第五話



【現在】


 場面は変わり、あの事件から数年経った十七歳の僕は、今日も変わらず学舎に勉学に励んでいました。いや、今から励む予定です。


 通学途中に蝶と出くわし、色々と喋ったり悪戯されたり、またそれに反撃しながらのろのろ歩いていたら、すっかり始業時間ギリギリになってしまったのでした。


 二人で焦りながら教室に入ると、もう皆席について仲良く勉強をしている最中……かと思いきや、数十人ほどのクラスメイトがまだ机に向かわずにわいわいと騒いでいました。


 学舎にはこの教室一つしかなく、島の子供が皆、此処で日々学んでいます。その為、一番下は身長が四尺にも満たぬ五、六歳の子供から、一番上はその者達より一回り以上離れた十七歳までが、一つの教室で一緒に学んでいます。


「あ!」


 僕と蝶を見て声を上げたのは、僕達と同い年の女の子、絢世でした。

 短い栗色の髪と白い肌のコントラストがとても可憐な印象ですが、それと反して性格は勝気で、人一倍責任感が強い女の子です。彼女は、僕達のところへ大股で歩み寄ると、腕を組み仁王立ちで立ちはだかりました。ああ、いつものやつだ。いつもの。


「御早うございます」

「おう」


ぶっきらぼうに蝶が答えます。


「絢ちゃん、御早うございます」


開き直った僕が、続いて挨拶。


絢世は、微笑みながらも棘のある声色で僕達に話しかける。これは怒っている合図だ。


「貴方たち、悠々とまた遅刻ですか。良い大人達が、本当に呆れますわね」

「はいはい、ごめんなさいー、反省してますー。……あー、朝からうるせぇ」

「……」

「ちょ、蝶……最後のばっちり聞こえちゃってますよ。多分、絢ちゃんにも」

「あ、そう?あはは」


張り付けたような笑顔を浮かべた絢世の口元は、案の定ピクピクと分かりやすく痙攣していました。


「だってさー、そんな怒ることなくね?先生も来てないみたいだしさ」

「先生は、今日体調が優れなくてお休みとのことです。でも、だからと言って遅刻して良いということではないでしょう! 」

「たく、だから俺さっきからごめんって言ってるだろ!グチグチうるせえなあ、お前は俺の母ちゃんかよ!」

「なんですか、その態度は……!それって逆切れではありませんの?」

「お前こそ、いっつもしつこいんだよ!一言余計なの。だからずっと恋人の一人もできやしねぇんだ」

「な、なんですって!無神経な……!というか、それは蝶だって同じじゃありませんこと!?」

「なんだと……」


 大雑把な性格の蝶と、根っからの優等生な絢世は昔からこんな調子で、顔を合わせる度に喧嘩をするような、言うなれば水と油の関係でした。


 そして、僕はそんな彼らに挟まれていつもピーピー泣いているという訳です。本当に可哀想な僕。


「ええと、お二方?チビ達も見てますから、取り敢えず落ち着きませんか?」


 十歳やそこらの年齢の子供は、「ああ、またか」と呆れて気にもしませんが、それより小さな子供は、じいーっと、言い争う蝶と絢世を興味津々に見つめています。澄んだ瞳で。


 それで二人は我に返ったのか、気まずそうに一瞬だけ目線を合わせて言い争うのを止めました。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、チビの内の一人がツカツカとこちらに歩み寄ってきて、一言言い放ちました。


