第39話 奈落での再会

 あと二時間もすれば真上に差し掛かるであろう太陽が照らし出す大地を、俺が牽引するストラトス号が疾駆する。

 村を離れた後、俺達はハガネダチが残した足跡とそれにこびり付いたニオイを頼りにヤツの姿を探し求めていた。

 案の定と言うべきか、アイツの痕跡は街道から大きく外れた未舗装の大地を横切る様に前へと続いていた。これじゃあ、仮に馬車が手配出来ていたとしても大分前に徒歩に切り替えなきゃいけなかっただろうな。


「……少し、崩れて来たか」


 感覚センスを研ぎ澄ませながら注意深く足跡を辿る俺の嗅覚が、空気の中に微かに混ざり始めた雨の匂いを捉える。

 途中で降られて足跡やニオイが流れると面倒だな……本格的に降り始める前に、出来れば追いつきたい所だが。


「ムサシさん」

「ん、どしたリーリエ」


 前方に視線を向けたまま、俺は車内から話し掛けてきたリーリエに言葉を返す。コトハの方は静かな物だが、ピリピリとした感覚を背後から感じる辺り大分神経を尖らせてるな。

 リーリエには村を出た時から地図とコンパスを使って現在位置を確認して貰っていたのだが、何か気付いたのだろうか。


「あの、確認したいんですけど……ハガネダチが向かって行ったのは、間違い無くこの先なんですよね?」

「おうよ。足跡とニオイを追う限りはそうだと思うが……何だ、ヤツの行き先に検討が付いたか?」

「はい……ムサシさん、辺りの景色が村を出た時とは大分様変わりして来ていますよね」

「そうだな」


 リーリエの言葉にそう返しながら、俺はちらりと視界を流れて行く景色へと目を向ける。

 村を出発して暫くは、街道からは外れていたもののまだ平原と呼べるエリアを走っていた訳だが、今は周りに大分緑が増えて来たと思う。事実、先に進めば進むほど視界を樹木が占める割合が増えて来ている訳だからな。

 なんつーか……アレだ、山に続く森の中を走っている感じ?


「……あのハガネダチは、大分厄介な場所に私達を連れて行きたいようですね」

「ほう」


 厄介な場所。リーリエがそう口にする辺り、嫌な予感しかしない……感覚的には、俺達が初めてヤツと遭遇した≪カルボーネ高地≫から離れて行っているのには薄々気付いていた。

 それはつまり、多数の人間が集まっている避難先の村からも離れて行っているという事。かなり腑に落ちないと思っていたが、痕跡が指し示している方向が村とは別方向である以上それを追い掛けざるを得なかった訳だ。

 では、ハガネダチが獲物がたんといる場所から遠ざかってまで向かった先とは?



「――このまま進み続ければ、私達は“魔の山”に入ります」



 ◇◆


 とんだ里帰りだと言わざるを得ない……いや、実家って訳じゃ無いからこの場合山帰りか?

 木々の匂いと嗅ぎ慣れた魔の山独特の香りに包まれ、俺は背負った金重かねしげをいつでも抜剣出来る様に気を配りながら、大きく溜息を吐く。

 今歩いている場所は、俺が十年暮らした魔の山の中層から深層に掛かる部分。ストラトス号は流石に入り込めないエリアなので、浅層の入り口に置いてそこから先はこうして徒歩で移動している。


