第2話 はんなり乙女(痴女)

 笑顔を浮かべたまま軽やかな足取りでこちらへ歩いて来る痴女が履いている銀の鉄靴が、ホールの床をカツカツと鳴らす音が嫌に響く。

 あの時は咄嗟に踵を返したから髪色とか対艦ミサイルおっぱいとかの目立つ部分しか覚えていなかったが、こうして見るとすげぇ体型だ。すらりとしたスタイルに、ヒール無しで百八十センチを超える身長タッパ。加えて、出るとこは出て引っ込む所は引っ込んでいる抜群のプロポーション。スレンダーとグラマラスのハイブリッドって感じだが……この痴女、実はスレイヤーのコスプレしてるスーパーモデルか何かじゃねえのか?


「痴女……って、幻覚じゃなかったんですか!?」

「らしいな……」

「痴女? お二人とも一体何の話を――」


 アリアが疑問を口にしようとした時、不意に痴女の姿が目の前から掻き消えた。反射的に俺はバックステップで後ろへと跳べ……ない。

 何故なら、消えたと思った痴女がいつの間にか俺の右腕に自分の腕を絡ませ、胴当て越しにその豊満な胸を押し付けていたからだ。


「ちょっ!」

「あなた、一体何を!」


 リーリエとアリアが抗議の声を上げたが、そんなモノはお構いなしとばかりに腕を絡ませたまま痴女が口を開いた。


「ごめんなさいねぇ、お兄はん方。うち、この人のやから」


「……ゑ?」

「えっ」

「は?」


 悪戯っぽく笑いながら、痴女は自分に声を掛けて来ていた男共に見せつける様に小指を立てて見せる。

 ゆったりとした口調に、この方言。ニュアンス的には京都とか関西圏が近いか? 成程、色々と素晴らしい……アホかッ! そんな事考えてる場合じゃねえ!! いきなり密着して来て何嘘八百言ってんのこの人!?


「何だ、ムサシさんの連れかよ」「道理で美人な訳だ」「何でアイツばっかり……」「いや、おれは薄々分かってたがな」「ウホッ」「はぁー、解散解散」「勝ち目ねーわ」「どんだけ女誑かしてんだよ」「羨ま死ね」「帰ろ帰ろ」


 口々に身勝手な言葉を吐きながら、集まっていた男共が散っていく。それを見て微笑みを浮かべる痴女とは対照的に、俺の顔にはぶわっと汗が滲み出た。


「ちょい待てや! それは誤解――」


「ムサシさん?」

「ムサシさん」


 俺が誤った認識を正そうと声を上げようとした瞬間、突如刺さる様な冷気が体を襲う。

 ドラゴンの襲撃……では無いですね、はい。ドラゴンよりもずっとおっかない圧力プレッシャーをビシビシと感じるなぁ!

 冷や汗をダラダラと流し始めた俺を、京美人痴女が面白い物を見るような目で見てくる。いやいやいや、この状況は100%アンタのせいだからな!?

 振り返りたくない……でも、振り返らないと更に温度が下がる。くそ、腹を括れ……大丈夫、死にはしない筈だ。

 自分自身を叱咤しながら、恐る恐る背後を振り返る。俺が体の向きを変えるのに合わせて、痴女も一緒に腕を絡ませたまま後ろを向いた。


 ――そこには、二人の修羅が居た。感情が消えた瞳でこちらを見据えるリーリエと、いつの間にか窓口から出て来て能面の様な仮初の笑顔を張り付けたアリア。その背には……大日大聖不動明王が見える。

 あっ、やっぱ死んだかも俺。


「違います!!!!」


 生命の危機に瀕した俺が咄嗟にとった行動。それは、シンプルな言葉による自己保身だった。


「まだ私もアリアさんも何も言ってませんけど」

「ちゃうんすよ!!」

「何が違うんです?」

「全部です!! いやホント、とにかくちゃうんすよ!!!!」


 もう自分で何言ってるのか分からねぇ。そんな支離滅裂な言い訳をしてしまう位に、俺の精神は追い詰められていた。ドラゴンを前にしても揺るがない俺の鋼メンタルは、二人の顔を見た瞬間に粉々に吹き飛んだね!


「赤の他人なんすよこの人! 二人が思っている様な関係では断じてないっす!!」

「いややわぁ、あんさん。うちの事を赤の他人やなんて……」

「ちょっ!」


 俺の必至の弁明を打ち砕く様に、ころころと笑いながら痴女がぐいぐい胸を押し付けてくる。オイコラ、さてはこの状況楽しんでんなテメー!


「赤の他人で無いのなら、一体あなたはムサシさんの何なのですか?」


 凍える様な冷たい声音で、アリアが質問する。あぁ……ブリザード系受付嬢の再来なんじゃあ……。


「んー、せやなぁ……」


 そんなアリアの怒気をかけらも気にしないと言った素振りで、頬に人差し指を当てながらこてんと首を傾げる痴女。カワイイ……いやいやいやそうじゃなくて! アンタとは他人だからね!? お願いだから他人って言って!!


