第12話 自覚する想いと、その在り処

【Side:リーリエ】


 自室へと戻った私は、部屋に入るとポーチ類や魔導杖ワンド、防具のプレート部分等を外してベッドへと倒れこむ。ボフッという音と共に、体が僅かに沈み込んだ。

 そうして暫く動かずにじっとする。やがて自分の口からうめき声が漏れてきた。


「うぅああ~っ! 一体何を口走ってるのよ私は~!」


 ひとしきり頭を抱えてゴロゴロとベッドの上で転がり回ってから、私は仰向けになって天井を見上げた。


「はぁ……アリーシャさんにも、迷惑かけちゃったな」


 今日の≪月の兎亭≫には、私達以外のお客さんがいなかった。宿泊しているのは私と今日部屋を借りたムサシさんだけだけど、一階の食堂にはいつもならアリーシャさんの作る料理を求めて結構な数のお客さんが入っている筈なのに。

 きっと店先で騒いでいた私達の姿を見て引いちゃったんだろうな……でもアリーシャさんが作る料理に惚れ込んでいる人は多いから、多分明日には客足が戻っていると思う。というか、戻ってきてくれなかったらどうしたらいいのか分からないよ……。


「でも、ムサシさんが『ちゃんと詫びを入れたから大丈夫』って言ってたのよね……」


 部屋に帰ってくる時、今日のお詫びとしてヴェルドラの肉をアリーシャさんに渡した事を告げられた。その時私はカウンターで塞ぎ込んでいたので全然気付いていなかったけど、ムサシさんはちゃんと迷惑をかけた事に対するカバーをしていたのだ。

 あんな大きな体をしていて野生の塊みたいな人なのに、そういう所ではきっちりと筋を通す。そこに、子供大人ムサシさんの差を感じた。


 そんな事を考えていたら、脳裏に暴走した私を宥めようと困った表情を浮かべながら必死に語りかけてくるムサシさんの顔が浮かんで、体に再び熱がこもっていくのが分かった。


「……シャワー浴びよ」


 そう呟いて、ベッドから体を起こす。着ていた防具やインナーを脱ぎながらフラフラとした足取りで私はシャワー室へと向かった。


 ◇◆


 熱くなった体と頭を冷やし、部屋で寝間着に着替えていると不意にドアがノックされた。


『リーリエ、いるかい?』

「アリーシャさん? ちょっと待って下さい!」


 部屋を訪ねてきたアリーシャさんは、手にマグカップを二つ持っていた。片方を受け取って二人でベッドへと腰掛ける。手に持ったマグカップからは、ふんわりとハチミツの匂いがした。


「アタシ特性のハチミツミルクだ。飲むと心が落ち着くよ」


 そう言って笑顔を浮かべるアリーシャさんには、どうやら私の心なんて全てお見通しだったようだ。


「……おいしいです。それに、なんだか心があったまります」

「だろう?」


 自分のマグカップに口をつけながら、アリーシャさんは笑う。それを見て安心したのか、私の口からするりと言葉が出てきた。


「アリーシャさん、今日はお店に迷惑をかけてごめんなさい。いつもなら、もっとお客さんで賑わっている筈だったのに」

「なんだ、その事かい。過ぎた事だ、もう気にしなくてもいいよ。それにあの連中お客さんなら明日の朝にはもうウチに飯を食いに来てるさ。そもそもアンタがのはムサシのせいだろう?」

「そ、それはそうかもしれませんけど……」

「そ・れ・よ・り・も~!」


 ベッド脇のサイドテーブルを引き寄せながら、アリーシャさんが意地悪な笑みを浮かべた。


「アイツの事、リーリエはどう思ってるんだい?」

「ふぇ? どうって……大きくて、強くて」

「あーそういう意味じゃなくてさ、としてどう思ってるのかって事さ」


 ピシッと、一瞬思考が止まる。その言葉の意味を理解すると同時に、冷やした筈の頭が一瞬で熱を取り戻した。


「えっ……ええええっ!?」

「ちょっ、声が大きいよ! ムサシに聞こえたらどうするんだい!」


 慌てたアリーシャさんに口を塞がれた。そうだった、隣の部屋にはムサシさんがいるんだった……。


「おおお男としてって、ムサシさんにそんな特別な感情なんて持ってないですよっ!」

「そうかい? なら聞くけど、≪月の兎亭ココ≫に来る時アイツに抱き抱えられて来た訳だけど、どう思った?」

「そ、それは……恥ずかしかった、です。色んな人に見られたし、顔が近かったし、密着してたし……」

「はいストップ。……リーリエ、よく考えなよ? これからパーティーを組む相手だからって、仲間意識以外の感情を向けていない相手に、いきなり今日みたいな事されたら普通はどう思う?」

