第61話 らしくない!

 ☆★


「普通、その位の年頃の子供っつったら、一番親に甘えたい年頃だろ? でも、ラトリアはそれが出来なかった。やる前に……死に別れちまった」

「……はい」

「それどころか、ラトリアは心の傷が癒えたかどうかも分からねぇうちに、頭のイカれた研究者共に連れてかれちまった。そっから先は……」


 ぷつりと、ムサシさんの言葉が途切れる。やり切れないといった様子で小さく振られた頭に、ワタシはそっと手を添えた。


「どれもこれも過ぎちまった事だ。今更、どうする事も出来やしないって、頭では理解してる。だが、心ではどうにも納得出来ない。もっと、こう……俺は、ラトリアに何か出来たんじゃないかってよ」


 そこまで言って、ムサシさんはふっと自嘲気味に笑った。


「……馬鹿な考えだってのは分かってる。そもそも、当時の俺の姿は魔の山にあった。逆立ちしたって、どうこう出来る訳ねぇんだよ」


 ぴゅうと、夜風が頬を一撫でする。それを最後に、ピタリと風は収まった。葉が擦れ合う音も消え、耳に届くのは互いの鼓動と、息遣い。そして、声だけだ。


「それでも……それでも。俺は、怒りを覚えずにはいられない。ラトリアから家族を奪ったドラゴンにも、ラトリアから自由を奪ったバカ共にも、当時のラトリアに手を差し伸べる事が出来なかった、自分自身にも……」


 ムサシさんは僅かに顔を上げると、視線を遥か彼方へと向ける。その先に広がるのは、夜の海に沈んだ街並みだ。


「アリア、教えてくれ。戻れもしない過去を悔やんで、あったかもしれない未来幻想を夢見て、叶わないと分かっているのに手を伸ばす俺は……愚か者バカなのかなぁ」


 そう言うと、ムサシさんはまた顔を伏せてしまった。そこに、いつもの威風堂々とした雰囲気は全く無い。まるで、無い物ねだりをする幼子の様だ。


「……らしくありませんね」


 自然と、ワタシの口から言葉が落ちる。体をぐいとずらして、ワタシは伏せたままだったムサシさんの頭を掴むと、腕に力を入れて強引に引き起こした。


「全然、らしくありません。いつものムサシさんなら、かどうかの答えを、誰かに求めたりなんてしません」

「……そうかな」

「はい。ムサシさんを間近で見て来たワタシが、断言します」


 ふぅと一つ息を吐いて、ワタシはただでさえ近かった顔を更に近付ける。普段なら耳の一つでも赤くしそうな行為だが、今のワタシに心の動揺は無かった。


「ハッキリ言って、ムサシさんの怒りはひどくな物です」


 ワタシがバッサリとそう切り捨てると、ムサシさんの口から「ぐへぇ」と情けない呻き声が漏れる。

 我ながら血も涙も無い言い方だと思うが、別にムサシさんの事を貶している訳では無い。寧ろ、そのだ。


「ラトリアさんの身に降りかかった災厄を、今更ムサシさんがどうこうする事なんて出来ません。だからと言って、その事に怒りを覚えるなんて、あまりにも理不尽だと思いませんか?」

「そりゃあ、まぁ」

「ですよね? 今のムサシさんのは、『時間も何もかもを無視して全てを己の手で救う』と言っているんです」

「……そう言われると、確かに不遜以外の何物でも無いな」

「はい」


 でも、と言葉を続けてワタシは真っ直ぐにムサシさんの瞳を覗き込む。夜空より鮮やかな深い黒色の視線が、ワタシの蒼い瞳から注がれる視線と交錯した。


「ムサシさんのその“不遜さ”は、決して悪い点ではありません。普通は『どうしようもない事だから』と受け流す所を、ムサシさんはそれを良しとせずどうにかしようとしている訳ですから。『分を弁えない愚か者』と見る人もいるかもしれませんが、ワタシはそうは思いません」


 リーリエやコトハさんだって、きっとワタシと同じ事を口にする。誰かの為に覆らない事を覆そうとするムサシさんを、称えはすれど貶す事など有り得ないのだ。


「ムサシさんは間違っていません、それは保証します。ですが、その行き場の無いやるせなさと怒りは、もっとに向けるべきです」

「別の、事」


 静かな声音で聞き返したムサシさんに、ワタシは小さく頷いて見せた。


「ラトリアさんの過去をどうにかするなんて真似、如何にムサシさんと言えど出来る事ではありません。ムサシさんもワタシ達も、地に足をつけて生きる人間なんですから……でも、ならどうです?」

