episode13:サプライズに期待したまえ


 寒さには慣れていた。

 雪はしんしんと降り続け、空を見上げると一片の小さな雪が頬に当たる。

 ひんやりとした感触を残したまま、雪消ゆきげの水に変わっていく。

 

 冷え切った指先でそっと拭いながら一呼吸入れると、口からは白い吐息が漏れていて、白雪がそれを見て楽しそうに「ふぅー……えへへっ」と、真似をしている姿を見て、なんだか心も体も温まる。


「そういえば駅を降りてから、道行く人が同じ方向に向かってますね? もしかして、みんなCRS舞台館に向かっているんですか?」


「ああ、周りには色々と大きな商業施設があるんだけど、殆どがCRS運営が取り仕切っているものだからな」


「えぇーっ!? もしかして、ここにいる人たちの殆どがもしかして……」


「観客か、CRSに何かしら関係のある者だろうな」


 白雪が驚くのも無理はない。

 僕も初めて来たときは驚いたものだ。


 当時は道行く人の殆どが敵に見えて、演奏で負かしてやるだなんて身勝手に思っていた頃もあったが……。


 (過去の僕が今の僕を見たら失望するだろうな……)


 まさか、ピアノそのものをやめてしまうとは……。

 人生、何が起きるかわからないものだ。


 皮肉めいた笑みを微かに浮かべながら歩を進めていくと、多くのカメラマンや期待に胸踊らせる観客たちの声が聞こえてきた。


 視線を向けると、チェスの駒にあるルークをモチーフにした銀色に輝くネクタイピンが目立つCRSピアニスト数十名が会場入りしているのが目に映った。


 懐かしい……。


 そう思っている自分の感覚に「それくらい時が過ぎたんだ……」と、思わず考え耽ってしまいそうになる。


 (多少なりとも動揺しているのだろうか?)

 

 胸の奥で不安に似た何かがモヤモヤと渦巻いていた。

 別に僕が演奏するわけでもないのに、この感覚はおかしい。

 東雲静に言われて、白雪を連れてきたのはいいがどうにも落ち着かない。

 

 思わずため息が漏れそうになる。 

 そんなこんなで気持ちに整理がつかないままCRS舞台館に辿り着く。

 

「……もう来ることは無いと思っていたのにな」


 ――――CRS舞台館。


 かつて、僕もあのネクタイピンをつけて何度も足を運んだものだ。

 隣にいる白雪も興味深そうに見つめていた。


「ここがCRS舞台館……。あの人たちが大会に出場するピアニストなんですよね? 凄い数ですねっ!」


「これでも少ないほうだぞ」


「えぇーっ、そうなんですか!?」


「ああ。今日はCRSランクでいうと、ルークから僧正ビショップに上がるチャンスがあるCRSランクアップ大会だ。これから注目するべきピアニストの視察と取材、あわよくば事務所への勧誘ってところだろ」


「へぇ……。何だかピアニスト以外もお仕事が大変そうですね」


「今の時代はアイドルやモデルよりもピアニストを欲している時代だからな」


「でもでも、ピアニストにとっては嬉しいことですよねっ!」


「まぁな。しかし、どのジャンルでも厳しい世界には変わりないさ。白雪も見て損はないから今日は沢山学んだらいいさ」


「はいっ! えへへ……」


「ん? 何か面白いこと言ったか?」


「今日はパパとたくさんお話しできているので嬉しくて、つい……。すみません」


「おお……。そうか」


「はい……」


「「……」」


 (……つい懐かしい気持ちになり、饒舌になっていたかもしれない)

 

 コホンッと咳払いを入れつつ、気を取り直す。


「それにしても、狂姫は一体どこに……」


 きょろきょろと探していると、ポケットに入っていたスマホが震える。

 画面を見ると、狂姫からだった。

 

「もしもし、今どこに」


「そのままC-1入口から会場に入ってきたまえ。君の席はこちらで取ってある」


「あ、ああ……」


「そこで私の名前を言えば受付の者が案内してくれるだろう。それじゃ」


「あっ、ちょっと!? なんなんだよ、全く……」


 (あの野郎、有無を言わさずに用件だけ伝えて切りやがった……)


 一体何を考えているのかは検討もつかないが、とりあえず従うしかない。

 僕は白雪の手を取り、C-1入口に向かって歩いた。



♯♯♯


 狂姫に言われた通り、用件を伝えるとすぐに案内させられた。

 C-1入口を出ると、最初に視界に入ったのは会場の真ん中に綺麗に並べてある机と椅子。


 音を聞くにはちょうどいい場所で助かる。

 そこまではいいんだが、そこは……。

 

「審査員席……。僕っていつ審査員になったんでしたっけ?」


「あれ、言ってなかったか? あはは、悪い悪い」


 ……そう。

 いわゆる、審査員席というやつだった。


「ちょっと、聞いてないですって! そういうことなら僕は帰らせてもら……」


「あーあ、バイト代弾むのになー。日給十万円」


「やらせていただきますっ!」


「頼んでおいてなんだが、凄い潔さだね……」


「諭吉十人ですよ、やるに決まっているじゃないですか。ニート候補生なめんな」


「別に舐めてはないんだが……。君ってやつは……」


 呆れたように笑っている。

 ニート候補生の僕には、破格の仕事だから迷うわけがないだろうが。


 稼げるときに稼いでおいて損はない。

 これぞ、ニート候補生の信条さ。


 それはそうと……。


「一つだけ気になっているんですが、そもそもどうしてこんな状況になったんですか? 僕じゃなくても、代理が立てられたと思うんですけど」


「元々審査員をするはずだった者が急遽来れなくなってしまってね」


「何か別の予定でも出来たんですか?」


インフルエンザにかかってしまって来れなくなったらしい。だから、君にお願いしたんだ」


「お願いって強制の間違いだろ……。随分都合よくインフルエンザになりましたね?」


「たまたま、なったんだよ」


「……へぇ」


「当然、CRSランクアップを審査しなければならない立場。会場中の皆に納得してもらいつつも、音の正確さやアレンジ力をある程度知り、それを正当に評価できる人間。そこで審査員の代理候補に名前が上がったのが早見少年、君というわけさ」


「上手く使われている気しかしねぇ……」


「あはは、たまたまさ。私は運がいい」


「……」


 裏工作の匂いを感じてしまうのは考えすぎだろうか?

 疑わしいのは目に見えてわかるのだが、諭吉十人は捨てがたいのも確か。

 生活費の足しになるのは結構デカい。

 

「上に確認したら、過去の実績から君は評価もされていたよ。元CRSランク:騎士ナイトⅣ、誰も文句言うまい」


「過去の栄光ですね……。ああ、それともう一つ」


「なんだね?」


「僕が審査員をしなきゃいけないのは納得しましたが、白雪が受付の人に連れていかれたんですけど、一人で大丈夫なんですか?」


 C-1入口に入った瞬間、黒スーツを着た女性に「東雲静様から白雪様に伝言を預かっています。白雪様はこちらへどうぞ」と言われ、今は別行動なのだ。


 どうやら白雪は予め知っていたかのように振る舞い「では、パパ。またあとで」と僕の前から突然姿を消したのだ。


「それなら心配いらないよ。それじゃ、そろそろピアニストたちの演奏が始まるからよろしく頼むよ。音殺しサウンド・キル


「ええ、日給分はちゃんと仕事しますよ。あと、その名前はもう捨てたんで」


「私は好きなんだがねー、この二つ名。……ああ、そうそう。言い忘れてた」




 不敵な笑みを浮かべて、僕に彼女はこう告げた。




「――――サプライズに期待したまえ」





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