第55話 シュレーディンガーのパンツ
ミーティンに帰ってこれたのは、ハガネダチを討伐してから三日後の早朝だった。
街の南門で俺達を出迎えたのは、ガレオを含めた数人の人物――中央から派遣されて来た、紫等級スレイヤーの面々だった。
そこでちょいと一悶着あったが、取り敢えずハガネダチの生首と頭角を見せて討伐を証明し、無事≪月の兎亭≫に帰ってこれたので結果オーライである。
シンゲンさんって名前の人は、割といい人だった。だが、他の二人は駄目だありゃ。確か、俺に突っかかって来た小生意気なクソガキはキールって名前で、高みの見物をしていた赤いねーちゃんはイレーネって名前だったか。
ねーちゃんの方はまだしも、クソガキの方がなぁ……ま、この先俺やリーリエ達にちょっかい出して来る様な事があったら、少し
で、それはさて置きだ。そんな事があった後ギルドに改めて顔を出したのは、≪ミーティン≫に帰還してから三日後だった。何故次の日に向かわなかったのかと言えば、帰って来たその日の夜に≪月の兎亭≫にやって来たギルドの職員から、「こちらから連絡員を向かわせるまで、出来るだけ外出を控えて待機していて下さい」と頼まれたからだ。
何でそんな事をする必要があったのか……まぁ、理由は俺にあったんだけどね。
「中央から来た人間が全員帰るまで待って貰ったんだよ。お前の事だ、どうせまた揉めるだろ?」
と、呆れた様子のガレオに言われて……俺は、何も言い返せなかった。ガレオめ、良く分かっていやがる。
しかし、別に俺は自分から進んでギスるつもりは無かったので、ガレオの気配りは正直有り難かった。
因みに、討伐したハガネダチの素材は全てコトハに譲る事にした。最初は“余りにも申し訳ない”と断られたが、リーリエとアリアの説得と、俺の「いつか里帰りした時、家族に報告するのに必要だろ?」と言う一言で、渋々ながら受け取ってくれた。
そんなやり取りをしながら、呼び出されたその日の内にパパパッと報告を終わらせた俺等が今何をしているかと言えば……。
「あ、これなんてどうですか?」
そう言って、リーリエが女性ものの服を一着手に取ってコトハに見せる。それを受け取ったコトハがうんうんと唸りながら防具越しに自分の体に服を当て、姿見で確認した。
「うーん、デザインは好みなんやけど……サイズが少し小さいかなぁ」
「あっ、確かに……」
「でしたら、こちらなんてどうです?」
リーリエと入れ替わるようにして別の服を持って来たアリアが、コトハの体に服を重ねてサイズを確かめる。
ハガネダチ討伐の事後処理が終わった俺達が足を運んだのは、ちょくちょくお世話になっている≪シェイラ服飾店≫だった。
何故ここに来たかと言えば、コトハの私服を選ぶためである。
発端は、報告書を作成しながら雑談をしていた時に、コトハが防具以外に持っている服が就寝用の肌着と下着のみだと分かった時。
『別に、無くても困らへんし』
とはコトハの談だったが、それを許さなかったのがリーリエとアリアだった。
ハガネダチの討伐を成した今、コトハは今までの日常とは違う道を歩いて行く事になるだろう。だったら今までよりももっと身なりに気を回してもいい筈だ、って事で今こうして服を選びに来ている訳だ。
ま、コトハのルックスで服に気を使わないのは勿体無いしな。新しい門出を祝すって意味も込めて、俺とリーリエとアリアで新しく服をプレゼントするって事にしたのだ。
が……しかし、だ。これは予め覚悟していた事なのだが……選ぶ時間長ぇ!!!!
