第14話 夜の帳に包まれて

 窓の外を風が流れる音が微かに聞こえる。それ以外の音は何も聞こえなかった。

 リーリエと別れた後。俺はコトハが寝ているベッドの隣に椅子を置いて、腕を組んでじっと座っていた。ごめんね椅子君、今夜一晩耐えてくれ。

 月は真上を回り、体内時計の感覚から言えば今は恐らく夜中の一時を回った頃だ。病室の中には、眠り続けるコトハとそれを見守る俺以外に、人影は無い。


 このまま朝まで目が覚めないかもな……そんな事を考えながら、窓から差し込む月明かりが照らし出すコトハの寝顔を見詰める。

 こうして見ている限りじゃ、本当に普通の美人さんなんだけどな。この顔の裏に、あれだけの激情を秘めてるなんて誰が想像出来るよ?


「ん……」


 その時、コトハの口から僅かに声が漏れる。そして、ゆっくりと瞼が開いていき、焦点の合っていない目が天井を見詰める。どうやら、お目覚めの様だな。


「気が付いたか?」

「ここ、は……」


 俺の声に釣られたのか、仰向けに寝たまま首がぎこちなくこちらを向いた。緋色の瞳が俺の姿を捉え、その焦点が徐々に合っていく。


「ムサシ、はん……?」

「おう、俺だ」

「ここ……どこ?」


 やはりと言うべきか、≪カルボーネ高地≫からここまで来た時の記憶は無いらしい。毒に侵され眠り込んでいたのなら当然かもしれないが。


「ここはミーティンにある治療院だ。≪カルボーネ高地≫で眠り込んだ時から数えりゃ、大体丸二日位は眠ってたんじゃねぇかな」

「治療院……」


 うわ言の様にそう呟いた直後、コトハの瞳がカッと見開かれる。


「――ッ、いっ……!」


 そのまま上半身を跳ね起こそうとしたが、痛みが走ったのかそのまま体を抱きすくめて俯いてしまった。俺はゆっくりとその肩に手を掛ける。


「まだ動くな。エイミーさんお医者様が言うには、万全の状態に戻るには数日を要するらしいから」

「……っ! 待てへん! そんなに時間を置いたら、アイツが――!」


 大声を上げそうになったコトハの口に、俺は左手で人差し指を当て、残った右手で自分の口に人差し指を当て、口パクで『お静かに』と伝える。暫く視線が交錯した後、コトハの顔と耳が力なく項垂れ、ベッドへと体を横たえた。


「他にも入院してる人いっからさ。なんぼ扉閉まってるからって、この時間に病院で大声を出すのはご法度だ」

「……そうや、ね」


 隣の部屋に響かない程度の声量で、静かに言葉を交わす……つっても、ここ他の病室から離れた場所にある個室だから、多少の声じゃ向こうまで届かないけどな。それでも、一応ね。


「――ねぇ、ムサシはん。あの後、うちに何があったん?」

「……お前、あのドラゴンと戦っている最中に首の皮斬られただろ? あの時に毒を入れられたらしくてな」

「毒……道理で、途中からいきなり体が重たくなった訳やね。アイツ、そないな手まで使うなんて……下調べ不足やったねぇ」

「おう、俺も驚いた。状況から推測するに、あのドラゴンの刀剣みてぇな角には毒腺みたいな器官が組み込まれてるんだろうな……神経毒と出血毒の混合毒ブレンド。かなり強烈なやつだったから、結構危なかったんだぞ」

「そうなんや……でも、今うちがこうして生きてるって事は解毒が出来たって事なんやね」

「そうだな。俺の血が役に立ってよかったよ」


 何気なく俺が口にすると、コトハが一瞬ポカンとした顔になった。


「……え? お、俺の血ってどう言う事なん?」

「ん? ああいや、コトハの体に入ったのが毒ってのが、先生でも知らねぇ未知のモノだったらしくてな……薬も効かず血清も無い、さてどうしたもんかって話になったんだが、俺がコトハの傷口から毒を吸い出した時の事を話したら、もしかすると俺にはその毒に対する耐性があるんじゃねぇかって話になってな。その俺の血を輸血して、何とか峠を越えたんだよ。まあ、≪カルボーネ高地≫からここに帰って来るまでに、リーリエが魔法による治癒を続けてくれたからこそ出来たんだが……後でリーリエに一言礼言っとけよ?」

「う、うん……」


 そう小さく返事をして、コトハは俺から視線を逸らす。キョロキョロと忙しなく視線を動かし、どうにも落ち着かない様子だ。心なしか、顔が赤い様にも見える……まさか!


