第15話 鈴木琢磨-2017年7月10日
琢磨は、郵便物を取りに行くのが嫌いだ。
外に出なければならないのが、苦痛だからだ。
玄関のドアを少し開け、腕だけ出して手探りでポストの中をあさって、
中の郵便物を回収する。
けれど、時折拘置所から届く父の手紙を回収しなければならない。
引きこもりになった最初の頃、郵便物を回収することをすっかり忘れていた。
合格していた大学には一日も行かず、退学した。
殺人の容疑者になった自分に手紙など届くはずがないと思っていたのだ。
ところが、殺人の容疑者の家族になるだけでも有罪になることをすぐに思い知らされた。
みずしらずの一般人からの誹謗中傷のすごさは、琢磨にとって嵐としか言いようがなかった。
ポストには、「出てけ!」、「一生、親子でドラム缶で暮らせ!」などひどい手紙やマヨネーズが突っ込まれ、父の一朗からの手紙は盗まれ、勝手にネットに晒された。
それだけじゃない。
張り紙、いたずら電話、壁の落書きはまだ序の口で。
庭に硫酸をまかれ、投石で玄関の飾り窓を割られた。
事件から4年たち、さすがに郵便ポストへのいたずらはやんでいる。
しかし、2年前に1審の判決が出た時に、ニュースになり、またいたずらが始まったこともあった。
油断はできない。
琢磨は、中学の頃から欠かさない腹筋や腕立て伏せやスクワットと同じように、
郵便物の回収を、琢磨は日課として自分に課していた。
高校を卒業したあの日、琢磨の人生は全部、変わってしまった。
あの日、父親が猟奇殺人犯になった。
母親は小学2年生の時、病気で死んでおり、
父子家庭だった、琢磨は一人ぼっちになった。
父親の名は報道で一瞬だけ映った。
「鈴木一朗」
すごく平凡で、すごく有名な日本人と同じ名。
けれど、すぐに、犯行時に意識がなかったことがわかり、
匿名報道になった。
容疑者「S」と父親が呼ばれるようになった。
名無しの人殺し。
3月5日。
あの日、俺も死んだ。
鈴木琢磨という人間も、全部死んだんだ。
コバルトブルーの濃硫酸の海に深く沈んで。
その日、郵便ポストには、東京高等裁判所から封書が届いていた。
親父の裁判への出頭命令。
琢磨は、書類に押された検事のハンを見つめる。
行かない―。
即断して、琢磨は封書を丸めてゴミ箱に捨てる。
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