女性の服選びなのだから当然だとは思うが、もうかれこれ二時間はこうしてるぞ……しょーがないっちゃしょーがないがね。
「はい、ムサシさん」
「おっ、あざっす」
店内の壁に背を預けて、遠目にリーリエ達を眺めていた俺に、店主であるシェイラさんが珈琲を持って来てくれた。
それを受け取り口を付けると、シェイラさんも俺の隣で同じ様にして自分の分の珈琲を飲む。あぁ、まったりするんじゃあ……。
「ごめんなさいね、次までにはムサシさんが座っても壊れない椅子を用意しておくから」
「あぁ、大丈夫っすよ。そこまでご迷惑はかけられませんから、お気になさらず」
カップから口を離して、俺は苦笑いをする。
俺の体重に耐えられる椅子っつったら、相当頑丈で重たい奴になる筈だ。わざわざ俺一人の為にそんなモンをシェイラさんに用意して貰う訳にはいくまいよ。
「にしても……ムサシさんって、本当に良く美人を引っ掛けて来るわね」
「ブフッ!?」
リーリエ達の方を見ながらそう言ったシェイラさんの言葉に、俺は思わず咽てしまった。ひ、引っ掛けたて……もうちょいソフトな表現と言うか何と言うか。
「しぇ、シェイラさんその言い方は幾ら何でもあんまりっすよ……」
「あら、違うの? てっきり三人目の恋人なのかと」
「そう言う関係では無いっすよ……まぁ何と言うか、戦友? そんな感じの間柄です」
「へぇ、そうなんだ……あっ、そう言えば! ムサシさんとわたしって同い年なんだから、わたしへの敬称は無しにして貰えない?」
「えっ!?」
なんと。まさか同い年の人間がこんな近くに居たとは……驚き桃の木山椒の木やな。あれ、でも……。
「俺の
「前にリーリエから聞いたわ。あ、何か不味かったかしら」
「いえ、全然問題無し……だったら、俺へのさん付けも無しで頼むぞ、シェイラ」
「オッケー、ムサシ」
そう言って互いに笑い合っていると、何やら視線を感じる……そちらへ目を向ければ、服を手にしながらジトッとした目でこちらを見ている女性陣三人の姿があった。
「「「じー……」」」」
「な、何だよ三人とも」
「あら、選び終わったの?」
俺の言葉に釣られてリーリエ達の方を向いたシェイラさんに、俺から外れた三人の一斉に視線が向けられる。
その意味を察したシェイラさんが、ハッとした後にバツが悪そうな表情を作る。恥ずかしかったのか、その頬はほんのりと朱に染まっていた。
これは……アレや。初対面の時に思ったけど、シェイラは筋肉フェチの気があるからな。多分今の状況にやましい意味は一切無い筈だ、うん。
「そ、それで? もう服は決まったのかしら」
びみょーに生暖かくなった空気を振り払う様に、シェイラは珈琲を一気に飲み干すと、三人の方へと近付いて行った。
それを見送りながら、俺は自分の珈琲をちびちびと飲む。あんま深く考えない方がいいだろ、多分。
「あ、ムサシさんの意見も聞きたいので来て貰っていいですか?」
「……ま、マジすか」
「マジです!」
リーリエからの出頭命令に、俺は若干ぎこちなく頷きながら、珈琲を飲み終わして女性陣が集まっている場所へと向かう。
ぶっちゃけ、俺が見てもあんまり参考になる様な意見は出せないと思うんだが……しゃーない、腹括るか。
俺は自分の美的センスが僅かにでも機能してくれる事を、天に祈った。
「来たぞー」
頭を軽く掻きながら踏み込んだ場所は、俺にとっては正しくアウェイと言っていい場所だった。
所狭しと木製ハンガーに吊るされた女性ものの衣服。右を見ても左を見ても、全てレディースウェアだった。男物など一つも無い。
リーリエとアリアが着ていた様なカジュアルな服から、民族衣装の様なデザインの服まで、その種類は様々だ。
……つーかここ、下着まで置いてあるじゃねーかよ! 俺が入っちゃいけないエリアじゃねぇか、衛兵呼ばれるゥ!!