「――!」


 “未来”という言葉に、ムサシさんの目が僅かに見開かれる。ワタシは、ゆっくりと言い聞かせる様にしながら言葉を続けた。


「ラトリアさんは、ワタシ達に自分の辛い過去を聞かせてくれました。その上で、この先どうしていきたいかと言う事も」

「……スレイヤーとしての格を上げて、フィーラ先生に会いに行くってヤツだな?」

「はい。それを叶える為に、ワタシ達も協力を惜しまないと決めました。ですが……その目的を果たした後の未来予想図ビジョンを、ワタシ達はラトリアさんの口から聞いていません」


 今のラトリアさんにとっては、フィーラ先生の元へ行ける様になるのが最大の目的だ。しかし、そこを通過した後にも道は続く。その道こそが、ワタシが口にした“未来”だ。


「ラトリアさんは、自分の境遇を受け止めながらも前に進もうと頑張っています。なら、今のワタシ達に出来るのは、ラトリアさんが目的を達成した後に、少しでも幸福な未来を歩ける様に後ろから支えてあげる事だと思うんです」


 ワタシがそう言うと、ムサシさんは合点がいった様だった。その証拠に、消え去っていた覇気がゆっくりとワタシとムサシさんの間に満ちていく。


「……そうだな、アリアの言う通りだ。腹の内に巣食うこのも、全部エネルギーのベクトルを変えて、ラトリアが望む未来を掴む為の手助けに使う。それが、最善なんだな」

「はい。フィーラ先生の仰った事をなぞる形になりますが、ラトリアさんは誰よりも幸せになるべきだと思うんです。その幸せのカタチは当然ラトリアさん自身が描くものですが、ラトリアさんが描いた幸せに近付く為の手助けをワタシ達がしても、バチは当たりません」


 断固としたワタシの言葉に、ムサシさんは小さく口元を緩める。そして、腕を解いて優しくワタシの腕を取った。


「ああ、俺もそう思う……しかし、何だか懐かしいな」

「え?」

「いや、斬刃竜ハガネダチの件でコトハに手を貸すって決めた時も似たような感じだったからさ。状況や経緯は違えど、本質的にはまた同じ事をやるんだなって思ってよ」

「……ワタシ達、お節介焼きですね」

「ああ、俺のがアリア達にも伝染うつっちまったのかもな」


 そう言って、ムサシさんはニッと穏やかに笑う。ワタシも釣られて小さく笑うと、ムサシさんはその大きな腕でワタシの体をぎゅうと抱き締めた。


「……ありがとうな。アリアのお陰で、心のつっかえが取れた」


 耳元でそう囁かれ、ワタシはの体温は一気に上がる。張り詰めていた糸が切れて、羞恥心が戻って来たのだ。


「き、気にしないで下さい。ワタシは、その……ムサシさんの恋人として、当然の行動をしたまでですので」

「そう言って貰えると助かる。いやはや、やっぱイイ女だねぇ」


 イイ女。平然とそう口にされて、益々体が熱を帯びるのをワタシは感じる。きっと、今のワタシは耳まで真っ赤だ。


「あ、あの。ちゃんと後で、リーリエとコトハさんにも言ってあげて下さいね? その、イイ女だって」

「分かってる。だが、今はお前だ」

「あぅ……」


 抱き締められたまま全身に染み渡る様な低い声でそう言われると、もうワタシは何も出来なくなる。少し、リーリエとコトハさんに申し訳なくなってしまった。


「さてと。どうする、もう帰るか?」

「あ……」


 すっと顔を離してそう聞いてきたムサシさんに、ワタシは直ぐに返事を返せなかった。

 名残惜しい感覚が、あっという間に心を満たす……り、リーリエとコトハさんは、ワタシと比べてムサシさんと一緒に居る時間が長いですから……今日くらいは、いいですよね?


「……もう少し、一緒に居たいです」

「おっけー、したらば出来るだけ体が冷えない様にしような」


 もごもごと返したワタシの返事を、ムサシさんは快諾する。そして、ワタシの体をその大きな体と腕ですっぽりと覆って抱き締め直した。


「よし、これなら大丈夫だろ」

「ありがとう、御座います」

「おう……綺麗な、星空だな」


 ぐっぐっと体の位置を調整したムサシさんが天を仰いで、そう呟く。自然とワタシもムサシさんと同じ方へと視線を向けて、夜の空を見上げた。


「えぇ、そうですね。本当に……キレイ」


 雲一つ無い満点の星空の下。ワタシとムサシさんは再び吹き始めた夜風に優しく体を包み込まれながら、暫し二人きりの天体観測を楽しんだのだった。

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