「コトハ、ちょい失礼」

「えっ!?」


 有無を言わさず、俺はコトハの額へと手を伸ばして、その温度を掌で測る。


「若干あったかいな。こりゃ発熱して……」

「ちゃうから! こ、これはそう言うんやないから!」

「そ、そうなの?」

「そうなの!」


 何だ、俺の杞憂か……なら良し。取り敢えず氷水とタオルを持って来る必要は無さそうだな。

 俺が安堵した所で、再び静寂が訪れる。コトハも徐々に落ち着いていき、静かに天井へと視線を移した。

 どの位そうしていたか、コトハがポツリと口を開いた。


「……ごめんなさいね」

「それは何に対する謝罪だ?」

「二人に、迷惑かけた事……うちの所為で、ムサシはんとリーリエはんの命を危険に晒してしもうたから……」


 懺悔する様に、ポツリポツリと言葉を紡ぐコトハ。それを見て、俺はふぅと一つ息を吐いた。


「あれは俺達が……と言うより、俺が勝手に首突っ込んだだけだ。どうにも、コトハが一人で跳び出して行った時に嫌な予感がしたもんでな……あの時のコトハ、もの凄ぇ憎悪と殺気を撒き散らしてたから、余計に心配になった」

「……バレてたん、やね」

「そりゃあな。俺やコトハ程“気”とかそう言う物に鋭くないリーリエがはっきりと感じ取れるレベルのモノだ、正直言って尋常じゃねぇ……なぁ、コトハ」


 俺はそこで、コトハの横顔を見詰めながら今一番聞きたい事についての話を切り出す。さて、正念場だな。


「単刀直入に聞くが……お前の“目的”ってのは何だ? 何故あれ程の憎悪を一体のドラゴンに向ける? 何故一人で討伐しようとした? 過去に一体……何があった?」


 矢継ぎ早に飛んだ俺の質問に、コトハは天井を見詰めたまま何も喋らない。やはり、そう簡単に教えられる事じゃないか……?


「――あだ討ち」


 静寂が漂う中。コトハが静かに告げたその言葉は、イヤにはっきりと聞こえた。

 仇討ち……それは、つまり。


「復讐、って事でいいのか?」

「……そう言う事に、なるんかな」


 やはりか。恐らくそうだろうと言う俺とリーリエの推測は、当たっていた訳だ……あまり、嬉しくないな。

 だが、もう俺はコトハの深淵に踏み込んだ。後戻りは出来ない……否、してはいけない。こちらで勝手に手助けをすると決めた以上、更に先に進まなければ。


「コトハ。お前は五年前に故郷である≪皇之都スメラギノミヤコ≫を出て、この大陸を旅してきたと言っていたな。それは、あのドラゴンを見つける為の旅だったって事でいいのか?」

「……うん」


 コトハが一つ肯定する度、俺の中のピースが一つずつカチリと組み合っていく。


「……コトハ。海を越えて見知らぬ大陸に渡り、五年もの間一つの目的の為に行動し続けるってのは、中々出来るもんじゃねぇ。その内容が、何処に居るとも知れぬたった一体のドラゴンを探し出して、それを一人で討伐するってのなら尚更だ」

「…………」

「だが、お前は辿り着いた。経緯はどうあれ、念願の仇敵を見つけ出したんだ」


 俺の言葉を、コトハは黙って聞き続ける。天井に向けられたままの緋色の瞳が何を考えているのか、俺には分からない。


「教えてくれないか、コトハ。五年前……お前の身に何があったのか。一体どんな経験をすれば、あれだけ強烈な憎悪を抱けるのか……復讐の為に、ここまで歩んで来たお前のルーツを知りたい」


 俺はそこで、一旦言葉を区切る。この話に答えてくれるかどうかが、この先で取る行動の起点になる……だから、俺は待った。コトハが口を開いてくれるのを……じっと、待った。


「――どうして、知りたいん?」


 コトハが俺にそう問い掛けた瞬間、病室の空気がズンと重くなる。同時に、濃密な殺気が俺の体を包み込んだ。


「知って、どうするん? ムサシはんは、うちの腹の内を知って何がしたいん?」


 ピリピリと肌を焼く殺気に晒されながらも、俺はそれを全く意に介さず口を開く。残念だったなコトハ、俺はこの程度じゃびくともしないぞ?


「――どうしてもクソも、こうやって聞いてるんだ。そっからどうするかなんてこれから決める」


 堂々と言い放った俺の言葉に、コトハが呆気に取られたような顔でこちらに視線を向ける。「何言ってだコイツ」って顔だな!


「なに、それ……もう少し、ましな言い方はなかったん?」

「しょうがねーだろ。俺はこういう時に上手い理由を作れる程、頭良くないんだよ」


 平然とそう口にする俺に、ますますコトハの顔が変化していく。やがて重かった空気は霧散していき、俺を包んでいた殺気も薄れていった。


「……随分と自分勝手な物言いしなはる人やったんやね、ムサシはんって」

「傲岸不遜と言って欲しいね」

「それ、誉め言葉ちゃいますからね? 分かってはります?」

「え? うん」

「ほんまに分かっとるんやろかこの人……」


 はぁ、と溜息を吐いてコトハが目を瞑る。暫くして、ゆっくりとその口が開いた。


「……

「ん?」


 閉じていた瞼が再び開き、緋色の瞳が現れる。月明かりが反射するそれは、まるで静かに揺らめく炎の様だった。


「五年前からじゃなくて、……うちが仇討ちを誓って、アイツを追いかけ始めたんは」


 天井を見詰めながら、静かに紡がれる遠い昔の記憶。コトハと言う人間が、一人の復讐鬼となった理由……それが、コトハ自身の口からゆっくりと語られ始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る