう告げると、皆が息を呑んだ。

『信じられない』『まさかそんな』……そう言った感情がありありと伝わって来る表情を浮かべていたが、一泊置いてハッと顔つきが変わる。

 予測していた一つの可能性が、現実となった。それを理解したなら、即座に頭を切り替えなければいけない。皆、重々承知している事だ。


「ヤツについての詳しい事は後で話す。兎に角、今やらなきゃならん事はこの後どう動くかだが……ラトリア、体は平気か?」

「あ……う、うん」


 俺が投げかけた問いに、ラトリアは体を上げたリーリエの下から上半身を起こし、コクコクと頷く。

 ヤツが大地震を引き起こす直前、ラトリアは謎の苦痛に襲われていた。十中八九、あのデカブツの所為だとは思うが、一体何が起きたんだ?


「二人とも、ラトリアの調子がおかしくなったのはアイツの所為か?」

「そうだと、思います。あの地震が発生する直前から、一時的ではありますがこの辺りに漂う大気中の魔力濃度が一気に上昇しました。その所為で、ラトリアちゃんの体内の魔力がしてしまったんだと思います」

「うちとリーリエはんはそこまで大きな影響は受けへんかったけど、ラトリアはんの場合六つの属性を持っとるから、多分うち等よりもずっと大きく体に変化が現れたんやと思うわ」

「成程。ラトリア、今は平気か?」


 二人の話を聞いてから、片膝を付いてラトリアの様子を窺うと、ラトリアは何度か自分の体をペタペタと触ってから、こくりと頷いた。


「ん……大丈夫。どこも、痛くないし……熱くも、ない」

「そうか。多分、アイツが寝入った事も関わってくるんだろうな」

「寝入った、ですか?」

「ああ」


 ラトリアの頭をポンと一撫でしてから、俺は立ち上がってヤツが腰を落ち着けた方角を睨み付ける。相当な距離があるにも拘らず、ずっしりと重苦しい気配が木々の間から漂って来ていた。


「何でそうなったのかは分からん。地表に出る際に体力を消耗しちまったからなのか、他の要因があるのか……確実なのは、動くならって事だ」


 そう言って、俺は視線を元に戻して全員の顔をぐるりと見る。


「クエストは中止、致し方無し。散らばった荷物を回収して、最寄りの馬宿まで出来る限りの最速で戻る。何か異論はあるか?」


 俺の問いに、リーリエとコトハとラトリアは首を横に振って立ち上がる。よし、したらばちゃきちゃき動いてすたこらさっさだ。


 ◇◆


 取り敢えずの方針を決めて、散乱していた食器やら道具やら色々をマジックポーチにぶち込んだ俺達は、一番近くにある馬宿まで最短距離で戻って来た。

 緊急事態につき、リーリエとコトハを両腕に抱え、ラトリアを頭の上に乗っけて白亜はくあ樹海じゅかいを強行突破した。

 馬宿に辿り着くと、案の定と言うか混乱を極めていた。そりゃそうだ、何の心構えも無くあんな大地震に晒されたら誰だってこうなる。恐らく、近場にある村や町も同じ様な状態になっているだろう。

 ろくすっぽ確認が取れていないドラゴンの情報を流して、民衆を混乱させる訳にはいかないってギルドの理屈は分かるが、今回ばかりは裏目に出たと言わざるを得ない。

 とは言う物の、もう手遅れだ。こっから先は、各地で起きている混乱を収めつつ対策を練るのが、ギルドの大きな仕事になるだろうな。


「あっ、ムサシさん!!」


 リーリエ達を降ろした時、馬宿の方から何人かのスレイヤーが走って近付いて来た。そこまで親しい間柄と言う訳では無いが、皆同じ≪ミーティン≫のギルドに出入りしている顔見知り達だった。


「おう、お疲れ。そっちは大丈夫だったか?」

「え、えぇ何とか。そっちの方は……」

「見ての通り、全員無事だ。それより、今この場に居るスレイヤーの中で状況を奴はいるか?」


 俺がそう聞くと、話し掛けて来た若い男のスレイヤーは首を横に振った。後ろに居た他の面々も、同じ様に首を振る。

 この分だと、今まで起こった全ての事象の原因が地岳巨竜アドヴェルーサだって把握してんのは俺達だけかもしれん。


「そうか、分かった。端的に伝えるが、あの地震やら何やらは全部一匹のドラゴンの仕業だ。白亜はくあ樹海じゅかいを一望出来る場所から確認したから、間違い無ぇ」


 その言葉に、一気に空気が張り詰めた。いつの間にか馬宿の管理人や一般人の利用者、建物の中に居たスレイヤー等も集まって来ていたので、情報が一気に伝達してしまったようだった。

 案の定、一気にあちこちから様々な声が波を打って上がる。あぁもう、これは俺が動くしかねぇ!



「――落 ち 着 け ッ ! !」



 騒めき立ち、今にも我先に動こうとしていた連中を俺は大声で黙らせ、静止させた。こういう時、俺の出で立ちってのは役に立つ。


「先ずは落ち着け。こういう時は、パニック状態で動き回るのが一番駄目だ。俺の話をよーく聞く様に……オーケー?」


 声を張り上げて全員の顔をぐるりと見渡せば、はち切れそうになっていた混乱が収束していく。その様子を見届けてから、俺は言葉を続けた。


「よぅし、それでいい! 荒唐無稽な話だろうが、今は信じろ。信じた上で、冷静に行動するんだ……オイ、この馬宿を利用して樹海ん中まで繰り出していた奴で、まだ戻って来ていないのが居るかどうか把握している奴はいるかァ!?」


 俺の問いに暫しのざわめきがあった後、一人の初老の男性が手を上げた。


「こ、ここの主人です! 利用者の名簿があるので、照らし合わせれば誰が居て誰が居ないのか分かります!」

「あざっす! したらば、所在の確認が取れた奴から白亜はくあ樹海じゅかいの外へ退去! 近間にあって一番安全なのは≪ミーティン≫だから、そこを目指して全力で撤退! 優先は民間人からだ、スレイヤーはパーティー毎に馬車の護衛! 分かったら返事ィ!!」


 半ば怒鳴る様にしてそう告げれば、あちこちから返事が聞こえ、各々が一斉に行動を始めた。


「はぁ……すまん、皆。勝手に仕切っちまった手前、俺達の撤退は一番最後になる」


 その場に残ったのが俺達のパーティーだけになったのを確認し、俺はくるりと後ろを振り返ってリーリエ達に謝罪する。それに、彼女達は首を横に振った。


「構いません。もし戻って来ていない人達が居たら、私達で探しに行きましょう」


 凛とした視線を真っ直ぐ俺に向けてそう言ったリーリエに、俺は頷いて返した。

 正直に言って、他の区画ブロックにある馬宿まで手を回す余裕は無い。申し訳ないが、白亜はくあ樹海じゅかいの中にあって、ここから離れている別の馬宿を利用している者達には、どうにか頑張って各自の判断で動いて貰うしかないだろう。


「何を置いても、先ずは≪ミーティン≫に戻って事態の報告だな……クソッたれ、どうすんだよコレ」


 俺は小さく一つ舌打ちをして頭を掻きながらリーリエ達を引き連れ、名簿を取り出した馬宿の主人に群がっている群衆の下へ向かった。

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