第54話 ムサシの本質と、その内に巣食う怪物

【Side:紫等級の者達】


 キールは、成人しているとは言えまだまだ若い。しかし、年齢とは不釣り合いな実力を持っているせいか、子ども扱いされるのを極端に嫌う性格だった。

 ましてや、クソガキと口にしたムサシは、紫等級のキールから見れば黄等級の木っ端スレイヤーの一人でしかないのだ。

 そんな人間に、子供ガキ扱いされたのだ。激高しない訳が無い。


「てめぇ! 一体誰に口をきいて――ッ!?」


 そう叫びながら、キールの手が腰に差してあった剣に動いた瞬間、ムサシの纏う気配が一種のを帯びたのを、ガレオとシンゲンは見逃さなかった。しかし、二人が止めるよりも速くムサシが動く。

 キールが大声を上げようとした刹那、ムサシの左腕が音も無く一瞬でキールへと伸び、その口元を無造作に鷲掴みにした。

 そのままグイッ、とキールの体を引き寄せたムサシは、右手の人差し指を自分の口に当て、しーっとキールに黙るように促した。



「――静かにしろ、クソガキ。今うちのパーティーメンバーが車内で寝てんだ……お前の耳障りな大声で目を覚まされたら、困る」



 上から見下ろしながら、ムサシは声を潜めてキールへと告げる。しかし、コミカルな仕草とは裏腹にその漆黒の双眸は完全に据わっており、左手に掛かっている力も生半可な物では無かった。

 キールからすれば、今の状況は余りにも屈辱的。しかし、キールは動かない……否。

 如何に若くても、その腕前は間違い無く紫等級。そのキールの脳内に、ムサシに口を封じられた時から凄まじい警報が鳴り響いていた。

“従わなければ、このまま顎を握り潰される”――戦士としての感情である憤怒を、生物としての本能である恐怖が

 先程のシンゲンが殺気を走らせた時とは、比べ物にならない程の張り詰めた空気が皆の間に走る。唯一、その起点たるムサシだけが平然としていた。


「ムサシ、その辺にしといてやってくれないか」

「あん?」


 ガレオが静かにそう頼むと、ムサシは気だるげな表情をしながらも、その黒い瞳にギラついた色を浮かべながら後ろを振り返る。


「ムサシ殿、某からも頼む。キール殿には、後で良く言い聞かせておく故」


 シンゲンもまた、格下のムサシを相手にその頭を深々と下げた。流石のムサシも少し面食らったのか、暫し思案した後――、とキールへと視線を戻した。


「……おいコラクソガキ、あの二人に感謝しとけ」


 そう言って、ムサシはパッと手を離す。拘束が無くなった事で、キールは顎に痛みを感じながらもムサシから即座に距離を取った。そして、口元を抑えながらムサシを睨み付ける。

 しかし、それ以上の行動は起こさなかった。口汚く罵る事も、再び武器を抜き放とうとする事も……無かった。


「済まない、ムサシ殿。それと、イレーネ殿に向けているも収めては貰えぬだろうか」

「あっ、すんません忘れてました。そういやあの姉ちゃんをままだったな……ああそうだガレオ、ハガネダチ討伐の証拠渡しとくぞ」


 ムサシはそう言うと、マジックポーチに手を突っ込み、無造作にある物を引っ掴む。

 そうして取り出したのは――切断された、ハガネダチの頭部だった。それをポイっと放り投げて地面に転がし、続けて数多の人間相手に猛威を振るってきた頭角を引っ張り出した。


「……成程、良くやってくれた」

「これは……確かに、某が知っているハガネダチとはかけ離れているでござるな」


 ムサシを労うガレオと、取り出されたハガネダチの頭角を近くでまじまじと見つめるシンゲン。キールとイレーネは……無言だった。先程のムサシによる一連の所業を見て、完全に腰が引けてしまっていたのだ。


