第15話 コトハの過去

【Side:コトハ】


 なぜ話そうと思ったのか、自分でも良く分からない。今までのうちなら、過去の身の上話……それも、今の生き方に繋がる話を誰かに聞かせようなんて、考えもしなかった筈だ。

 でも、どうしてかは分からないけれど……ムサシはんには、話してもいい気がした。


「うちが十七の時……季節は、冬やったの」


 言葉を紡ぐために、記憶の引き出しを開けて当時の事を思い出していく。忘れもしない、あれは暗い空から驟雪しゅうせつが降っていた日だった。


「あの日は、十五になったうちの妹の、成人の儀を執り行う予定の日やったの」


 頭に思い浮かぶのは、晴れ着姿で太陽の様な笑みを浮かべる在りし日の妹の姿。誰かを笑顔にする事が得意だった妹は、うちの自慢の妹だった。


「お父さんにお母さん、お祖父ちゃんにお祖母ちゃん……うちを含めた皆で、妹の成人を祝う幸せな一日になる筈やった……でも、そこにアイツが現れた」


 幸福な光景は消え去り、代わりに真紅に染まった記憶が脳裏に蘇る。あの時目に映った全てを、うちは生涯忘れる事は無い。


「≪皇之都スメラギノミヤコ≫はちょっと特殊な都市なんよ。巨大な列島一つ、丸々都市にしとるもんやから、都市の中に更に街が幾つもある……そういう場所。うち等が住んでいたのは、その内の一つやった」


 ムサシはんは、口を挟む事無くうちの話を聞き続ける。その表情は真剣その物で……それが、うちは嬉しかった。


「あの日……うち等が住んでいた街を、一体のドラゴンが襲ったんよ。普通のドラゴンよりもずっと強い……“格が違う”って言葉がぴったりのドラゴンやった。手当たり次第に建物壊して、逃げる人も立ち向かう人も、みんなみんな――アイツに殺されてしもたの」


 アイツが一歩進めば二人死に、角を振るえば十人死ぬ……あの時、間違いなくあそこには“地獄”があった。


「うちの家は、凄く古い家でな? 今では見なくなった『姓』を持つ家やってん……あ、姓って分かります?」

「知ってる。個人の名前じゃない、家の名前だよな?」


 ムサシはんが迷い無く答えたのが、少し意外だった。家名を持つ家なんて、≪皇之都スメラギノミヤコ≫でもこの大陸でも、もう殆ど残っていないのに……この人は、色々と謎が多い。


「その通り。うちの姓は、『ヒイラギノミヤ』言うんやけど……ヒイラギノミヤ家は代々、その土地を守護する役割を担ってきた武門スレイヤーの家系なんよ。せやから、うちのお父さんもお母さんも、家に仕えてくれていた人達も……街を守る為に、躊躇無くアイツに立ち向かった。もう、成人の儀所やないよね」


 そこまで話して、うちは「ふぅ」と一つ息を吐き言葉を区切る。あの時の事を話すのに、こんなに体力を使うなんて……。


「みんな、守護者の役に恥じない実力の持ち主やったよ。特にお父さんなんて、若い頃は【崩雷ほうらい】なんて呼ばれる位の凄腕……紫等級スレイヤーやったんやから」


 お父さんは、いつだって強かった。どんなドラゴンにも負けない、大きな背中を持った厳しくも優しい人。そんなお父さんを超える事が、うちの目標だった。


「でも……アイツは並のドラゴンよりもずっと強かった。一人、二人と斬り捨てられて……街にあったギルドに身を置いていた他のスレイヤーの人達も一緒に戦ったんやけど、まるで歯が立たんかったんよ。そんな中で、唯一互角に渡り合えたのがお父さんやった」


 あの時のお父さんは凄かった。雷を身に纏って縦横無尽に戦う姿は、今でも瞼の裏に焼き付いている。だからこそ……その後の結末も、はっきりと覚えていた。


「さしものアイツも途中から押され始めて……このまま決着やと思った。でも、その時不意にアイツの眼が街の人達を誘導しながら避難しようとしとった、うちと妹を見つけたんよ」


 当時は、うちにも妹にもアイツと戦えるだけの力は無かった。それでも、ヒイラギノミヤ家の人間として街の人達を少しでも生かす為に、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと一緒に街の外へと避難誘導を行っていた。


「アイツがうち等の方に視線を向けた時、お父さんの動きが一瞬固まってしもた。それをしっかり見とったんやろうね……アイツは即座にお父さんから距離を取って、真っ直ぐにうち等の方に向かって来た……本能で、うち等の存在がお父さんのやと見破ったのかも知れへんなぁ」


