第56話 黄昏が照らす別離

≪シェイラ服飾店≫での買い物を済ませた後、俺達は市場を見て回ったり喫茶店で一息入れてまた他愛も無い会話をしながら街中を歩いていた。

 妖艶な衣服を身に纏うコトハを街の行きかう男共がガン見し、その隣に居る俺の姿を見てサッと目を逸らす。それを見たリーリエとアリアが苦笑し、俺ががっくりと肩を落とすのを見たコトハがころころと笑う……ここ最近のバタバタしていていた時とは違う、至って平和な光景だ。

 そうしている内に、辺りは黄昏色に染まる。こう言う時間という物は、過ぎ去るのがあっという間だ。


「そういや、コトハはこれからどうするんだ?」


 夕暮れの街並みを眺めて歩きながら、俺は何気なくコトハにそう聞いてみる。

 ハガネダチとの因縁にケリは付いた。これから、コトハは今まで出来なかった生き方を選べるようになった訳で……その未来予想図という物が、少し気になっていたのだ。


「んー、どうやろ。具体的な事は何も決めておりまへんなぁ」

「そうか……あっ!」


 その時、俺の脳内にある閃きがあった。


「もし何も決めてないなら、俺達のパーティーに入らないか?」


 俺の提案に、コトハが足を止めて目を丸くする。

 コトハのスレイヤーとしての腕前は疑うべくも無い。もしうちに加入して貰えるなら、こんなに心強い事は無い。

 ……と言うのが、。本音を言えば、ここまで一緒に頑張って来て、いざ目的を達成したら“全部終わりましたね、さようなら”じゃ、あんまりにも寂しい。

 それに、≪シェイラ服飾店≫で一瞬見せたあの表情が……どうしても、気になる。気にせず流してはいけないと、俺の勘が告げているのだ。

 ただ、これはあくまで俺個人の考えだ。コトハ本人の了承は勿論、リーリエとアリアが賛同してくれない事にはどうにもならない。


「――それ、いいですね!」


 パッと弾ける様に、リーリエが口を開く。それに同意する様に、アリアもまた小さく頷いて言葉を紡いだ。


「いいと思います。折角こうしてプライベートで付き合える仲になった訳ですし、コトハさんがムサシさんとリーリエのパーティーに加入してくれれば、クエストの遂行能力も格段に上がると思います……コトハさんさえ良ければ、ですが」