「シンゲンさん、ハガネダチ見た事あるんすか?」

「うむ。当時はまだハガネダチと言う名前が無かった時であるが、個体自体は見た事があるでござるよ」

「成程……あっ、触らない方がいいっすよ。まだ頭角には毒腺が残ってるんで」

「何と!?」


 ムサシの忠告で、シンゲンは伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。コトハを死の淵に追い詰めた猛毒である、万が一にでも手を切ってそこから毒が入れば、凄腕のシンゲンと言えどただでは済まない。


「で、一応これでハガネダチの討伐が完了したんだが……なぁガレオ。報告書の作成は、後日でもいいか?」

「ああ、構わない。今はゆっくりと休んでくれ……ご苦労だった」

「おう。んじゃ、俺等は帰るぜぃ。その頭と角は調べるなりなんなりしたら後で返してくれ、こっちで引き取りたいから」


 そう言ってムサシは再びストラトス号の舵棒を握り、ガレオ達の間を通り過ぎて南門を潜る。その姿が見えなくなった時……漸く、場を支配していた張り詰めた空気が霧散した。


「……何と言うか、凄まじい御仁であったな」

「ええ。少なくとも、オレはアイツとは敵対したくはありませんね」

「うむ。某も全く同じである」


 そう言って肩を竦めるガレオとシンゲンの後ろで、ダンッと地面を乱暴に足で踏む音が聞こえた。


「クソッ、あのデカブツ! 舐めた真似しやがってッ!!」


 青筋を浮かべながら怒り狂うキールに、ガレオは平坦な口調で話し掛けた。


「キール、アレは舐め腐った態度を取ったお前が悪い。オレとシンゲン殿が間に入らなかったらどうなっていたか……【神童】のお前なら、分かるだろ?」

「ぐっ……!」


 ガレオが突きつけたその言葉に、キールは閉口する。怒りで拳を震えさせるが、それ以上悪態を吐く事が出来なかった。


「言っておくが、やり返そうなんて考えるなよ? 特に、ムサシ本人ではなく……アイツの仲間を対象にして、何かしようなんて思うな――


 死ぬ――そう言ったガレオの言葉に、誇張は一切入っていない。そのガレオの言葉が、脅しでも何でもない、事実なのだと……この場に居る誰もが、理解してしまっていた。


「イレーネも、ちょっかいを出すなよ。お前が“お荷物”と称したリーリエにもだ」

「だ、出さないわよ……ていうか、もうあまり関わり合いになりたくは無いわね。まだ死にたくないもの」


 頬に流れた一筋の汗を拭い去り、イレーネは魔導杖ワンドを持って立ち上がる。そして、無言で門の上から下りて街中へと消えて行った。

 キールもまた、舌打ちを一つ残して門の内側へと戻っていく。残されたのは、ガレオとシンゲンの二人だけだった。


「――シンゲン殿、?」


 ガレオのシンプルな問いに、シンゲンは暫く考え込むような仕草をし、やがて口を開いた。


「……であるな。あの人間の枠から離れた肉体と、凄腕のキール殿が全く反応出来なかった身体能力。しかし、その目に見える物以上に某が恐ろしいと思ったのは……ムサシ殿の、気質でござる。あれ程が激しい人間を、某は初めて見たでござるな」


 そう言ったシンゲンの眼つきは、明らかに険しい物だった。


「あの御仁、でござるよ。もし先程の場面、キール殿が抵抗していれば……間違いなく、顎を剥がされていたでござる」

「……ええ」

「加えて、ムサシ殿は離れた場所に居た初対面の人間であるイレーネ殿を遠慮無しに威圧していた……人の本質を嗅ぎ分ける嗅覚と言うべきか、それが異常に発達しているでござるな。ガレオ殿の忠告を無視して、リーリエ殿やコトハ殿を貶める発言をしていれば……成程、タダでは済まなかったでござろう」