 思い返せば、ドラゴンとは思えない狡猾さを持った奴だった。まるで、中に悪意の塊の様な人間が入っているのではないかと思わせる程に。


「初めにお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがやられてもうた。進路を遮る様に立ち塞がった所をバッサリと……それを見たうちは、咄嗟に妹を背中に隠した……今思えば、無駄な足掻きやったんやろうけどね。その時、突然横から妹と一緒に突き飛ばされたんよ。倒れ込んだ地面から振り返ったら、そこにはアイツに串刺しにされたお母さんの姿があった……」


 夥しい血を流し、力無く宙吊りになったお母さんを、アイツは無造作に放り捨てた。その時の光景を思い出すだけで、全身をどす黒い感情が覆い尽くしそうになる。それを、うちは何とか抑え込んだ。


「お母さんを殺した後、真っ直ぐにこっちを見たアイツの凶刃が、寸分の狂いなくうちと妹に向かって振り落とされた時――また、誰かに突き飛ばされた。つんのめったその瞬間に見たのは、うちの方に思いっ切り手を突き出しながらアイツに斬り裂かれた……妹の姿やった」


 白い晴れ着が、鮮やかな朱色で塗り潰される。その瞬間、うちの頭は真っ白になった。


「そして、地面に転がったうちにアイツが目を向けた瞬間、黒い影が降って来た……お父さんやった。その時に繰り出された一撃が、アイツの眼を一つ潰したんよ……地面を震わせる絶叫を上げてアイツは逃げて行った。そこで、やっと惨劇が終わったんどす」


 ちらりと視線を横にやれば、そこには口を真一文字に結んでじっとうちを見詰めるムサシはんの姿があった。普通、こんな生々しい話を聞いたら目を背けそうなもんやけど……流石やねぇ。


「うちは急いで立ち上がってお父さんに飛び付いたよ、わんわん泣きながら……でも、お父さんは動かへんかった。そこで初めて、うちはお父さんが袈裟斬りにされた様な傷を負っていて、もう死んでいるのに気が付いた……気が付いて、しもた」


 二本足で立ち、武器である戦斧を握り締めて鋭い視線を前に向けながら絶命していたお父さんは、きっとこちらに向かって来ている頃にはもう死んでいたのだと思う……最後の一振り。あれは守護者として、父としての執念が生み出した一撃だったと感じた。


「アイツが過ぎ去った後に残されたのは、白い雪を汚す大量の赤と、夥しい人間の死体、無残に荒らされた街並み……それだけやったね。生き残ったのは上手く避難出来たほんの一握りの人と、その時街から他の地域に出ていた人達と……家族を全員うしなったうちだけ」


 街は再起不能になり、生き残った人達は他の街へと流れ……うちが生まれ育った場所は、地図から姿を消した。


「途方も無い喪失感と悲しみ……そして、憎悪って言う名前の炎だけが、うちに残されたモノやった。そこから、うちの長い長い仇討ちの旅が始まったんよ。生まれ故郷を捨てて、死に物狂いで力を付けながらアイツを追って≪皇之都スメラギノミヤコ≫中を探し回ったんやけど……どうしても、見つけられへんかった」


 あれだけ凶悪な力を持つドラゴンなのに、一度姿をくらませたら徹底的に隠れる……腸が煮えくり返る思いだった。


「そうして三年たった頃やったね。訪れた港街で、海を渡る紫色の外殻と長い角を持つドラゴンを見たいう話を聞いたのは……うちは迷わず大陸行きの船に乗って、海を渡ったよ。そこから先は、前に話した通り。あちこちのギルドを転々としながら、ここまで旅を続けて来ましたとさ」


 そこで、漸くうちの話は一段落着いた。静寂が病室に戻り、うちもムサシはんも口を開かない。でも、その時うちはどうしてもムサシはんに聞いてみたい事があった。


「――ムサシはん。うちのやってる事は、間違っとるやろか?」

「……どうしてそう思う」

「うち、時々思うねん。ドラゴンに襲われて家族を失う……そんなの、言ってしまえば? せやから、大体の人は悲しむだけ悲しんだら後はお終い。一々そのドラゴンを長い年月を掛けて探し出して殺すなんて不毛な真似、普通はせえへんよ……でも、うちは今に至るまでの八年の歳月を、たった一体のドラゴンを殺す為だけに費やしてきた。これからもそうするつもりやし、目的を変えるつもりもあらへんけど……こんな事を続けるうちは、狂っとるやろか?」


 そこまで聞いて、うちは不安に駆られる。もし、今までうちがやってきた事を否定されたらどうしよう……間違っていると言われたら……。



「――いんや、間違ってもいなけりゃ狂ってもいねぇな」



 そんなうちの不安を一瞬で吹き飛ばす迷いの無い言葉が、強い口調でムサシはんの口から告げられた。

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