「あの……俺戻ってもいいすか?」
「ムサシさん、ピックアップした服がここに幾つかあるんですけど……」
あ、これ拒否権ねぇヤツだわ……俺は、リーリエ達が手に持っている何着かの服を見ながら苦悶する。
くそっ、どうしたもんかなこれは。取り敢えず、角の立たない無難なデザインなヤツを……いや、駄目だな。
もうここまで来たんだ、真剣に考えた上で俺の意見を言わねえと不誠実だろう。と、なれば……。
俺は覚悟を決め、女性陣が手に持った服をじっくりと見る。流石と言うべきか、どれもこれも俺みたいな男の目線から見ても、センスのいい服だとは思う。
ただ、コトハに合うかと言われるとどうもな……いや、似合うとは思う。しかし、どうせならただ似合う服じゃ無く、コトハの……魅力?ってモノを最大限に引き出せる服が良いんじゃねぇかな。
取り敢えず、俺的にコトハは東洋系の服が似合うと思うんだよなぁ。元の世界に居た頃の言葉で言えば、アジアンテイストって感じの奴。
しかし、何の変哲もない和服っぽいヤツとかだと何か違う気がするが……。
「……ん?」
その時、俺の視界の隅に映った一着の服が目に入る。それは、リーリエ達が手にしている服の中にあった物では無く、奥の方にある棚の中に、ちょこんと畳まれて置いてあった。俺は惹き付けられる様にして棚へと近付き、その服を手に取ってみる。
薄桜色の生地と紅の縁取り……うーん、何だろうこれ。ただの和服、では無いよな。所々の意匠が中華テイストっつーか。畳んだまま見た感じだと、そんな印象を受ける。
置いてあった場所の隣には、恐らくこの服とセットで使うであろう帯や小物があった。手に取った服とそれ等を交互に見比べていた時、ぬっと背後からシェイラが顔を出した。
「あー……成程、
「えっ! な、何か不味かったか!?」
「不味くは無いわよ。多分、ムサシの見立ては良い線行ってると思うわ」
「そ、そうか」
「ええ。でも……ムサシって、天性の
「は!?」
何だそれ!? そんな言い方すんなよ、この服の正体がめっちゃ気になる! てか、スケベってどう言う事やねん、これそんなにいかがわしい感じの服なの!?
「ムサシはんは、それがうちに似合うと思うたん?」
「うぇ!? そ、そうだな」
にゅっ、と後ろから出て来たコトハが、俺が手に持っていた服をまじまじと観察する。何だろう、妙にぞわぞわした感覚がするな!
「ふーん……シェイラはん。ムサシはんが持ってる服、試着させてもろてもええどすか?」
「勿論、構わないわ。そしたら、試着室の方へ行きましょうか。ほら、リーリエとアリアも手に持ってる服戻して、一緒に行きましょう」
「は、はい!」
「分かりました。では、ムサシさんは向こうで」
「りょ、了解っす!」
アリアから撤退の許可が下りたので、俺は即座に戦地から離脱する。そして珈琲を飲んでいた定位置に戻り、女性陣が店の奥の方へと消えて行くのを見届け、ほっと胸を撫で下ろした。
「大丈夫かな……大丈夫だよな?」
俺は若干の懸念を振り払う様に自分にそう言い聞かせ、うんうんと頷く。そうしていると、奥から何やら驚いた様な声が聞こえて――。
『えぇっ!? こ、この服こんな際どいデザインなんですか!?』
『こ、これは……中々、着るのに勇気のいる服ですね』
『ね? スケベでしょ?』
『これ、男の本能か何かで見つけたんとちゃうやろか……えっちぃわぁ、ムサシはん』
――拝啓、親父殿・お袋殿。どうやら俺は、とんでもないエロガッパ大王だったようです。
◇◆
「ムサシさーん、ちょっとこっちに」
「お、おう」
試着が完了したのか、リーリエが奥から顔を出して手招きをしたので、素直に俺はそれに従ってリーリエ達が居る場所へと移動する。平常心、平常心だぞ俺!
「うっす。どんな感じ、だ……?」
ぬっとリーリエ達が居る場所に顔を出し、新しい服を纏ったコトハを見た時……俺は言葉を失った。
その服は俺が思った通り、東洋の民族的趣が前面に押し出された服だった。着物とチャイナドレスをバランス良く掛け合わせたようなデザインのそれは、きめ細かい薄桜色の生地と紅の縁取りも相まって、非常に美麗である……が!
(ちょ、ちょっと肌面積多くなぁい?)
真っ先に思い浮かんだ感想が、それである。成程、確かにコレを見つけ出した俺はスケベだわ!
