第13話 昨日何があったのか、コレガワカラナイ

≪月の兎亭≫出迎えた初めての朝。俺は軋むベッドから降りると、手早くつなぎを着て靴を履く。

 窓から見える外はまだ薄暗く、夜が明けきっていない。だが、この静かで空気が少し冷たい時間帯が割かし好きだったりする。


「どれ、ちょっくらいって来るか」


 机の上に置いていたポーチ類とブレードホルダーを装着し、俺は部屋を後にする。リーリエはまだ寝ていると思うので、足音を立てず静かに一階へと降りた。

 昨日の夜、何やら女将さんと二人で話し込んでいた様だが……俺は最初に気付いた段階で、聴覚を絞っていたので何を話していたのかは知らない。

 流石に、女性二人で話し込んでいる所に聞き耳立てんのはちょっと……鍛え上げた感覚の悪用、ダメ・ゼッタイ!


「おや、随分と早いお目覚めだね」


 食堂では、既にアリーシャさんが忙しそうに動いていた。厨房からは流れてくる美味そうな匂いが、鼻孔を擽る。


「おはよう御座います。女将さんこそ早いっすね」

「朝は混むからね、早めに朝食の準備をしないといけないのさ。……それと、アタシの事はアリーシャでいいよ。女将って呼ばれ方はあんまり慣れてない」

「マジすか。じゃあ……アリーシャ、さん」

「うむ」


 ……何だろう、この感覚。俺みたいな独身アラサー大男が、未亡人のアリーシャさんを名前で呼ぶ……はっ! これが背徳感というヤツか!?


「ちょっとアンタ。なんか妙な事考えてないかい?」

「ソンナコトナイデスヨ?」

「……まぁいい。ところで、アンタはこんな時間に起きて何をするつもりなんだい?」

「いえ、ちょっと街の外周を走ってこようかなと」


 一応、昨日一日でこの街の大きさは大体把握したので、せっかくだからその周りをぐるりと一周してみようと考えてみたのだ。その為、今日は太陽が昇る前に起きた。


「大丈夫かい? この街結構広いよ?」

「魔の山よりは狭いんで問題ないっす」

「アンタを少しでも心配したアタシが馬鹿だったよ……飯時までには帰ってきな」

「うっす。いってきます」


 手に持ったおたまでシッシッと追い払う真似をするアリーシャさんに会釈をして、≪月の兎亭≫を後にした。


「よし……全力疾走で行くぞ」


 マジックポーチから金重かねしげを取り出し、背中へと担ぐ。クエスト中は基本武器担いだまま動くだろうし、今のうちにこの重さを加えて全力で動く事に慣れておかないとな。


「3,2,1……GO!」


 石畳を蹴って、薄暗い街の中を疾駆する。まずは外周部までフルスロットルだ!


 ◇◆


 結論から言おう。確かに広かったが、一周するのに三十分も掛からなかった。

 魔の山の様に急な傾斜や極端な高低差がある訳でもなく、ひたすら平坦な道だったので想定よりも遥かに早く走り終わる事が出来たのだ。

 ……ただ、≪月の兎亭≫に帰ってくる時微妙に迷ったのは誤算だったな。


「おや、随分お早いお帰りだね」

「思ったよりも順調に走れたので……リーリエはまだ起きてないすか?」

「そうだね、あの子は大体七時位に起きるから」


 うーむ、それだとまだ大分時間に余裕があるな。


「アリーシャさん、ここって裏庭的な場所ってあります?」

「うん? 一応、向こうから出た宿の裏手側にあるけど……何をするつもりだい?」


 裏口と思われる物がある方向を指さしながら、アリーシャさんが怪訝な表情で聞いてくる。


「いや、まだ時間があるので素振りでもしようかなと」

「……やってもいいけど、あのバカデカい剣で建物壊すんじゃないよ」

「そんな事しませんよ……」

「あと五月蠅くするのもだめだ。ご近所迷惑になるからね」

「了解っす。じゃあちょっと場所借りますね」


 そう言って、俺は裏庭へと向かう。さて、まずは音をたてないようにしながら素振り千回だな!