「夫婦ゲンカ」

「……は?」


 何の脈絡も無く言い放たれた言葉に、蝶と絢世は二人揃ってまぬけな声を上げました。もちろん、チビは臆する事無く言葉を続けます。


「いっつもね、蝶と絢世姉ちゃんがわあわあ騒いでるのって、夫婦ゲンカって言うんでしょ?おれ教えてもらったんだ」

「誰に……?」


 明らかに怒りを示した表情の絢世は、深い意味など何も知らぬチビに問い掛けました。蝶も同様の顔をしています。


 それに気づきもせず、チビは可愛らしい笑顔で答えてくれました。頼んでも無いのに。


「空兄ちゃん!」


 次の瞬間、顔を真っ赤にした絢世の細腕から繰り出されるあり得ない力の鉄拳を喰らった僕は、それに抗うことも出来ずに教室を突き破り、吹っ飛ばされました。



*************************************



「あんまりだ……」


 そう口を動かすと、腫れた頬がジクジク痛みました。


 学舎に併設されている医務室で手当てを受けている僕。と、蝶。


 あの後、蝶も一緒に吹っ飛ばされたらしいのです。当たり前です。そもそも僕が吹っ飛ばれる方が理不尽過ぎて、笑いさえ込み上げるくらいです。


 まぁ、遅刻したのは間違いなく悪いですが。


「全く、あの細い体のどこに怪力が溜まっているのでしょう」


 思わず、溜息と共に絢世に対する純粋な疑問が漏れます。蝶は、馬鹿にしたようにフンと鼻で笑いました。本当に懲りない奴です。


「知らん。あの無駄にデカいおっぱいじゃねぇの?」

「蝶……それ絶対絢ちゃんの前で言っちゃダメですよ」

「そうよ蝶君。女の子は繊細な生き物なんだから、そんな無神経なこと言っちゃ嫌われるわよ」


 そう言い、僕達の手当てをするのは、この医務室の主である、朔夜先生。話し方は女性そのものですが、れっきとした男性です。

 背中くらいまで伸びた黒髪を一つに纏めて、端正な顔立ちに、すらっとした長身。

 それに、いつも白衣を着ている姿は、黙っていれば島中の女性が放っておかない逸材です。


 恋愛対象は……不明。


「朔夜先生、その話し方どうにかならねぇのか?」

「どうにかなるって?やだ~、何で直さなきゃいけないのよぅ、これが素の私なんだから」

「なんか、朔夜先生って本当に勿体無いですよねぇ」

「……空さん、じっと、する。動くと、包帯がずれる」

「ん?ああ、ごめんなさい、つむぎちゃん」


 くねくねする朔夜先生の横で静かに僕の手当てをしてくれる、割烹着を着たおかっぱ頭の女の子は、僕達と一緒のクラスで学びつつ、医務室で朔夜先生の手伝いをするつむぎちゃん。

 今年十二歳で、朔夜先生の妹でもあります。


 お喋りなお兄さんに似つかないほど物静かな性格で、どういう育ち方をすればこんな相反する兄妹になるのか不思議なくらいです。


「……できた」

「ありがとう」


 僕が礼を言うと、つむぎちゃんは子供らしいふっくらした頬を桃色に染めつつ俯き、朔夜先生の影に隠れてしまいました。嫌われているのでしょうか。


「あらあら、ごめんなさいねぇ空ちゃん。つむぎったら、まだまだ恥ずかしがり屋さんが治らなくって」

「いえいえ」


 隣で、何故か蝶がニヤニヤしながら僕を見てきました。なんだ、此奴。


「朔夜先生、治療ありがとうございました。僕達、そろそろ戻らないと」

「あら、そう?じゃあ、つむぎも連れて行ってあげてくれないかしら」

「はい」

「絢世のヤロー、戻ったら文句言ってやる」

「ダメです、僕はもう吹っ飛ばされるの嫌ですよ!」


 つむぎちゃんを連れて教室に戻ると、絢世は申し訳なさそうに僕達に頭を下げてきました。


「その……今回ばかりは私が大人げなかったですわ。お二方、ごめんなさい」


 素直に謝ってくれて良かった。僕は今度こそホッと胸を撫で下ろしました。蝶も、此処まで真っすぐ謝られたからには文句を言う気力も失せたのか、満更では無い顔をしていました。


 実は、二人ともお互いの事が嫌いでは無い癖に、本当に世話が焼けます。


 吹っ飛ばされても、理不尽な暴力に巻き込まれても、二人の口論に巻き込まれても、僕にとっては蝶も絢世も、かけがえの無い友人です。


 こんな愛しい日常がいつまでも続けば良いと思う反面、この日常の舞台であるこの島からの脱出を願う矛盾を、僕はいつも心に抱えています。


 あの奇妙な出来事を一緒に経験した蝶は、笑みが絶えないこの日常の中で僕が一瞬だけ見せているかもしれない暗い感情に、気づいているでしょうか。




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