 そこまで言い切った所で、シンゲンは静かに息を吐く。

 シンゲンのムサシに対する評価は、間違っていない。あの場でキールとイレーネが、リーリエかコトハを槍玉に挙げていれば、ムサシは間違い無く二人をで黙らせていた。

 紫等級だとか、街を守る為に来たとか……そう言った事を一切考慮せず、ただ自分の大切な存在を侮辱した相手として処理していただろう。

 この街に来た当時、ムサシは一度その手を。あの時血が流れなかったのは、その場に居たリーリエがストッパーの役目を果たしたからだ。

 元は平和な日本と言う別の世界にある国で生まれ育った彼が、何故そこまで非情になれるのか……その理由は、日本よりも遥かに死と距離が近いこの世界で、右も左も分からない中ひたすら生き残る為に己を磨き上げた十年の中で増長された、そのにあった。


 ――ムサシは、悪を嫌う傾向がある。それは日本で生きていた当時からそうで、例えば凶悪な殺人犯のニュースがテレビに映れば、「更生させる必要無し、さっさと死刑にしろ」と考えるタイプだった……その過激な考え方が、この世界に来て極端にのだ。

 若いが故の苛烈な思考。しかし、そう言った考えと言うのは社会に出て年齢を重ね、子供時分には得られなかった知識や経験等が積み重なるにつれ、次第に一方向からでは無く多角的に考えられる用になるものだ。

 しかし、ムサシの場合はその期間が存在しない。余りにも唐突に、住む世界が文字通り変わったのだ。しかも運が悪い事に、放り出された先に自分以外の人影は無く、代わりに理不尽な死の権化とも言える化け物ドラゴンが直ぐ傍に居て、生き残るために死力を尽くさなければいけないという状況。

 たった一人で、十年という孤独を誰とも顔を合わせる事無く生き抜いた結果……自分自身が元来持つ考え方と言う物を変化させないまま成長したのが、ムサシと言う人間である。

 そしてこの異世界での歳月が、ムサシが考える“善”を押し通すだけの力をムサシ自身に与えた。そうなってしまえば、そこに生まれるのはムサシと言う名のに他ならない。

 だが、あの日ムサシはリーリエに出会った。人としての優しさと理性をきちんと備えていたリーリエとの出会いが、ムサシを完全な怪物にする事無くその人格を人間の領域に留めたのだ。その後の≪ミーティン≫でのアリアやその他の人間との出会いと経験も、ムサシが人間性を維持するのを大いに助けた。


 が、その代償とも言うべきか……ムサシは正当な理由があろうが無かろうが、自分の大切な存在であるリーリエ達を傷付けようとする者は総じて“悪”と断じるに至った。

 そして、極限まで尖った価値観故にその“悪”を叩き潰す為に、己の中にある“善”を行使するのに躊躇いが無い。

 これがもし、ムサシ自身が貶められただけなら本人は特段気にも留めなかっただろう。が、今回はその先にあったリーリエ達に向けられた悪意を、ムサシの感覚が捉えてしまった。

 だから、ムサシは即座に物理的制裁を加えようとした。その気なら口頭注意で済ませられる程度のいざこざだったが、そこに自分以外の存在が絡んだ事により一瞬でのだ。

 つまり、先程ガレオ達が見たのは“人間”では無く“怪物”としての一面を曝け出したムサシだったのである。


「ガレオ殿。ムサシ殿は戦力としては申し分のない存在かも知れぬが……危険でもある。手綱を、決して手放してはならぬでござるよ」

「……正直な所、それはオレに務まる役目ではありませんね。万が一の時、真にアイツを止められるのは――ムサシに想いを寄せる、リーリエ達だけだと思います」


 そう言って、ガレオは次第にその輝きを強くする朝日を見詰め、目を細める。

 今のガレオには、ムサシと言う人間がになる様な事が無い事を祈る以外に……出来る事は、無かった。








「ん? リーリエ殿は、ムサシ殿の奥方なのでござるか? と言うか、リーリエ“達”とは一体……」

「ああ、話していませんでしたね。さっきの車中に居たリーリエと、もう一人専属受付嬢のアリアって女性が、ムサシの恋人なんですよ。結婚はしてないですから、奥方では無く恋人って所でしょうか」

「何とぉ!? あ、あの見た目でプレイボーイだったとは……世の中、分からないものでござるなぁ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る