第1話 ケモッ娘痴女

 まるでお互いに時間が止まった様な感覚。俺も獣人の女性も、その場に縫い付けられた様に身動きが取れなかった。

 辺りに聞こえるのは、川のせせらぎと小鳥の鳴き声。ああ、めっちゃ平和……てかやべぇ、なにあの乳。アリアがロケットおっぱいならアレは対艦ミサイルBGM-109かな?


 どの位そうしていたのか。俺を見詰めていた女性が現実に引き戻されたのか、その顔を瞳の色と同じ緋色に染め上げていき――。


「……っ! きゃ」


「――嫌ァァアアアアアアアア痴女ぉぉおおおおおおおおお!!!!」

「!?」


 辺り一帯に響く絹を裂く様な……いや、違う。地響きを思わせる俺のバリトンな悲鳴が轟いた。その衝撃で、鳥達が一斉に飛び去って行く。

 それに合わせる様に、俺は瞬時に踵を返して全力でその場を離れた。穏やかな川面に巨大な水柱と大波を立てながら一目散に水を汲んでいた場所へ戻り、岸へ飛び上がると脱いでいた脚部の鎧を小脇に抱えてリーリエが居る昼食エリアへと猛ダッシュする。

 行きに三分掛かった道を四十秒で戻ると、そこには魔導杖ワンドを構えて臨戦態勢となっているリーリエの姿があった。


「リーリエェ!」

「む、ムサシさん! 一体何があったんですか!? 突然ドラゴンの咆哮が――」

「痴女!!」

「……はい?」


 突然現れた俺の、突然発せられた言葉にリーリエはポカンと口を開ける。それに構わず、俺は捲し立てる様に自分が見た物について伝えた。


「水汲みに行ったら! 痴女がおった!!」

「ち、痴女? 一体何を言ってるんです?」

「川! 川の中にマッパの痴女が――!」

「お、落ち着いて下さいっ!」

「あいだっ!?」


 興奮状態の俺の頭にリーリエの魔導杖ワンドがガツンと当たり、俺は思わずバケツを落として頭を押さえる。

 ジンジンとした衝撃が体に広がるに連れ、漸く頭が冷めてきた。


「……落ち着きましたか?」

「ウッス……スンマセン」


 俺が元に戻ったのを確認すると、リーリエは一つ大きな溜め息を吐いてゆっくりと俺に問い掛けてきた。


「落ち着いたのなら、ゆっくりと話して下さい。ムサシさんが見た……その、痴女について」

「あ、ああ……」


 リーリエに促されて、俺はその時の状況をポツポツと話し始めた。


 ◇◆


 事の次第を伝えた俺は、リーリエを伴って件の痴女を見た岸へ向かって歩いて行く。


「にしても、どうして女性の方じゃなくてムサシさんが悲鳴を上げるんですか。普通に考えたら悲鳴を上げるのは女性の方ですよ……」

「いやぁ、あまりに突然の事だったからな……思わず女の子みたいな声を出しちまった」

「ドラゴンの咆哮を女の子の声とは言いません、大概にして下さい」

「しどい……」


 俺の言葉をリーリエはバッサリと一刀両断にし、ずんずんと先に進んで行く。なんかアレやな……最近、リーリエの俺に対する扱いが苛烈になっているというか何というか。アリアもなんだけど。


「この先ですか?」

「そうだな」


 視界を覆う程生い茂った草むらの向こうからは、穏やかな流水の音がする。方角的に間違いなくこの先が俺と痴女が遭遇エンカウントした川岸の筈だ。

 俺はリーリエの背中に体を縮こまらせながら、恐る恐る口にする。


「リーリエ……先導を頼む……」

「何でそんなにビクビクしてるんですか……」

「バッカお前、こんなドラゴンや獣が居るとも分からない場所で素っ裸になって水浴びする様な女やぞ? 絶対ヤバい奴だって……あと覗き魔って言われて訴訟されるのはイヤ」

「そしょう……? まあいいです。でしたら、私が先に行きますね」

「お願いシヤス!」


 呆れた様な表情を浮かべながら、リーリエは草を掻き分けて川岸の方へと進んで行く。その後に俺も続いて行くのだが……やべぇ、今のリーリエの背中凄くデカくて頼もしい。

 かくして、俺達は川岸へと出る。相変わらず穏やかな流れの川が目の前に現れる……が。


「誰も居ないじゃないですか……」

「んなアホな!」


 俺は辺りをぐるりと見渡す。が、どこを見てもあの獣人の痴女の姿は無かった。あるぇー?