 これは、ちょっと予想外だった。リーリエとアリアが納得してくれるにしても、もう少し話し合ってからだと思ったが、この場で即決とは。

 だが、二人が良いと言うなら是が非でも無い。後はコトハ次第になる訳だが。


「うーん……少し、考えさせてもろてもええかなぁ?」


 そう言ったコトハの表情には、小さく苦笑が浮かんでいた。

 ……まただ。笑顔の裏に見え隠れする妙な感情の色。悪い物では無いが――良い物でも、無い。


「まだハガネダチの事が片付いたばっかりやから、うちも自分の身の振り方はしっかりと考えたいんよ」

「あ……そ、そうですよね」

「迷惑って事やあらへんよ? 根無し草のうちにとっては有り難い話やから……ただ、もう少しだけ考えさせてほしいねん」


 そう言って笑いながら、コトハはリーリエの頭を優しく撫でる。その表情は、優しさに満ち溢れていた。


「そうか……いや、悪い。俺の方も咄嗟の思い付きだったからよ」

「んーん、ムサシはん達は何も悪くあらへんって」


 小さく笑みを浮かべるコトハの髪が、夕暮れの光を浴びてキラキラと輝く。その光景が――何故か、俺にはもの悲しく見えた。


「……あっ。うちの宿はこの先やから、ここでお別れやね」

「ああ、そうか。最近は≪月の兎亭≫に泊ってたけど、元々コトハが取ってる宿は別なんだもんな……送ってこうか?」

「ん、大丈夫」


 コトハが、ふわりと俺達から離れる。咄嗟に、俺はコトハの背中へ声を投げ掛けていた。


「コトハ!」

「うん?」

「また明日な!」


 俺がそう言うと、コトハはピタリと足を止め此方を振り返る。そうして俺達三人の顔をしばし見詰め、ふっと笑った。


「――うん、ばいばい」


 その別れの言葉を最後にし、コトハの姿は人込みの中へと消えて行った。残された俺達は……暫く、その場で立ち止まったままだった。


 ◇◆


≪月の兎亭≫での夜。夕食を食べ終え、いつもの様に酒を酌み交わす穏やかな時間……なのだが。

 俺のジョッキに注がれた酒は一向に減らない。俺もまた口を付ける事もせず、じっとその中を見詰めながら口を開かずにいた。


「……ムサシさん? 飲まないんですか?」

「んー」

「ムサシさん、夕食もあまり量を食べていませんでしたが……どこか体の調子でも悪いのですか?」

「んー」

「……ダメですね、これは」

「はい……全然話が耳に入っていません」


 リーリエとアリアが何か口にし、溜息を吐いている。しかし、その内容にまでは注意が向かない。

 俺の中にあるのは、コトハの事だ。全て終わった筈なのに、引っ掛かる事だらけ……今日は特にそれが顕著だった。

 見えないのは、何もコトハの事だけでは無い。俺自身、どうしてここまでコトハの事を気に掛けているのか、分からなかった。

 確かに、コトハとは共に死線を潜り抜けた間柄ではある。しかし、それだけでここまで入れ込む物か?


(……入れ込む? 入れ込むって、何にだ?)


 俺が自分の中に沸き起こった疑問について考えようとした時、不意に両側の頬を誰かに引っ張られた。

 そこで初めて、俺の意識が外に向く。見れば、丸テーブルを挟んで座っていたリーリエとアリアが腕を伸ばして、俺の頬を左右に引っ張っていた。


「……やっと、こっちを向きましたね」

「す、すまん。考え事してたわ」


 俺の意識が引き戻されたのを確認して、リーリエとアリアが手を離す。そして溜息を吐きつつ口を開いた。


「その考え事って言うのは、コトハさんの事ですか?」


 リーリエにのっけから心を見抜かれた事に、俺は舌を巻く……まいったな。そこまで分かり易かったか?

 バツが悪そうに頬を掻いた俺に、リーリエに代わってアリアが問い掛けて来た。


「ムサシさん、よければ教えて頂けませんか? 一体コトハさんの何について、そこまで気にしているのか」


 アリアのその問いは、疑問というよりも確認に近い意図を感じた。つまり、得体の知れない違和感を抱いているのは俺だけじゃ無いって事だ。


「んー……今回の一件が片付いた事で、コトハの過去に一つのケジメが付いた訳じゃん? だからこそ、今日みたいに俺達と何の気兼ねも無く街に繰り出せたし、出会った時とは明らかに違う表情も出来た訳だと思うんだよ」

「……そうですね。今までの余裕が無い状態では無く、本心から笑えていたと思います」


 リーリエの言葉に、アリアも頷く。

 ふむ、その辺りの変化はリーリエ達にも分かっていた様だ。二人の顔を見比べながら、俺は言葉を続けた。


「だよな……でも、どうしても引っ掛かる事があった。シェイラさんの店で買い物をした時と、街で別れた時……どうにも、妙な違和感を覚えたんだよ。心から笑えていた事には違いないが、その裏に……なんつーか、言葉に言い表しづらい感情が一瞬見えたっつーかさ」


 頭の中にある、その時のコトハの顔を思い出す。緋色の瞳の奥に見えた物……アレは、一体何だったんだ?

 俺が頭を回してその正体について考えていた時、重々しい口調で言葉を発したのは、俺を真っ直ぐに見据えたリーリエだった。


「――諦観」


 それを聞いた瞬間、俺の中に驚きと疑問が同時に巻き起こり、心の中を激しく掻き回す。


「てい、かん?」


 リーリエが口にしたその言葉に、俺は思わず聞き返す……聞き返さずには、いられなかったのだ。

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