「……なーんでよりにもよって魔の山ココに連れて来るかなアイツは」


 木々の間に続く足跡と、ハガネダチが進行の際に切り倒したと思われる樹木の残骸を視界に収めながら俺は軽く眉間を押さえる。


「でも、ここってムサシはんからしたら慣れ親しんだ場所なんやろ? それやったら、≪カルボーネ高地≫よりも地の利がある分喜ぶべき事とちゃいます?」

「確かに俺からしたらここはホームグラウンドだ。が、それだけにここの面倒臭さを知ってるからな……リーリエ、現在地がどの辺りだか把握出来るか?」


 出来てないだろうな、と思いつつ地図とコンパスを見比べるリーリエに聞いてみる。さっきから唸り声を上げていたリーリエが、若干涙目で俺の顔を見た。


「む、ムサシさん……私達、迷子になったみたいです……!」


 そう言ってリーリエは、俺とコトハに手に持っていたコンパスを見せて来る。


「あら……」

「……めっちゃ高速回転してはるなぁ」


 ヘリコプターのローターかっつー位の勢いで回り続けるコンパスの針を見て、俺は頭を掻いた。

 俺がここでは方位磁石の類は役に立たないと気が付いたのは、まだこの世界に来て間もない頃だった。エナメルの筆箱の中に偶然入っていた小さいコンパスを見た時、リーリエが持っているやつと同じ事になっていたからな……俺が拠点としていた場所は中層。そこで既にあの有様だったんだから、深層に片足突っ込んでるここいらでは当然こうなる。

 今でこそ難なく方角と現在地を把握出来るが、それが可能なのは恐らくこの中じゃ俺だけだ。


「取り敢えず、迷子にはなってないから心配すんな。現在地は俺が把握してるし、ハガネダチの痕跡を追っている限りを見失うって事は無い」

「よ、良かった……!」


 俺の言葉で安堵の息を吐いたリーリエの頭を、俺はポンポンと撫でてやる。


「浅層付近ならまだ大丈夫だが、今いるエリアじゃもうその類の道具は使えんのよ。一応確認の為に聞いたけどさ……深い森林と似た様な場所ばっかで方向感覚も狂うから、俺位に土地勘が無けりゃまず迷う。迷った先にあるのは、野垂れ死にか獣の餌。若しくはドラゴンの餌だな」


 ハッキリ言って、この山でガチの迷子になったらもう念仏でも唱えた方がいい……仏教なんて無いかもしれんけど。

 唯でさえ“魔の山”なんておっかない呼ばれ方をしている場所だ、人なんて浅層付近にしか近寄らんから今いる様な場所には先ず誰も来ない。

 そして、ここは深層に行けば行くほどが出て来る様になる。この世界に来てある程度力を付けた時に、調子こいて深層に突撃かました時に経験済みだ。

 ……あん時はマジで死ぬかと思った。てか、良く生きてベースまで戻って来たよなぁ、俺。


「ねぇ、二人とも」

「ん?」

「どうしました?」


 あーだこーだ言っている俺とリーリエに、コトハが辺りを見渡しながら聞いて来る。


「うち、この山については名前くらいしか知らへんのやけど……ここ、そんなにしんどい場所なん?」

「しんどいなんてモンじゃねーぞ。今はまだ遭遇してないが、肉食のドラゴンがそんじょそこらのフィールドとは比べ物にならん位うじゃうじゃいるし、人が住む様な環境じゃねー、し……」


 ……あん? ちょっと待てよ?

 心の中に浮かんだ疑問に、俺は足を止める。それに合わせて、リーリエとコトハも歩くのを止めて俺の顔を見た。


「ムサシさん?」

「……何でここまで来るのに、ドラゴンの一匹ともすれ違わなかったんだ?」

「えっ? それは……ハガネダチアイツを警戒して、姿を隠してるからと違うん?」

「いや、それにしたっておかしいな。今この場に居るのは俺達だけだ、幾らアイツを警戒していたとしても、既にその姿が無いこの場所をのこのこ歩いている人間達を連中が放っておく訳が無い」


 そう言って顎に手を当てて思案しながら、再び俺は歩き出す。それに、リーリエとコトハも続いた。

 ここに棲んでいるドラゴンの中には、ケンカっ早い奴も多い。そう言う連中は往々にして、そこに居るのが例え大型種のドラゴンだろうが食って掛かって来る様なのばっかりだが……そんな血の気が多い連中とも、出会っていない。