「帰ったのか……?」

「……ムサシさん、本当に見たんですか?」


 困惑する俺を他所に、リーリエがしらーっとした顔で俺に問い掛けてくる。その表情には、疑念の色がありありと浮かんでいた。


「いやホントだって、確かにここに居たんだよ! ……今は居ないけど」

「い、いえ。そこまでムサシさんの事を疑っている訳じゃありませんから。だからそんなしょんぼりとした顔しないで下さい……」

「うん」

「ただ、本当にここにそんな女性が居たのかと言われると正直あまり信じられません。ムサシさんがさっき言ってたじゃないですか、『こんなドラゴンや獣が居るとも分からない場所』って」

「そうだな」

「普通、そんな場所で女性が一人で水浴びなんてすると思いますか?」


 うーん、そう言われると確かにそうだ。防具を身に着けていた訳でも無し、あんな無防備な姿でこんな所で水浴びをする意味が分からんな。


「……もしかしたら、ムサシさんが見たのは幻かもしれませんね」

「ま、マボロシすか……」

「はい。この≪フェーヤ森林≫が普通の場所よりも濃い魔力を大気中に含んでいるのは知っていますよね?」

「おう、知ってる知ってる。リーリエに聞いたからな」

「稀にあるんですよ。高濃度の魔力によってありもしない幻覚を見てしまうと言う事が」

「そんな事があんのか」

「はい。近隣の村では、ここでそう言った幻覚を見る事を“妖精に遊ばれた”って言うらしいです。ほら、ここって“妖精の森”なんて呼ばれ方がある位ですから」

「はぇ~、成程なぁ」

「……ただ、魔力も魔力回路も持たないムサシさんにも当て嵌まるかは分かりませんけどね」


 あっ、そうか。俺魔力持ちじゃ無いんだった……いや、でもリーリエが言っている事はあながち間違いじゃ無いのかもしれん。

 あれ等が全て幻覚だったと考えれば、不自然だった要素も全部納得出来るし。


「取り敢えず、ここにはもう何も無い様なので戻りましょう。ご飯も作っている途中でしたし」

「……うん、そうしようか。すまんなリーリエ、余計な手間掛けさせちまって」

「いえいえ。にしても……裸のスタイル抜群な獣人族の女性、ですか」


 おや? 何だか若干リーリエの機嫌が悪くなった気がするゾ?


「……幻覚と言うのは、その人が持つ潜在的な願望や欲望を映し出す時があるそうです。ムサシさんって――」

「さぁ帰ろうリーリエ! 美味しい美味しい昼飯が待ってるぞぉ!」

「わっ、ちょっ! い、いきなり抱え上げて走らないで下さいぃ~~!!」


 不穏な空気が発生するよりも前に、俺は勢い良くリーリエをお姫様抱っこして来た道をダッシュで戻って行った。


 あっ、汲んできた水は全部パアになっていたんで汲み直しました、ハイ。


 ◇◆


≪フェーヤ森林≫でのイェロカカーボ討伐、並びに幻覚騒動から二日。俺達は無事ミーティンへと帰って来て、クエスト達成の報告をする為にギルドを目指していた。


「すっかり夕暮れだな……五日も空けちまったし、今日はアリアに夜飯でも奢るか」

「……ムサシさん、一応言っておきますけどアリアさんの前で幻覚についての話はしないで下さいね?」

「なにゆえ?」

「幻覚とは言え、自分の恋人が見ず知らずの女性の裸を見たなんて言ったら普通は嫌がりますよ。まぁ女誑しなムサシさんが相手ですから、告白の時に宣言した様に私もアリアさんもある程度覚悟はしていますけど」

