土と花

 彼のライブ出演情報を入手出来たのは偶然だった。出版社で初めて出来た後輩の一人である雛田さんが、あの日一緒にステージの光を浴びていたあるバンドのファンだったのである。新卒の雛田さんの心の内側にはいつも混濁とした、殆ど魑魅魍魎と言っても良い世界が覗けた。ゆらゆらと揺れる茶色のポニーテールの裏側には風の吹き荒ぶ圧倒的な一地帯が備わっていた。雪観はいつだって、自分のどこか薄っぺらく、ギリギリ手の届かぬ様な上空に浮いていて、とてもよんどころない人生の歴史を恥じていた。だから後輩の雛田さんには出逢ってすぐに憧れを抱いた。その強さの源とは、一体何なのだろうか。雪観は彼女の観察を始めた。それは一つには自己の修復を求める藻掻きの一手であると言えたし、また一つには会社という頭蓋骨の内側の様な場所で継続する小さな痛みを紛らわす為の策であった。

 やがて、彼女の心の支えとなっていたのはある無名なバンドとそのドラマーである彼氏だということが分かった。彼女に信頼してもらえる様に頑張って振る舞っていたら、自分でもやっと自己の中に先輩と呼ばれる新鮮な顔が生まれつつあることに気が付いて来た頃に、こっそりと教えてもらうことが出来た。そのときの彼女の顔――それは、荒涼とした大地にたった一本背を伸ばす凛としたひまわりの様だった。雪観はまたしても圧倒されてしまったのだった。

 雛田さんは雪観にとって特別な存在になった。彼女にはその匂いに引き寄せられた人々を皆骨抜きにしてしまう天賦の才能が備わっているのだと思う。ただそれは、捕食の為の能力ではなく、弱いものを守る為に与えられた力であるのかもしれない。雪観は彼女に少しずつ自分のことを話した。彼女もまた雪観のことを信頼してくれ、様々なことを教えてくれた。その荒野の上でのほのかなやり取りの中で、雪観は錬の出演するステージのことを知ったのだった。

 ライブ前日の夕刻、雛田さんから風邪をひいたので一緒にライブハウスへ行くことが出来なくなってしまったと連絡があった。本当だろうか? 翌日、彼女は職場へちゃんと来たが、彼女の顔と比較して大きめのマスクを着用していた。雪観は本当に今日のライブへ行かないのかと尋ねたが、彼女は目を細めて首を振った。以上が高橋雪観が一人で山川錬の出演するライブを観に行くことになった理由である。

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