第3話『アキラとスミカ』

  照らしていた日光が傾いている。午後四時。葉っぱは風に揺られ、気温は一気に下がり始める。木の影はすでに形を変え、日光はアキラに直接降り注ぐ。

「あの、こんなところで寝ていたら危ないですよ」

 再び視界に影が差し込まれ、音と目でアキラはまぶたをゆっくりと開けた。目を細め、ぼやける視界を水晶体が必死に戻そうとする。

 ようやくピントがあったかと思うと、そこには長い黒髪の女性が立っていた。

 皴がない白のワンピース、長年被っていたのであろうと推測される麦わら帽子。可愛らしいワンピースなのに、青いリュックサックを背負っていた。ミスマッチだなぁ、ちょっとだけ。

「あぁ、助かったよ。ありがとう」

「田舎といっても、このままじゃ風邪をひきますよ」

 綺麗な子だな、とアキラは思った。 

心配そうに覗く瞳はキレイに澄んでいる。アキラの年齢になれば容姿を気にして肌にぬったくる女性は非常に多いのだが、どうやら目の前の子は例外のようだ。

「そうだね。もうちょっとしたら起きるよ」

 体を動かそうとした。が、明らかに手足に力は入らない。寝相のせいで起きた痺れかと思ったが、どうやらそうではないらしい。ぐっと肩、首に力を込めて、なんとか体を持ち上げることに成功した。

 それと同時にぐるる、とアキラのお腹が鳴った。

「もしかして、お腹すいてるんですか?」

 そういうとリュックサックから小さめの包みを取り出した。中からはアルミホイルに包まれた握り飯がふたつ。

「どうぞ」

 今のアキラにとって同じ重さの宝石かと錯覚するほど、光輝いて見える。

「ありがたいけど、受け取れないよ。いまお金持ってないし」

「自作のおむすびでお金は取りませんよ」

 彼女はくすっと笑う。

「そう? なら遠慮なく」

 細い指から細い指へ受け渡されるアルミホイル。

 アキラは小さな口を精一杯広げ、思いっきりかぶりつく。大きめに作られた一つ目のおにぎりの中身は昆布だった。一、二、三で平らげ、一瞬で胃へと消えていった。

 二つ目のおにぎりを手に取ると、アキラは急に固まってしまった。

「どうしました?」

 ひとつめのおにぎりをほおばっていたアキラが急に制止したため、昆布が苦手だったのかと妙に不安になってしまう。

「その、一個目がいつの間にかお腹に入っていったもんだから、二つ目は大切に食べようと思ったんだけど、それと同時にかぶりつきたい衝動にかられてさ。困ったもんで悩んでる」

 とてつもなく小さな悩み事に、少女は呆気にとられる。

 だがアキラは本気で悩んでいた。こんな旨い握り飯を食べたことなどない。空腹が最高の調味料とは言うけれど、おにぎり一つでここまで幸せになれるのならば、今後は意図的に断食するのも悪くないかもしれない、と。最近少しだけお腹も出てきたところなので、悪くないアイディアなのかもしれなかった。

「おかしな人ですね」

 茶化した声など、今のアキラには届くことなどない。じっと一粒一粒に目を向け、お米の声に耳をたてる。

 ――ひとくちで、ひとくちで。

 アキラには小さな声が聞こえた気がした。

「よし、わかった! ありがとう! 頂きます!」

 そういうと、さきほどよりもさらに大きな口を開けて、無理やり放り込む。

 アキラの頬はリスのように膨らんだ。口に詰められた小さな米たちの仕業である。

「えっ!?」 

 少女にとって十回にも分けて食べるおにぎりを、いきなり一口で食べるものだから、呆気にとられるというよりもなにが起きたのか理解できていなかった。

 もぐもぐ、ごくん。

 少女が理解しきる前に、アキラはひとつめのおにぎりよりも早く食べ終わった。

「ごちそうさまでした。ありがとう。本当に美味しかった。元気が出た」

「もう、そんな急に食べたら体に悪いですよ。はい、お茶です」

 溜息をつきながら、リュックサックの水筒から冷えた麦茶を差し出す。

「いやぁごめんね、ここまでしてもらっちゃって」

 食事の余韻を楽しみながら、アキラは頂いたお茶をすする。 

「なにか恩返しが出来ればいいんだけど」

「おむすび二つとお茶で恩返しだなんて、なんか昔話みたい」

 満足そうなアキラを見て、女の子は顔が緩み噴き出した。彼女にとってアキラの申し出はどうやらおかしかったようだ。

 そうだ、とアキラは思い付き、鞄から筆記用具と少し汚れたスケッチブックを探し出す。

「絵を、プレゼントさせてよ」

 アキラの目は握り飯を差し出されたときよりも輝きを増している。

「画家さんなんですか?」

「いや、そんな大したもんじゃないよ。ただの趣味」

 腹も満たされ、上機嫌になったアキラは、綺麗な高音を鼻歌でつむぎながらスケッチブックを開いた。

 少女も、自然と目がスケッチブックへとうつる。

 そこには名前が書かれていた。

「咲桜……アキラさん?」

 自身の名前を呟かれ、アキラはあることに気付く。

 そして、手に持った鉛筆とスケッチブックを置き、少女の正面にあぐらをかいた。

「あぁ、忘れてた。初めまして、咲桜アキラです。お嬢さんの名前は?」

 昔見た少女漫画のできる限りイメージしながら、アキラは上半身だけ王子様のように振る舞う。

 上はまるで王子、下はまるでおっさんと。変にかしこまるアキラを見て、少女はまた微笑んだ。

「ふふ、初めまして。私の名前は瑞浪スミカです」

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