襟合わせの部分は大きく開き、胸元を大胆に露出させている。袂の長い袖は独立していおり、紫の紐と金の飾り紐で上腕に固定されているので、必然的に肩と脇がモロ出しだ。
そして下半身もやべぇ。帯から下はチャイナドレスっぽく前垂れと横垂れで別れており、足首付近まである裾から脚の真正面を一直線になぞる二本のスリットは、帯の内側まで伸びている。その間から見えるコトハのハイパーモデル染みた生足が……エロ過ぎますね、ハイ。
足元は衣服の薄桜色と同じ色のピンヒールで締めており、美脚効果マシマシだ。なまじっけ普段が防具で身を固めているイメージが強い為、ギャップも半端ない。
でもって、何が恐ろしいってこんだけ露出が高くて体のラインがはっきりと出るデザインの服なのに、決して下品では無いってのが凄い。
出す所は出して、締める所は締める。艶やかさの中に気品を、妖艶さの中に清廉さを併せ持つこの服を堂々とここまで着こなせるのは……多分、コトハだけだわ……。
この場に居る他の三人やアリーシャさんならまだしも、その辺の有象無象がこれ着てもただの……いや、これ以上はやめておこう。世の女性に殺されそうだ。
ともかくこの服は、
「どうやろ、ムサシはん。
「あ、ああ……凄く似合ってるよ、うん」
ぎこちなくそう返しながらもしっかりと首を縦に振る俺に、コトハは満足げに微笑んで見せた。しかし……俺には、この場でどうしても聞いておかなければならない事があるッ!!
「あの……つかぬ事をお伺いしますが」
「どないしたん?」
「それ……下着付けてんの?」
恐る恐る指差しながら、俺は聞いてみる。
スリットが帯まで伸びてるって事は、当然脚の付け根がバッチリ見えてる訳なんだが……おかしい、本来なら見えなければいけない筈のパンツらしき物が全く見えん!
ハイレグだったとしてもエッジくらいは見える筈だ、あんだけ出てるんだから! そして大きく露出された肩から胸元にかけての部分に、ブラは見えない……。
こんな事を聞いたら、ド変態! と一蹴された後に回し蹴りの一つでも食らいそうなもんだが……俺の疑問に、コトハは目を細めて薄く笑うと、左右の横垂れを右手と左手それぞれの指でつい、と摘まんで僅かに持ち上げた。
「――見る?」
ぞわり、と背筋に鳥肌が立つ様な声音に、俺は一も二も無く反応した。
「マジすかいいんすか!? 見ます見ますメッチャ見たいっす寧ろ下から覗きた痛だだだだだだだだだだだ!!?!?」
解き放たれた獣の如くコトハの言葉に飛び付いた俺であったが、下から両耳を思いっきり引っ張られた事に、より無情にも檻の中へと引き戻されてしまった。
「ム サ シ さ ん ?」
「落 ち 着 い て 下 さ い」
「ウッス……」
ドスの利いた声で諭して来るリーリエとアリアに、俺は成す術が無かった。しょ、しょーがねーだろ。俺だって健全な男なんですよ……。
「全くもう……コトハさんも、あんまりからかっちゃ駄目ですよ!」
「ええ。ムサシさんの場合そう言う話は本気にしてしまいますからね……」
「ふふっ、分かった。かんにんな、二人とも」
口元を抑えながら小さく謝罪するコトハは、綺麗な笑顔を浮かべていた。
その裏に、仄暗い感情は見えない。きっと、これが本来のコトハの笑顔なんだろう……そうやって笑えるようになったんだと言う事に、俺は思わず頬を緩めた。
――チカッ――
……それは、本当に一瞬。刹那の瞬きに、コトハから感じた違和感。
今のコトハの笑顔に、偽りは無い。だが……その笑みの中に一瞬だけ混ざった
「……? コトハ、今の――」
「うん? どないしたん?」
「……いや、何でも無い」
俺は投げ掛けようとした問いを、思わず口の中に仕舞い込む。柔らかく微笑むコトハの顔を見たら、この場でその陰りに踏み込むのが躊躇われて……結局、俺は曖昧に笑って自分の中に生じた疑念を誤魔化すしか出来なかった。
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