滝壺

 誰もが本性を隠して、行動で何かを示そうとしている。ひょうきんな顔、鋭い声、大袈裟な笑い方、取り上げた教科書、強い言葉、強い人達、幼弱な結びつきに光を失った目。けれど私は、そんな人達と一緒ではなかった筈だ。あの日の汚らしい虚勢の張り合いに、私は参加していなかった。皆とは違ったんだ。でもそれを表明する勇気がなかった。自分と他人の差異や他人と他人の差異に怯えていた。差異を認める勇気もそれを支える願いも持っていなかった虚無な自分を嫌悪した。空洞の教室に隠されていた宝物を私は守れなかったのだ。

 心の落とし物は、深い谷の底へ落ちてしまった。

 雪観は自分の取り返しのつかない失態を思い出しては過呼吸に陥った。信じられる願いや純粋な美しさを見つけ、それ等を守ろうと努力していても、恐怖の化け物は不意にやって来る。悲劇の主人公は、自分でなくコアラだ。彼への形容し難い感情の轟音が、また冷たい滝壺に降り注ぐ。何度も何度も、降り注ぐ。


 私は東京の出版社で編集として働くことになり、静謐な夜が一日を包み込む街から電飾が大人達を照らす街へ引っ越した。その年に、コアラも東京へ来ていたのだった。地元の成人式に顔を出してしまったばっかりに定期的に届く同窓会の知らせをそっと葬り去るときと同じ感慨を、私は彼に対して抱いていた。その会に彼が来るというなら、私も準備を整えて出向くが。

 出版社での仕事は、激務だ。「本が好きである」という気持ちだけでこなせるものでは到底なく、どこかの段階で編集は「作家が好きである」という気持ちを会得せねばならない。職への誇りと出版の悦び、憧れの作家と仕事をすることの感動、或いは熱意、それ等でなんとか自身を鼓舞しつつ日々を消化していくのだが、なんと不安定な栄養であるか? 私の運命はいつだって、不安定だらけだ。

 ショーウィンドウに飾ってある可愛い服や「ALOHA」と書かれた看板を掲げるお洒落なレストランを、出来るだけ見ない様にして眠らない坂道を往復する日々は、私の不安定性をこれでもかという程に蝕み、何とかして覆い隠してきたものを露にしようとする。例えばお洒落なレストランから聞こえて来る楽し気な音楽――これは避けようのないものだ。

 出版社の業務内での負の感情はなんとか先に述べた栄養剤を補給することでしのげるのだが、それと個人の――高橋雪観という人間の感情は別問題である。だから私には、何か縋るものが必要だった。頼るものが必要だった。

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