第57話 シンプルな想い

 諦観――長年の目的を達成し、新たな道も開けたコトハが、一体何を諦める必要があるんだ?


「……ハガネダチを討伐したその日。野営でムサシさんが外で見張り番をしている時……コトハさんが車内で泣きそうな顔をしていたのを見たんです」


 泣きそうな顔――それを聞いた時、俺の頭に後悔が浮かぶ。何故、何故その時に気付けなかったのか……そんな俺の様子を見ながらも、リーリエは静かに言葉を続ける。


「私の眼から見て、それはまるで何かを諦めている様でした……でも、途中ではぐらかされて、私が感じた印象以上の事……コトハさんの本心に迫る様な事を、知る事は出来ませんでした」

「……初耳、だな」

「言えなかったんですよ。少なくとも、ムサシさんがコトハさんが抱いているまでは……だって、コトハさんはムサシさんを眺めながらその表情を作っていたんですから」

「……!?」


 ガツン、と頭を殴られた様な衝撃が走った。同時に、俺の頭の中でバラバラだったピースが次々と組み上がっていく。

 何かを諦めていた……だとしたら、今日俺がコトハの中に見たアレは、何に対する諦めなんだ? それだけじゃない。俺はあのコトハの感情の中に、一種の覚悟の様な物も見た。

 極めつけは、街中で別れた時。夕暮れの光が照らし出すあの光景の中に感じた物は……。


「――ちょっと待てよ、俺が“また明日”て言った時、コトハは何て返した?」


 俺の記憶が正しければ、コトハは“ばいばい”と言った……それは、妙だ。

 “ばいばい”の後ろに“また明日”と付いていれば、特に違和感は無い。しかし、“ばいばい”単品だったら……まるで、もう会わないみたいじゃないか。


「あいつ……一人でいなくなるつもりか」


 ぞわり、とした感覚が背中に走ると同時に俺は立ち上がる。そのまま店の出口へと向かおうとした時、凛とした声が俺の動きを止めた。


「待って下さい、ムサシさん」

「リーリエ……」

「一つ、聞かせて下さい。ムサシさんは何をするつもりなんですか?」

「何って……そりゃ、コトハを……」

「引き留めに行くんですか? どうして?」


 そう問われると、俺は言葉に詰まる。その様子を見たアリアが、静かに口を開いた。


「ムサシさん。何も考えていないのなら、行くべきではありません。きっとコトハさんは何か大きな決断を下して、それに見合うだけの覚悟を持っている筈。そこへ考え無しに踏み込むのは、あまりにも無責任です」


 容赦の無い言葉が、俺の心に突き刺さる。

 ぐうの音も出ない正論。しかし、お陰で頭が冷えた……俺は立ったまま、冷静に自分の中にある感情を整理してみる。


 ――何故、俺はコトハを引き留めようとする? どうして、そこまで気に掛ける……?

 脳裏に蘇るのは、出会った日から今日に至るまでの過去映像。

 コトハは掴み所が無い様に見えて、実は凄ぇ人間臭い感情を遠慮なく発露させる様な一面を持っていた。その理由はどうであれ、ある一つの目的を成す為に頑とした信念を持ち、それを貫き通すだけの強さを持っている。


 そのどれのこれもが、泥臭く、そして――美しい。


 ピタリ、と全てのピースが組み上がる。思えば、最初に手を貸すと決めた時から……もう、俺の中にこの感情は芽生えていたのかも知れない。



「――惚れたんだ、コトハに。このまま顔も見ずに別れるなんて納得できねぇ……だから、会いに行く」



 それは余りに短く、シンプルな答えだった。

 他に言いようは幾らでもあるだろう。だが、俺は長ったらしくつらつらと言葉を繋げられるほど器用では無い。

 惚れた女が一人で行こうとしている。それを、黙って見送れる程俺は出来た人間じゃあ無いんだよ。

 俺が確固たる意志でそう告げて、リーリエとアリアの瞳を見る。二人もまた、目を逸らさずに俺の瞳を見詰め……ふっ、とその頬を緩めた。


「随分と、掛かりましたね」

「ええ。ムサシさんも、コトハさんも……お互い、ご自分の気持ちに気付くのが遅すぎます」


 ん? ちょっと待て、お互いにって……コトハも、同じ気持ちだと? リーリエとアリアは、とっくの昔に気付いていたのか!?

