第2話 下山しよう!

【Side:異世界の少女】


 彼との出会いは、鮮烈なものだった。

 その日、私はいつもの様にギルドで薬草類の採取のクエストを受けて街から馬車で二日ほどかけた先にある山へと向かっていた。


 そこは通称「魔の山」と呼ばれる場所であり、その奥には大型種のドラゴンも生息していると言われているやっかいな場所だった。

 しかし、それはあくまで奥まった場所の話で、比較的浅い領域であれば危険性はさほど高くなく、それでいて豊富な種類の薬草が採れる場所として知られていた。


 山について最初の方は順調だった。この調子なら目標数の薬草はすぐに集まるだろうと思っていた。

 しかし、薬草集めに夢中になっていた私は気付かなかった。採取を続けるうちにいつの間にか周りの景色が変わっている事に。


 ふと顔を上げれば、いつの間にか周りには太い大きな木々が生い茂っており、明らかに中層付近まで入り込んでしまっていた。


 私は慌てて元来た道を戻ろうとした。しかし、私はここで魔の山の恐ろしさを垣間見ることになる。

 鬱蒼と生い茂った高い木々が空を覆い隠し、方向感覚が狂ってきたのだ。それでも何とか麓の方まで戻ろうと必死に歩を進めるが、中々見覚えのある場所まで出る事が出来ない。


 途方に暮れて立ち尽くしていた時、不意にその音は聞こえてきた。


 ズシン、と大地を震わせる音。木々をかき分け、なぎ倒しながらこちらへ近づいてくる存在。

 そんな、バカなと思いつつ音の方向を見ると、そこにはここで一番出会いたくない相手がいた。


 鋭利に発達した濃緑の外殻に、金色の双眸。二本足で立つ姿は圧倒的な強者の風格。


 その名はヴェルドラ――魔の山の生態系の頂点に立つ、大型種のドラゴンだった。


「――【加速アクセル】ッ!」


 その姿を確認した瞬間、私は即座に魔導杖ワンドを背中から抜き取り、自分の体に身体強化の魔法をかける。

加速アクセル】は対象の移動速度を一時的に上昇させる魔法だ。それを自分自身にかけて、私は一目散に逃げだした。


 落ち着いて考えれば、逃げる以外にも遣りようはあったかもしれない。

 だが、無理だった。生まれて初めて、生きている大型種のドラゴンと相対した私の心は、一瞬で恐怖に支配され、『逃走』以外の事が考えられなくなっていた。


「ハア……ハア……くぅっ!」


 悔しい。逃げる事しかできない自分が恨めしい。

 その思考が余計だったのかもしれない。やっと開けた斜面と斜面の間にある空間に出たと思ったその時、私は足元に露出していた樹木の根に足を取られて大きく転んでしまった。


 立たなきゃ、立たなきゃと思うが足がうまく動かない。背後を振り返れば、そこには猛然とこちらへ向かってくるヴェルドラの姿が見えた。


「もう、だめかなぁ」


 迫る巨体を間近に捉え、自然と涙が流れるのを感じたその時――


「オルルァッッ!」


 その雄たけびと共に、左手の斜面の木々の間から影が飛び出してきた。

 その影は丸太と思われる物をヴェルドラの頭に叩き込み、悲鳴と共にその巨体を大きく仰け反らせると悠然と私の目の前に着地した。


「ふぅ……大丈夫か?」

「……えっ? あっ、はい!」


 そう返すのが精いっぱいだった。そこには、あのヴェルドラにも劣らない圧倒的な存在感を醸し出し、黒髪を後ろで結った大男が立っていたのだ。

 とにかく体が大きい。二メートルはあるであろう長身に、全身を覆う分厚く、大きな筋肉。『鋼の鎧』という単語を連想させる見事な肉体だった。それこそ、思わず見惚れてしまうほどに。

 だが、次の一言で私は驚愕の表情を浮かべる事となる。


「よし、ちょっくらアイツ仕留めてくるから待ってて」


 事も無げに、まるで何でもない事のように彼は私に告げた。


「そ、そんなの無理です! だってあのドラゴンは――」


 私の叫びを聞き届けるよりも早く、彼は動いていた。凄まじい瞬足をもって、何の迷いもなくヴェルドラへと向かっていく。

 そして私は目撃した。圧倒的な膂力と超人的な肉体をもって大型種のドラゴンを屠る人間の姿を。


 これが、私と彼――ムサシさんとの出会いだった。


 

