第四話




「島だ――――」


 視えたのは、僕たちが出発した港。停泊している父の軍船が確かに在ります。

そこは、僕たちが逃げたくて逃げたくて仕方なくて、とうとう『脱獄』を図った、あの場所に違いありませんでした。


 しかし、そんなハズは無いのです。

 まだ、先ほど引き返し始めたばかりなのに。長い時間を掛けて遠ざけた筈なのに。


「どういうことだ……なんで、もう島が目の前にあるんだよ……」

「分かりません……あり得ない」


 背中に冷たい汗が一筋流れたのが分かりました。

 固まっている僕たちをよそに、先ほどの陸地の時とは違い、今度は船が自分から引き寄せられるように島に近づいて行きます。

そして、勝手に港に着いてしまったのです。


「つまり……俺たちは、逃げられないってことなのかよ。この島から永遠に」

「……」


『島から何人たりとも逃げられない』という仮定は考えにくい。


 では、僕の父はどうやって外界に渡っているというのか。


 数週間、行ったふりをして島の周りを船でフラフラして帰ってくるというのは現実的ではないから、やはり本当に島の外に行っているとしか思えない。


 何者か――――いや、人であるかも分からぬから『何か』というべきか――――が、人を見定めて島の出入りをさせているとしか思えない。


 ということは……


「僕たちを、何処かから監視しているものがいるのかもしれない」


 そんな悍ましい結論に達してから間もなく、外部からの何らかの衝撃により、僕の意識は途切れました。



*******************************



 ああ、またこの甘い香りか。


 桃の香りで目を覚ました僕は、天井の次に視線を横に移し、僕が寝ている布団の隣で桃を剥いている父の姿を認めました。


「この桃はな、島でしか育たないんだ。特別なんだぞ、外では決して手に入らない」

「甘い香りが強ければ強いほど栄養が詰まっている証拠で、滋養を摂るには持って来い。だろ」

「おや、完全に起きたかい。空」

「何回も聞いたよその話」

「なら早く食べなさい。昨日から、飯食べていなかったんだろう」


 甘い良い香りではあるけど、どうも桃は食べようという気が湧いてこない。


 島の人々は、子供から年寄りまで島で育つ桃が大好物です。

 しかし、僕は昔から先に言った通り観賞は好きですが、食べ物としての魅力は全く感じません。

 寧ろ、食べなくて済むなら食べない方がいい。

 とはいえ、今、僕はかなりの空腹のようで腹の虫が恥ずかしい鳴き声をあげました。 さすがに、何か腹に入れてやらないといけません。


 重い上半身を起こし、父に言われるがまま桃をむしゃむしゃと頬張りました。

 口を動かしているうちに、だんだんと頭が覚醒してきます。


 そうだ、僕には確認しなければいけないことが山ほどある。

 まず、先ほどまで一緒にいた蝶がいない。


 桃を剥き終わり満足したのか、胡坐をかきながら厚い本を読み始めた父に再度話しかけました。


「父様」

「なんだい」


 本に落としている視線はそのままで返答されます。


「僕はどのくらい寝ていたの」

「まぁ、だいたい半日くらいかな」

「僕はどういう状況で帰ってきたんだ。あと、蝶は?一緒にいたハズなんだけど、彼は今どうしてる」

「訊きたいことはまとめて話しなさい」

「……」

「要するに、帰ってきた時のことを何も覚えていないのかい? 」

「ああ、全く」

「はは、我が息子ながら呆れたもんだ。利口なのか阿呆なのか。酒でも飲んでたのか」


 軽く笑いながらも、父は僕が今朝帰ってきたところからの、事の顛末を教えてくれました。


 朝方、開院時間の前だというのに玄関の戸が叩かれる音がした為、来客かと思い父が見に行けば、気を失っている僕とそれを抱えている蝶が立っていたというのです。


 僕は目立つ怪我はしていなかったのですが、蝶に関しては一体何処の崖から転げ落ちたんだという傷を追っており、父は、さすがに治療を受けていくことを進めました。

 しかし、蝶はそれを断りそそくさと帰って行ったというのです。


「昨日、何があったかは、蝶君から聞いたよ」

「え……聞いたって、どこまで」

「港近くの崖から落ちて、二人して帰れなかったんだろう。一晩とりあえず私の船で過ごして、朝帰ってきたんだよな」


 蝶が父に話したのは、事実とは異なる内容でした。

 幸いにも、父はそれを信じているようで、微塵も疑った様子はありませんでした。


「そうなんだ。二人して気を失って、気が付いたら周りが真っ暗で」

「そうか。まぁ、無事だったんなら私は良いんだがね。しかし、あの子、片足引きずってたように見えたから、明日学舎で様子見て、酷そうだったら家に連れてきなさい。蝶は只でさえ、一人で暮らしてるんだからね」

「……ああ」


 片足を引きづっていたなんて、僕の記憶に残っている限りでは、そんな素振りは無かった筈でした。

 僕が記憶を失っている間に何かあったとしか思えません。


「とりあえず、今日はとりあえず寝てなさい。桃は全部食べて」

「んん、もう食べなくていいよ」

「駄目だ。食べなさい」


 父があまりにも心配そうな顔で、あと二切れ残った桃を進めてくるものですから、僕はしぶしぶその甘い物体を口に含みました。

 口を動かしながら、僕は無意識に父から隠してしまった事実の一つ一つを思い出していました。


 この島から出ることが出来なかったこと、謎の霧、この島に監視者がいるかもしれない可能性――――。


 なぜ、僕は父に今、この時、本当のことを言わなかったのでしょうか。

 言えば、きっと楽になった筈です。


「あの……」

「何だ? 」

「……いや、何でも無いよ」

「そうかい。 では、父さんは仕事に戻るから、何かあったら枕元の鈴を鳴らしなさい。いいね」

「はい」


 僕はその時初めて、父に隠し事をしました。

 不思議と罪悪感は無く、きっとこれは遅かれ早かれ訪れていた転機だったのだろうとさえ思います。


 それにしても、これをあと一切れも食べなければいけないなんて苦痛でしかない。


 本当に、この桃ちっとも美味しくないなぁ。 改めてそう思いました。





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