 あ、だから俺の気持ちを確認したのか。そして漸く、確証を得たって事か。


「行って下さい、ムサシさん。コトハさんがいなくなってしまう前に」

「コトハさんの本心に触れられるのは、今はムサシさんだけです。ワタシ達には出来ない事ですから……お願いしますね」

「……すまない。前に二人に言った控える云々は、どうにも俺には難しいみたいだ」

「ふふっ、元々私もアリアさんも当てになんかしていませんよ――さぁ、行って!」

「応ッ!」


 二人に背中を押されるように、俺は≪月の兎亭≫の出口を潜る。そして音も無くミーティンの夜空へと飛び込んだ。

 会ってどうなるか、それは分からない。結局は、俺の独りよがりで終わるかも知れない……だが、それでも会わずに別れるなんて選択肢は無い!


「……間に合ってくれよ」


 俺は夜空を駆けながら、半ば祈る様にそう呟いた。



 ◇◆◇◆



【Side:リーリエ&アリア】


「……行きましたね」

「そうですね」


 ムサシが出て行った扉を見て、リーリエは静かに喋りながら自分が持っていたジョッキの中身を揺らす。アリアも、リーリエの言葉に頷いて少しだけ麦酒エールを喉に流し込んだ。


「……良かったのかい、アンタ達」


 それまで、厨房の奥にいたアリーシャが顔を出し、濡れた手を拭きながらリーリエとアリアがついていたテーブルに自分の分の椅子とジョッキを持って来て腰掛ける。


「アリーシャさん……ええ、これでいいんです。どう転ぶかは分かりませんけど」

「ムサシさん次第な所もありますが、あの人なら大丈夫でしょう……リーリエ、少し聞きたいのですが」


 アリアが気になっていた事。それは、リーリエが野営の時に見たと言うコトハの様子についてだった。


「リーリエがコトハさんの想いに気付いたのは、先程話した野営の時ですか?」

「はい……確信を得たのは、今日ですけどね」

「それは、あの別れ際での一幕でですか?」

「そうですね。アリアさんも?」

「ええ」


 コトハと別れたあの瞬間。ムサシのみならず、リーリエもアリアも足を止めたのは……コトハの内側にあった感情を見てしまったからだ。

 それは、ムサシに想いを寄せている二人だからこそ気付けたもの。あの瞬間、リーリエとアリアはムサシよりもより深い場所にあるコトハの本心に気付いていたのである。

 しかし、二人はその場でそれをムサシに伝えなかった。それは、ムサシに伝えるのであればコトハ自身の口で伝えなければいけない、大切で尊い想いだったからだ。

 もしあの時、直ぐに二人が気付いた事を伝えていれば、ムサシはあの場で後を追っていたかもしれない。しかし、それでは駄目なのだ。

 自分の気持ちの正体も知らぬまま突発的に動くのではなく、ムサシ自身が己のコトハへの想いをきちんと自覚した上で動くのが、道理という物。

 コトハに真心まごころから向かい合う為には、そうでなければならないと、リーリエとアリアは考えていたのだ。


「コトハさんが最初にワタシの部屋で夜を明かした時、その片鱗には気付いていましたが……それが今日の一幕で、確信に変わりました」

「うっ……あ、アリアさんはそんな前から気付いていましたか」

「あの時、リーリエは眠っていましたからね。気付かなかったのも致し方ないかと」


 そう言って苦笑しながら、アリアは項垂れたリーリエの頭を撫でる。その様子を見ていたアリーシャは、感服した様子だった。


「いやはや……中々どうして、二人とも随分と強くなったね」

「そうですか?」

「そうでしょうか」


 リーリエとアリアは、アリーシャの言葉にあまり実感が湧いていない様だが、アリーシャの評価は変わらない。

 二人は、言ってしまえば自分の男を他の女の元へ走るのを後押ししたのだ。それも、純粋に自分達が愛した男と、その男が惚れたと言った女の事を想って。

 普通なら、そんな真似は出来ない。それが出来るのは、偏にリーリエとアリアのムサシに対する愛の深さと、コトハへの親愛故に。

 いつの間にか、二人にとってコトハはかけがえの無い友となっていたのだ。だからこそ、リーリエがアリアの想いを汲み取った時の様に、こうして誰も悲しまない結果になる様にとムサシを送り出した。


「……コトハさんは、ムサシさんにどう応えるんでしょうか」

「分かりません。ですが、ワタシは丸く収まると思いますよ」


 アリアがそう言い切ったのを見て、リーリエは小さく笑う。

 コトハがムサシと再び会い、その心を聞かされた時……それはコトハにとって、自分の本心と願いに向き合う時である。

 リーリエもアリアも、既にコトハの内にあるモノの正体には気付いている。そして、何故コトハが何も言わずに姿を消そうとしたのかについても、大まかな見当が付いていた。


「……頑張って、二人とも」


 ジョッキをテーブルに置いたリーリエは、祈る様にして手を組み合わせて、月下で向き合っているであろう二人の大切な人を想った。

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