「――裸を見せ合う仲、やろか」


 そう言ってにこりと笑った瞬間、“冷たい”が“絶対零度”になった。


「ちょちょちょちょ! 何根も葉もない事言ってんだアンタ!?」

「事実やんかぁ。あんさん、うちの裸見なはりましたやろ?」

「ありゃ事故だ! そもそも裸だったのはアンタだけで、見せ合う様な真似はしてねぇ!!」

「えー、でもあんさんだって殆ど裸みたいなもんでしたやんか」

「ちゃんとインナーは着けてたよ! 妙な解釈を――」


「「そこまで」」


 ギャーギャーと抗議の声を上げる俺の言葉を遮る様に、ぴしゃりとリーリエとアリアの声が間に割って入った。ああ、もう嫌……ダレカタスケテ……。


「ムサシさん、取り敢えず≪月の兎亭≫に戻りましょう」

「そうですね、言い訳はそこで聞きましょう」

「りりりリーリエ? アリア? 目が全然笑ってないんだが? ちょっとアンタ、いい加減ふざけるのを止めて二人の誤解を――」


 そこまで言い掛けて右を向くと、視界に広がっていた光景に俺は愕然とする。

 さっきまで確かにそこに居た筈の痴女の姿は、跡形も無かった。その事実に、俺は素直に驚いた。

 こんな状況とは言え、俺に覚られずに姿を消すとは……もしかして、かなり凄腕のスレイヤーなのか? いや、内側に潜むあの筋肉と得物から察するにただ者では無いと思ってはいたが……。

 そんな半ば現実逃避の様な考察をしていた俺だが、ガッシリと両手首を掴まれる感触で無情にも現実へと引き戻される。


「ムサシさん、それでは行きましょうか」


 穏やかな声音のリーリエだが、その言葉の裏には死神の鎌がちらりと見えた。


「ちょ、ちょっと待って! 本当に誤解だから!」

「分かりましたから、取り敢えず今は帰りましょう?」


 相変わらずの冷気を纏いながら、アリアが優しく言い聞かせてくる。しかし、その声音には有無を言わさぬ迫力があった。


「いっ、嫌じゃああああああ! まだ死にとうない、死にとうないいいいいいいい!!」

「はいはい、早く行きましょうねー」

「ほら、キリキリ歩いて下さい」


 ガッツリ手首を掴んだまま、ずんずんと出入口へと向かって行く二人と、それに引き摺られる俺。

 ちょっ、二人とも力強くない? フル装備の俺を引っ張って行くとかちょっと馬力あり過ぎ……こ、これが火事場の馬鹿力って奴!?


 出入り口を潜った途端に照り付けてくる西日が目に染みる……ああ、これからの事を考えると憂鬱だよ……。


 ◇◆


≪月の兎亭≫と言う名前の処刑台へと連れてこられて早数刻。とっくの昔に夕食時は過ぎ去り、外は夜の帳が下りている。食堂には、俺とリーリエとアリア、アリーシャさん四人の姿だけが残っていた。要するに、いつもの面子である。

 そして俺は、顔を赤くしたリーリエとアリアの正面でかれこれ三時間は正座をさせられていた。


「――聞いてますか、ムサシしゃん!」

「はい、聞いてます……」


 すっかり酔っ払い状態となったリーリエが、呂律の回らない口調で捲し立ててくる。何で酒飲みながら説教なんてするかな……。


「嘘です、これは聞いてませんよリーリエ。ワタシには分かります」


 そんなリーリエの隣で、アリアがジョッキ片手にこちらを見下ろしている。ああ、そんなふらふらとしながら立ったら危ないって!


「聞いてませんか……なら、もう一度聞きます! ムサシしゃんとあの女の人はどう言う関係ですか!?」

「さっきから何回も言ってるけど、本当に赤の他人なんです……」

「へー、赤の他人なのに裸を見たんですか?」

「事故です、故意じゃないです……本当です……」


 もう何回やってるか分からない不毛なやり取り。べろんべろんになってから話がループしちまってるじゃないか……。

≪フェーヤ森林≫で俺が見た事については、アリアにも全て話した。あの時は幻覚だって事で納得したけど、現実は非常であった。本当に幻覚だったら、まだマシだっただろう。


「二ヶ月……二ヶ月ですよムサシしゃん! 私達がムサシしゃんと両想いになってまだ二ヶ月しか経ってないんですよ!? なのに、何で私達じゃなくて違う女の人の裸見てるんですか!?」

「見たくて見た訳じゃないんすよ……」

「リーリエ。これはもう、ワタシ達も脱いでムサシさんに見せる事で帳尻を合わせるしかありませんよ」

「あっ! それは名案ですアリアしゃん!」


 そう言っておぼつかない手つきで服に手を掛ける二人を見て、俺は慌てて立ち上がる。


「いやいや何の帳尻やねん! あっこら、二人とも脱ごうとするんじゃない! アリーシャさん助けてぇ!!」

「あー酒が美味い」

「お、見て見ぬふりィー!」


 混沌カオスを極めしこの状況……収まったのは、一時間後だった。畜生、あの痴女め覚えてろよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る