 ◇◆


 どの位経ったのだろうか。気が付けば、朝日が裏庭と剣を振るう俺を照らし出していた。


 双剣形態と大剣形態を混ぜ合わせながら、剣閃を奔らせる。そうしていた時、不意にを感じた。

 その方向にちらりと視線を向けると、廊下に設けられた窓から興味深そうにこちらを眺める人々の顔があった。


「……見世物じゃないんだがなぁ」


 ふぅ、と息を一つ吐き、剣を収める。太陽も昇った訳だし、ここいらが潮時だろう。

 俺が素振りをやめたのを確認すると、集まっていたギャラリーは次第にその場を離れていった。


 それを確認して、俺は裏口から宿の中に戻る。食堂に顔を出すと、そこには先程の見物人達を含めた沢山の人達がいた。


「終わったかい?」

「えぇ、まぁ。まさかあんな大勢に見られているとは思いませんでしたけど」

「アタシがアンタの事を話したからね。昨日の騒ぎを起こした張本人の顔を拝んでやろうと思ったんだろうさ」

「成程……で、恨み節の一つでも聞きました?」

「いんや、確かに昨日の事には驚いていたみたいだけど、皆さほど気にしている様子じゃなかったね」

「そうですか。良かった……」

「おや、意外とそういう事は気にする質なのかい?」

「いえ、俺の事は別に構わないんすけど、リーリエの事がありますから」


 俺が原因の騒ぎのせいで、リーリエまで奇異の眼で見られていたらいたたまれない。


「なんだ、そんな事か。心配しなくてもここに来る連中はリーリエの事を見たり言ったりしないさ」

「なら、良かったです」

「それにアンタだって別に嫌われたりしていないよ? ただリーリエが連れてきた男って事で多少嫉妬はされているかもしれないがね」


 ……そりゃあのレベルの美少女が男なんか連れてきたら大抵の野郎は妬くだろうが、ひじょーに残念な事に俺とリーリエはそんな関係じゃないからなぁ。


「取り敢えず、リーリエを起こしてきてくれないかい? あの子、いつもならもう起きて下に下りてきてる筈なんだけどねぇ」

「分かりました。ちょっくら部屋まで迎えに行きます」

「宜しく頼むよ。……もし着替えの最中だったら覗くんじゃないよ?」

「そんな事しないっすよ!? ノックして部屋の前で待ちますよ!」


 一体俺を何だと思っているんだ……。


 ◇◆


 俺に対するアリーシャさんのイメージをどうやって変えるか思案しながら、リーリエの部屋の前まで歩く。

 扉の前に着いた所で、思考を中断して部屋をノックした。


「リーリエちゃ~ん、朝よ~起きなさぁ~い」


 そう声を掛けると、扉の向こうでバタバタと動き回る音が聞こえてきた。もしかして、今起きた感じか?

 暫く慌ただしい音を立てた後、こちらに向かってくる足音が聞こえたので扉の前から一歩体を引いた。


「おっ、おはよう御座います!」

「はいおはよう。何だ、夜更かしでもしたか?」

「そんな所です……すいません、わざわざ起こしに来てもらって」

「気にすんな、同じパーティーの仲間だろ? 取り敢えず、下行って朝飯を食おうぜ」


 そう言って二人で一階へと向かう。その間、リーリエが時折こちらをチラチラと見てくるのが若干気になった。

 はて……俺なんかしたかな? いや、昨日盛大にやらかしてはいるんだけども。どうにもそれだけじゃない気がするんだけども……。


 そうこうしている内に食堂に付き、俺達は昨日と同じカウンターに陣取った。例の如く、金重かねしげちゃんはマジックポーチの中である。


「おはようリーリエ」

「おはよう御座います、アリーシャさん」

「……その分だと、昨日はあんまり眠れなかったみたいだね。大丈夫かい? 今日から本格的に二人で活動を始めるんだろう?」

「だ、大丈夫です! ムサシさんに迷惑はかけません!」

「そうかい。なら飯食って頑張るんだよ」

「はい!」


「……なぁ、リーリエ。昨日部屋に戻った後なんかあった?」


 二人の会話を聞いていて、妙な違和感を感じた俺は思った事を聞いてみた。


「ナ、ナニモナイデスヨ?」

「分かり易っ!」

「昨日の夜にアタシとお話してたんだよ。……ムサシさぁ、いくらこれからパーティーを組む仲間だからって、安易に女性のプライベートに踏み込むと嫌われるよ」

「はい、もう何も聞きません! アリーシャさん、ドラゴンステーキ定食特盛で!!」

「うんうん、それでいいのさ」


 アリーシャさんのいう事はもっともである。親しき中にも礼儀ありですねぇ……。


「……いつの間にか名前呼びになってる」

「アタシから頼んだんだよ、リーリエ。どうも女将さんって呼ばれるのはむず痒くてね。ほら、アンタも知ってる客の連中だってアタシの事は名前で呼ぶだろう?」


 二人が小声で何か話していたが、俺は努めて聞かないようにした。アリーシャさんに言われた事もあって、そうした方がいいと思ったからだ。


 ……飯食って気持ちを切り替えよう。

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