第16話 復讐の本質

 コトハが投げ掛けてきた問いに、迷わず答えを告げる。俺のその一言が余程意外だったのか、天井を見詰めていたコトハの顔がこちらを向き、呆けた表情を作っていた。


「家族を皆殺しにされたんだろ? それの報復をしたいって気持ちと行動の何処が間違ってるって言うんだ」


 ハッキリと力強く断言すると、コトハの顔に浮かんでいた僅かな不安の色が無くなった。


 ……コトハの過去は、俺が想像していたよりも遥かに凄絶な物だった。あのドラゴンを前にした時に見せた尋常ならざる鬼気。そこから、コトハの目的は大切な何かを傷付けられた事による復讐なのではないかと予想した段階で、過去に家族が傷付けられたか何かしたのではないかと薄々考えてはいたが……まさか、身内が全員殺されているとは思わなかった。

 しかも、その凶行が行われたのは八年前だと言う。≪皇之都スメラギノミヤコ≫を出たのが五年前と聞いていたので、何かあったのだとしたらその五年前だと思っていたが……実際は、そこから更に三年前から全てが始まっていたのだ。


 コトハは当時十七歳。つまり、コトハは今のリーリエと同い年の時に家族と生まれ故郷を失くし、そのまま修羅道へと身を堕としたという事だ。

 八年……八年である。それだけの長い時間を復讐に費やしたと言うなら、あの憎悪と執念も納得だ。

 俺は腕組みを外して、そのまま太腿に肘を乗せて手を組んだ。


「『ドラゴンに家族を殺されるなんて良くある話』……お前は、そう言ったな」

「……うん」


 俺の言葉に、コトハは小さな声で頷く。

 この世界は過酷だ。人間よりも遥かに強い力を持ったドラゴンと言う存在がそこらかしこを歩いており、そいつらと人間は苛烈な生存競争を繰り広げている。

 スレイヤーがドラゴンを殺すのと同じ位、ドラゴンもまた人間を殺しているのだ。そう言った環境の中で、自分の家族が殺されたからと言って一体のドラゴンに固執し続けるのは、正しく不毛だろう。

 こちらも向こうも、生きる為に相手を殺す。その中で、生存競争に敗れたからと言ってその相手を恨むと言うのは、ある意味お門違いとも言える……だが。


「確かに、そう言った生き死にの話は良くある話なのかもしれない……でもな、コトハ。だからと言って、それが家族を殺した相手を恨まない理由にはならないし、復讐をしないと言う理由にもならないんだよ」


 コトハの瞳を見詰めながらゆっくりと告げる。、と組んだ手の指から音が聞こえた。


「家族を殺されたんだ、相手が人間だろうがドラゴンだろうが恨まない訳が無い。ましてや、自分の目の前で無残な殺され方をしたのなら、ソイツに報復したいと思うのは至極当然だろ」


 コトハにとって、その報復の対象はあのドラゴンだ。自然の中に存在する相手で、人の道理や感情が通じる相手じゃない。向こうからすれば、「何でコイツこんなにキレてんの?」って感じだろうな。


「『良くある話だから』、『不毛だから』なんてのはあくまで世間一般の話であって、と決めたコトハには全く関係の無い話だし、気にする必要も無い話だ」

「……でも」

「でももクソも無い。それとも何か、お前の中にある復讐心ってのは普通の価値観とは違うからっつって揺らぐ程度の軽い物なのか?」

「ッ、そんな事――いっ!」


 俺の挑発的な問いに、再び殺気を撒き散らしながらコトハが勢い良く上体を起こす。が、体の痛みを感じた所で言葉は途切れ、殺気も霧散した。


「そんな事?」

「……そんな事、無いッ……!」


 体を抑えながらも、コトハは鋭い目つきで俺を睨んでくる。その緋色の瞳の中には、強く燃え続ける執念の炎が見えた。


「ならいいじゃねぇか。俺に聞くまでも無い……コトハ、もう自分の心を疑うな。お前があのドラゴンに抱く憎悪って奴は、一般的に考えりゃいい感情じゃ無いのかもしれん。だが、家族を喪ってからのお前を支え続けたのは、間違い無くその憎悪からくる執念だろ。その支柱がお前を強くし、ここまで生き永らえさせて来たんだったら、それを疑うな」