 ……そういうヤツ等ですら、あのハガネダチとは関わり合いになりたくないって事か? そんな奴が通った場所を歩いている俺達にも関わりたくない……うーん、分からん。


「……む」


 考え事をしながら歩いていると、不意にヤツの痕跡が途切れる――いや、途切れてはいないな。足跡こそ無くなった物の、ニオイは未だ漂って来ている……目の前に現れた、


「これは……」

「随分と大きな穴やねぇ……ムサシはん、アイツはこの先?」

「ああ。本体が居るかは分からんが、少なくともニオイはこの下に続いている」


 上から覗き込めば、太陽の光が照らす底が微かに見える……深層に入ると、こう言うのが出て来るんだよなぁ。その奈落に棲んでいる奴の脅威度ってのは、お察しな訳で。


「下りるっきゃないな」

「えっ? で、でもこの深さを下りれるだけの長さのロープ何て持ち合わせていませんよ?」

「もしかして……そこのツタを使うつもりなん?」


 コトハが指し示した場所。そこには、穴の縁から何本も複雑に絡み合いながら下へ下へと続く太い蔦が生えていた。


「普通ならそうだろうが、今回はそんな悠長な事やってらんねぇな……よいしょっと」

「わっ!!」

「えっ!?」


 そう言うが早いが、俺はリーリエとコトハをサクッと抱え上げて大穴の縁で何度か屈伸をする。さて、この高さだと中々の衝撃が来そうだが……ま、大丈夫でしょ。


「む、ムサシはん? まさか」

「コトハさん、ムサシさんの頭をしっかりと抱えて下さい……」


 困惑するコトハとは対照的に、リーリエは既に覚った様な表情をしながらガッツリと俺の頭を抱え込んでいた。流石相棒、良く分かっていらっしゃる。

 それを見たコトハも、俺がしようとしている事を察して慌てて頭にしがみ付いて来た。おぉう、美女二人に抱き着かれるとは何たる幸せ……なーんて呑気な事言ってる暇は無いわな。


「二人とも口閉じてろよ。舌噛むからな……っとォ!!」


 息を整えて――俺は一足でその大穴の中へと飛び込んだ。


「ひぃぃいいいいいい!?」

「うわっ! ホントに飛び込みおったわこの人!!」


 口閉じてろっつーに! 全く、内側噛んで後で口内炎になっても知らんからな!

 そんな事を考えている間にも、みるみる俺達の体は奈落の底へと吸い込まれていく。そして、俺はその途中でどんどん覚えのある気配が近付いて来ている事に気が付いた。多分、コトハも気付いてる。


「ぃよいしょおっ!!」


 そうして落下が終わり、地面に足が付いた瞬間に俺は全身の関節をフル稼働させて衝撃を吸収する。

 ズンッ! と着地音が辺りに響き渡り――やがて、静寂が訪れた。


「……二人とも無事か?」

「は、はひ」

「えろう無茶しなはりますなぁ……でも、お陰でみたいやね」

「ああ」

「え……っ、!!」


 リーリエとコトハを下ろすと、俺は金重かねしげをゆっくりと抜き放つ。コトハもまた新生雷桜らいおうを淀み無く手に持ち、リーリエは魔導杖ワンドを構えて後退し俺達前衛のバックアップ体勢に入った。


 ジメジメとした湿気が肌に纏わりつく。天から差し込む光が照らすこの空間の奥に……ヤツは居た。

 ゆっくりと、垂れ下がる植物のカーテンを掻き分け倒木を踏み砕きながら姿を現した、毒々しい紫の外殻と赤い三つの眼……そして、今まで数え切れない程の人間の血を吸って来た長大な頭角。



「――グオオオオオオオオンッ!!」



 地を震わせる耳障りな咆哮……また会ったなクソ野郎。さぁ、第二ラウンドといこうじゃねぇか。

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