「えぇ……俺そこまで節操無しに見えるかなぁ。ま、アリアの前ではあの話はしない様にするわ。いらん火種は作りたくないし」

「そうして下さい」


 そうこうしている内に、ギルドへと到着した。入り口を潜って一直線にアリアが居る専属受付嬢用窓口へと向かう。


「あら、お二人ともお帰りなさい」

「ただいまー」

「今帰りました、アリアさん」


 窓口へ近付くと、銀の長髪にいつもの眼鏡を掛けたアリアが出迎えてくれた。ああ、この「お帰りなさい」を聞いてやっと帰って来たなーって感じがするな。


「どうでしたか? イェロカカーボの討伐は上手く行きましたか?」

「バッチリバッチリ。ほい、これイェロカカーボの冠羽」


 俺は依頼書の写しを出してから、マジックポーチから解体したイェロカカーボから切り取った黄色い特徴的な冠羽を見せる。


「はい、確認しました。では、“≪フェーヤ森林≫におけるイェロカカーボの討伐”。こちらのクエストは無事完了という事で。お二人とも、お疲れ様でした」

「お疲れーっす」

「お疲れ様でした!」


 よっし、これで今回のクエストはお終い。後は≪月の兎亭≫に戻って飯食って酒飲んで――。

 そこまで考えた時、妙にホールの一部が騒がしい事に気付いた。


「……なんだ一体、折角人が気持ちよく帰ろうって思ったのに」

「あれは……勧誘、ですかね。アリアさん」

「みたいですね。どうやらあの女性スレイヤーをパーティーに誘っているみたいですが……」


 いやいやお二人さん、大真面目に言ってるとこ悪いけど、アレはただ単に勧誘を建前にしてナンパしとるだけやぞ? あのスレイヤーさん、遠目で見ても分かる位美人だ……し……。


「……? ムサシさん、急に固まってどうしたんですか?」


 訝し気に聞いて来るリーリエの言葉に、俺は答える事が出来ない。


 装いは≪フェーヤ森林≫で見た時とは全く違う。惜しげも無く晒されていた裸体は、きっちりと防具で覆われていた。

 しかし、そのデザインは俺の様な重厚な甲冑では無い。あれは……侍が身に着ける様な鎧、具足と言われる物に近いな。

 ただ、全身を包んでいる訳では無い。硬質素材で出来ているのは胸部のみに装着された胴、上腕と肩を守る為の袖と、籠手・手甲。それ以外は全て肌にフィットするタイプの黒い布製防具だ。恐らく、動きやすさを重視している為だろう。

 加えて、俺とリーリエが頭部以外を露出させていないのに対し、彼女は頭部に加えて腰部をホットパンツの様なデザインの防具で包み、その下にある色白な太ももを大きく露出させていた。

 パッと見はデザイン重視なのかとも思う。だが、あれはそんなお洒落の為では無い……一見柔らかそうに見える大腿部は、皮膚の下に凄まじく強靭な筋肉を備えているのが俺には分かった。

 つまり、何も着けていないのは極力筋肉の動きを妨げずに機動力を維持する為だ。それこそ、布一枚ですら邪魔だと言わんばかりに。

 朱色に漆黒の繋ぎ目が入っている硬質部分は、装着者自身の印象とは裏腹に“苛烈”というイメージを抱かせる。

 その和装の装いの中で、唯一他の部位と違うのはつま先から膝までを守る銀色のグリーブだ。何故かそこだけ、西洋甲冑の雰囲気を感じさせる防具となっている。


 そして、その背中には身の丈を超える長大な戦斧バルディッシュを背負っていた。巨大な鈍色の斧部に見合うだけのぶ厚い白銀の刃。そこからは、微かに染み付いた血の気配がする。脳裏に、あれだけの長物を高速で振るい敵を両断する姿が浮かんだ。


 印象深かった腰まで伸びていた純白の長髪は、後頭部で鮮やかな黄色の髪留めを以って一つに纏められている……所謂ポニーテールというヤツだな。

 その前髪の間から覗く緋色の瞳と、頭部にピンと生えている髪と同じ純白のケモミミ、ふさふさの尻尾。見覚えがあり過ぎる。


 ――見間違える筈も無い。そこには、俺が≪フェーヤ森林≫で見た獣人の女性の姿が確かにあった。


「……あの痴女だ」


 俺がそう口から零した瞬間、多数の男共に囲まれていた彼女の瞳がこちらを見た。

 一瞬驚愕で見開かれた後、その表情がにっこりと笑みを作る。そして、男共の間をするりとすり抜けてこちらへと……正確には俺に向かってつかつかと歩いて来た。


 ……やっべぇええええええッ! 嫌な予感しかしねぇぜええええええええッッ!!

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