第12話 アユ-2017年7月10日

「中田先生!」


アユが、職員室でデスクの引き出しを全て確かめたタイミングで、声がした。

同僚の化学教師、憤上悦也(フンガミエツヤ)だ。

相変わらず、すごい名前だとアユは思う。


パッと見は地味な紺スーツにネクタイ。

けれど生地に淡い光沢のニュアンスがあり、ジャケットのシルエットには

スタイルをよく見せるウエストシェイプ。

ヘアワックスで微妙に立てた前髪。

しゃれた金属フレームの眼鏡。


カッコつけて大ゴマ使って登場して、

イキるだけイキって、2ページ目ですぐ死ぬ、

マンガのモブキャラみたいな人だ。


それから、ちょっとだけ顔が「シカオ」に似てる。



憤上が言う。

「今日も、仕事帰りに鈴木のとこに行くんすか?」


「ええ。そうするつもりです」

アユがそう言うと、


「卒業した鈴木に、何もそこまでしなくても」


憤上はそう言って、アユの耳元に囁くように言った。

「今日の夜、飯でも一緒に食いませんか?」


またかと思いながら、

アユはふとあることを思いついて、笑った。

「昼なら、いいですよ。ご飯、ご一緒させていただきます」







「いいところがあるんす」


そう言って、憤上が連れていってくれたのは化学実験室だった。

名前の通り、化学薬品の臭いが強くした。


憤上が鍵を開けてくれ、中に入ったアユは

買ってきたおにぎりやサンドイッチを黒い実験台に置いた。


「まさか、この台で解剖とかしたりするんですか?」

アユがそう言うと


「する」と返ってきた。


本当ですか?、とアユが尋ねると


憤上が笑う。

「なーんてね。


しないすよ。


俺、解剖は断固、賛成派なんすけど、

最近はいろいろ厳しくなっちゃって、とてもできないっすね」



私も解剖は賛成、

怖いけど、でもやっぱり断固、賛成。


アユは口に出さずに頷いた。



アユが「いただきます」と言って、手を合わそうとしたところで、憤上が言った。


「あれ、手になんかついてますよ?」


「え?」

アユはもう手を合わせた後だった。



開いた手の中、右手の運命線の上に赤い、


「田中」


がいた。


まだ、つけられて間がないのか、ハンコのインクは左手にもついていた。


左の手のひらには、薄い赤の



「田中」




いやああっ。


アユは自分の体を抱きしめた。



「田中」は反転しても「田中」なんだと、


自分の悲鳴の中で、ぼんやりとアユは思った。

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