 俺がそう言い切ると、コトハは一瞬目を見開いた後ゆっくりと俯く。流れる白髪の間から、月明かりを反射してキラリと光る雫が見えた。


「……うちの過去を話したのは、ムサシはんが初めてやってん」

「おう」

「何でかは分からへんけど、ムサシはんになら話してもええかなって……でも、いざ話し終わったら不安になったんよ。もし、うちの八年間を否定されたらどうしようって……うちのは間違ってるって言われたら、どうしようって……!」


 コトハの声は、震えていた。俺は手を解いて椅子を前にずらすと、その背中に右手をそっと置いて静かに言い聞かせる。


「んな事しねぇよ。普通と違おうが何だろうが、コトハは一つの信念を持ってここまで来たんだ。肯定こそすれど、否定をする理由は俺には無い……ありがとうな、話してくれて」


 そう言って、俺は優しく背中を撫でる。“何でか分からない”と言っちゃいるが、辛い過去の話を出会って間もない俺に話すのは、自覚せずともかなりの勇気がいる事だった筈だ。


「ううん……ムサシはんこそ、うちの話を聞いてくれてありがとう。血生臭くて、辛気臭い話やったのに」

「気にすんな。俺が話してくれっつったんだから」


 はらはらと涙を流しながら薄く笑みを作るコトハに、俺はニッと笑う。重い話ではあったが、こうして聞く事が出来て良かった……これで、行動を起こせる。


「……偶に、思うんよ」

「何をだ?」

「うちを生かしてくれたみんなは、今のうちがやろうとしている事を望んでいるんかなって……こんな道を歩く事を、願っていたんかなって」


 ……んん?


「もしかしたら、うちにはもっと違う……生き方を望んでいたんやないかなって――」

「ちょい待ち」


 えっ? とコトハが声を上げる。いや、どうにもコトハは大きな勘違いをしているらしいなぁ。


「一つ言っておくぞコトハ。お前が成そうとしている復讐……それは、死んだ家族の為にやるんじゃないからな?」

「え……それは、どう言う」

「いいか? 今のコトハはなんだ。太陽を背にしょって、過去と言う影を見ながら歩いてる。それは、お前の心が八年前にあった悲劇に雁字搦めにされてるからだ……ここまではいいな?」

「う、うん……」

「そりゃあ、コトハを守って死んでいった御家族としちゃ、多分だけど生き残ったコトハにはもっと明るい生き方をして欲しいだろうよ」


 死んだ人間がどう思っているのか、それを100%正確に確認する方法なんて無い。だが、少なくとも残された身内に修羅の道一本を歩き続ける事を望んだりはしない筈だ。


「でも、その生き方を選択する為にはコトハ自身の手で己を縛っている鎖を全部ぶった斬らなきゃいけねぇ。そのこそ、コトハが今やろうとしている事……“復讐”なんだ」

「――!」


 コトハの心も感情も、今は全てあのドラゴンに囚われている……そう、“今は”だ。


「お前の家族と故郷を奪い、復讐鬼の道へと突き落とした存在であるあのクソ忌々しいドラゴンを、コトハ自身の手で殺す……それを成して、初めてコトハは『未来』に向かって歩き始められる。“復讐”は死んだ人間の為だけにやるんじゃない、遺された人間がやる事でもあるんだよ」


 復讐を成し遂げたとしても、死んだ人間が戻ってくる訳ではない。なら何の為にやるのか?

 “弔い”以外の理由があるとすれば、それは自分の為と言う理由だ。過去にケジメをつけて、明日みらいを生きる為にやる……それが、“復讐”という行為の本質だろう。


「仇を討って、復讐鬼の道から足を洗って。それが結果的に殺された家族への弔いにもなる……コトハの考える“復讐”の理念とは少し違うかもしれんが、それでも俺が今言った事を忘れんな」


 俺が言いたい事を全て言い終わると、コトハは視線を窓へと移す。そこから見える月をじっと見詰めながら、静かに口を開いた。


「……もう一度前を向く為に、か。そないな事、考えた事もあらへんかったなぁ……でも、確かにムサシはんの言う通りなのかもしれへんね」


 窓から視線を外し、再びこちらへと顔を向けたコトハは穏やかな顔をしていた。瞳の中に宿る炎の色も微かに変わった気がする。


「今までのうちの考えやったら、やり遂げた先にはなーんもあらへんもんなぁ……でも、そっか。うちにとってアイツを倒す事は、“終わり”やなくて“始まり”なんやね」


 そう言ったコトハは、一筋の涙を流しながらくしゃりと笑った。

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