「どう、って……」


 諭すように投げかけられた問いに、私は少し考え込む。特に深い感情を向けていない相手に、ムサシさんがやったような事をされたら……。


「……嫌、ですね。いきなりそんなを事されたら、その人をどういう目で見たらいいのか分からなくなると思います」

「そうだね、それに相手がムサシみたいな大男だったら、嫌悪の他にも大きな恐怖を感じるだろうさ」


 言われてみたら確かにそうだ。特別親しい感情を抱いている訳でもない異性に、いきなりあんな風に抱え上げられたら、それはとても怖い事だと思う。

 更にその相手が自分よりもずっと大きくて、力も強かったら感じる恐怖は格段に上がるだろう。


 そこまで考えて、私はある疑問を抱いた。


「――あれ? 何で私、怖がらなかったんだろう」


 そう。私は羞恥こそ感じたけれど、嫌悪や恐怖といった物は全く感じていなかったのだ。


 疑問を抱きながらぽつりと私が呟いたのを見て、アリーシャさんが優しく言葉を紡ぐ。


「……それはね、リーリエ。アンタがあいつムサシからだよ。仲間としても、男としてもね」


 アリーシャさんのその言葉は、何の抵抗もなくストンと心に落ちてきた。


 好き。私は、ムサシさんが、好き?


「で、でも! 私とムサシさんはまだ会って三日しか経ってないんですよ!? それに年齢だって一回り以上離れてるし……」

「人を好きになるのに時間や年齢は関係ないよ。ま、つまるところアンタの場合は一目惚れだったんだろ」

「ヒ、ヒトメボレ……」

「そ、一目惚れ。アタシがムサシから話を聞いた限りじゃ、アンタたちの場合は特に強烈な出会い方だったみたいだからね」


 私とムサシさんの出会い。確かに、あの時の光景は簡単に忘れられるような物ではない。

 私の目前に迫ったヴェルドラを、間一髪で退けたその雄姿は、瞼の裏に焼き付いて離れない程鮮烈な物だ。


 でも、あの時私が真に見惚れたのは、その「眼」だった。

 自信に溢れ、己の勝利を疑わず、凄まじい炎と光を宿した強者の瞳。少なくとも、それまでの人生の中であんな力強い眼差しを持つ人間を、私は見た事が無かった。


 だからだろうか。気が付けば、私は彼にパーティーを組んでくれないかと頼み込んでいた。普段の私なら有り得ない行動だったけど、驚くべき事にムサシさんはそれをあっさりと了承した。

 その後はとんとん拍子に進んで、今に至る。


「ま、何にせよだ。リーリエが今抱いている『好き』がどこから来ている物なのか、しっかりと考えるべきだろうね。信頼からなのか、憧憬からなのか、はたまた恋愛感情からなのか」

「……そう、ですね」

「なぁに、これから同じパーティーのスレイヤーとして長く付き合っていく事になるんだろうし、ゆっくりと考えればいいさね。ただし、気を付けな」

「えっ?」


 気を付ける? 何に?


「アイツ、どうにもがあるっぽいからねぇ……本人に自覚は無いみたいだが」

「へ? ムサシさんがですか?」

「うんむ、アンタの様子を見てるとそう思うよ。まさかあのリーリエがこんな風にほだされるなんてねぇ……」

「ぶふぉっ!」


 むせちゃった……にしても、ほ、絆されるって……。


「ま、頑張りな。リーリエの事は勝手だけど娘みたいに思ってるからね、アタシは応援するよ」


 アリーシャさんはそう言って私の頭をくしゃくしゃと撫で回し、自分のハチミツミルクをグイっと呷ると、ベッドから立ち上がって扉の方へと歩いていく。


「――ああ、最後にもう一つ。これはアドバイスというか、忠告だね」


 その扉の手前でピタリと立ち止まり、アリーシャさんはくるりとこちらを振り返った。


「将来アイツの隣にいるのは、。あのゴリラ無駄に甲斐性がありそうだからね……だからになるなら、その辺含めてしっかり考えなよ? 受け入れるのか、拒絶するのか。もしそれを受け入れると決めたのなら、それ相応の度量と覚悟が必要になるからね」


 大いに悩めよ若人わこうど、と言い残しアリーシャさんは部屋から出ていった。

 残されたのは、すっかり冷めたハチミツミルクが入ったマグカップと、それに視線を落とす私だけだ。


「度量と覚悟、か……」


 正直、今の私には自分の「好き」がどんな「好き」なのか分からない。そこがはっきり分からないと、が来たら自分はどうするのかなんて想像もつかない。なので度量の持ちようもないし、覚悟のしようもない。


 だから、まずはそこから探していこう。いつその答えが見つかるかは分からないけれど、取り敢えずは明日からスタートだ。


 決意を新たにした私は、冷めたくなったハチミツミルクを一気に喉へと流し込んだ。

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