 ◇◆◇◆



「落ち着いたか?」

「はい……なんとか」


 因縁のドラゴンを討伐してひと段落し、謎の勧誘をしてきた少女を落ち着かせたところで、俺達は向かい合う形で、近くにあった岩の上に腰を下ろしていた。


「さて、色々聞きたい事はあるけどまずは自己紹介からだな。俺の名前はムサシだ、君は?」

「わ、私はリーリエっていいます。≪ミーティン≫で≪スレイヤー≫をやっています」

「んん~? 知らない単語が二つほどあるな……そのミーティンとスレイヤーってなんぞ?」

「えっ? それって……どういう?」


 少女――リーリエが困惑した顔で俺を見ているが、残念ながらずっと山に籠っていた俺にはこの世界の知識などはほとんど無い。


「すまんな。実は俺、物心ついた頃からずっとこの山で暮らしてたから、ここで暮らすのに必要な知識以外何も知らないんだ」

「ええっ! そうなんですか!?」

「おう。自分以外の人間に出会ったのもリーリエが初めてだぞ」

「そ、そうですか」


 今の俺には知らない事が多すぎるので、少しでも情報が欲しい。せっかく初めて異世界人に出会ったんだ、聞ける事は聞いておきたいな。


「えっと、まずムサシさんが気になっていた事について話しますね。まずミーティンっていうのはここから馬車で二日ほど行った所にある街の名前です」

「ほう、街! 大きいのか?」

「そうですね。この地方では一番大きな街だと思います。それとスレイヤーというのは≪ギルド≫という組織に属して、そこで受けられる≪クエスト≫っていう様々な依頼を請け負うことで生計を立てている者の事を指しますね。クエストの内容は様々ですが、花形と呼ばれるクエストはやっぱりドラゴンの討伐ですね」

「成程。ギルドにスレイヤー、それにクエストか。ちなみにドラゴンってのはさっき俺が仕留めたアイツみたいなヤツの事でいいのか?」


 俺が親指で後ろに転がっているアイツの事を指さすと、リーリエはこくん頷く。


「はい、そうです。でも驚きました、単独ソロでヴェルドラを討伐していたのでてっきり高名なスレイヤーの方かと……」

「アイツはヴェルドラって名前なのか。全く知らんかったわ」

「本来なら赤等級以上のスレイヤーが複数人で討伐する相手ですよ……」

「おっとまた知らない単語だな。赤等級ってなんぞ?」

「ああ、えっと……スレイヤーはその実力によってギルドが決めた五つの等級に分けられるんです。下から白・黄・赤・青・紫の五つがあって、自分の等級によっては受けられるクエストに制限がかかるんですよ」

「受けるクエストの難易度によって要求される等級が変わるって事か」

「お察しの通りです」


 うーん、しかし聞けば聞くほどファンタジーだな。改めてこの世界は地球とは全く別の世界なんだと実感させられる。


「で、君が俺を誘ったパーティーっていうのは一つのクエストを複数のスレイヤーで受ける時の形態って事で合ってる?」

「はい。でも、ムサシさんはスレイヤーじゃないんですもんね……」


 しょんぼりと肩を落とすリーリエを見て、俺は一つ決心をする。


「質問なんだが、そのスレイヤーってのは俺でもなれるの?」

「え? そうですね……ヴェルドラをソロ討伐出来るくらいですから実力的には何の問題も無いと思います」

「よっしゃ! じゃあ俺スレイヤーになるわ。そんで君とパーティー組んだる」

「えぇっ!? い、いいんですか?」

「おう。いずれ山は下りるつもりだったし、ここで会ったのも何かの縁だろ。その代わりと言っちゃなんだけど、人里で生きていけるだけの一般常識やらその他諸々を教えてくれ」

「は、はい! よろしくお願いします!」


 パッと顔を上げて俺が差し出した手を握ってブンブンと振る姿は年相応って感じだな。おっさんになってしまった俺にはその笑顔がやたら眩しく見えた。


「どれ、じゃあ下山する前に一旦拠点に戻って持ってける物は持ってくか。あぁ、それと一応アイツ解体して素材と肉も持ってこう」

「それですね。ヴェルドラの素材ならギルドで換金すればかなりの値が付くでしょうし、武具の素材にもなりますよ」

「いいねぇ、じゃあさっそく解体しようか」

「あっ、待ってください。今マジックポーチの容量を空けるので」

「マ、マジックポーチ……ファンタジーだ……」

「? 何か言いました?」

「いや、何でも」


 多分なんでも入るんだろうな。そうなんだろうなぁ。


「そういえば、なんでリーリエはヴェルドラに追い回されてたんだ?」

「その……薬草集めのクエストを受けてたんですけど、いつの間にか迷子になっちゃって……」

「そ、そうか」


 ……なんかこの子、目を離したら駄目な気がしてきた。

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