episode10:……っ。次、奏ちゃんなんて名前で呼んだら怒るわよ
――――
通称:
日本では働かないことはいけない事だという風潮はあるが、それは如何なものかと考えることがある。
あくまでも自論だが、自分の我儘を通してまでニートになったのには必ず理由があり、結果としてその選択が成功を収めた例が数多く実在している。
だからこそ、この世にはニートは存在するんだと思う。
人には見えない苦痛に耐え、苦悩し、
それを人は、軽々しく
一方の早見優人という人間はどうだろうか。
そんな勇気ある選択をしたニートとは違い、
僕自身、目的や夢があって全く働いていないという選択をしているわけではない。
中途半端に働き、人生の選択に対して
故に、ニート候補生。
つい最近の僕にピッタリな言葉だったのだが、そんな僕にも目的ができた。
そう……。
白雪の存在だ。
自分だけの為に働くのではなく、家族の為に働くことがこんなにも頑張ろうという気持ちになるとは思いもしなかった。
Project白雪が僕の人生にどう影響するのかはわからない。
……けれど。
一歩ずつ、僕なりのスピードで何かが変わるような……。
そんな予感だけはしていた……。
♯♯♯
日常とは、いつもと変わらない毎日を過ごすことで初めて使える言葉だ。
いつも通りの景色、いつも通りの気温。
そして……。
いつも通りの、黒髪の女の子。
「……はぁ、とても暇ね。早見君、何か面白いことをしてちょうだい」
凛とした綺麗な声で椅子の上で本を読みながらため息をつく彼女はいつも通りで、こうして無理難題を言ってくるのも日常の一つだ。
僕はお客様に提供するスープの仕込みをしながら答える。
「
「無茶かしら?」
「僕にとっては。それに僕は今仕込みで忙しい……ていうか、本読んでないで仕事しろ」
「そうね……。お客様がいたらいいのだけれど、全くいないとなると流石の私も仕事ができないわ」
「まぁ、否定はしないけど……。それじゃあ、掃除でもしたらどうだ?」
「店内の掃除は
「あー……」
僕はちらりと横目で泣きそうになっている中年の
「……それについてはノーコメントで」
「無理しなくてもいいのよ? もう私がここの経営をしようかしら。少なくとも今よりは集客を上げる自信があるのだけれど、どうかしら?」
「その時は協力するからいつでも頼ってくれ」
「ちょっと、
「「……」」
「えっ、そこは二人とも無視なのっ!?」
――――チリン、チリーン♪
「「いらっしゃいませー、『月の兎』へようこそっ!」」
「恐ろしいほどに、二人共息がピッタリだねっ!?」
♯♯♯
喫茶店「月の兎」は僕のバイト先である。
店内はレトロな雰囲気で洋食をメインで売り出している小さな喫茶店で、従業員は僕を含めて三人だ。
僕と店長、そして……。
「かしこまりました、少々お待ちください」
「なぁ、あの子綺麗だよなー。あれで大学生ってところがまた反則なんだよ」
「そうそう。あの絵画のような微笑みを見たあとだと今からある昼からの仕事も頑張れるんだよねー」
「「いいよなー、奏ちゃん!!」」
「……だってさ、奏ちゃん」
「~~っ、次、奏ちゃんなんて名前で呼んだら怒るわよ」
頬を少し赤く染めながら目を逸らす彼女の名前は、
腰まである綺麗な黒髪が目立つ「月の兎」自慢の看板娘だ。
実家の手伝いをしながら有名な音楽大学に通っている。年齢は僕より二歳年下の二十歳。
この容姿で頭もいいとなると大学ではさぞかし注目の的にされていることだろう。
バイトで食いつないでいるニート候補生の僕とは別の種類の人種だと、最初に出会った頃は驚きのあまりに空を見上げてため息をついたのは記憶に新しい。
「なぁ、奏ちゃん」
「……(にこっ)」
「あのー、音羽しゃん? 無言の笑顔で頬をつねってくるのやめて?」
「……っ、恥ずかしいから、やめなさい」
「可愛いなー」
「どうやら、本当に死にたいようね(にこっ)」
「冗談だから笑顔で包丁持ちだすのやめて?」
そんないつもの日常のやり取りをしながらも、時刻は正午。
珍しく客が混みあいだす。
この店はあまり知られていないのが残念だが、リーズナブルな価格な上に味やサービスが一級品だ。
だからこそ少しずつだが客が口コミでどんどん客も増えてきている。
今日はその最大のピークと言っても過言ではなかった。
「早見君、オーダー用紙を貰えるかしら? 注文が多いわ」
「了解……っていうより、面倒だから口頭で全部オーダーを言ってくれないか?」
「大丈夫かしら?」
「どんとこいっ!」
僕の耳に音羽の音しか入らないように意識を集中させる。
「三番テーブルの女性のお客様に、スパゲッティアッラボロネーゼを一つ。カウンター席の男性二人にズッパディヴェルドゥーレと、カルパッチョコンルーコラエグラナ、セットメニューBで二つね。 六番テーブルにティラミス、食後にホットコーヒー。以上、よろしく頼むわね」
「オーケー、すぐに準備する。それとカウンターの男性客にピッチャーで水を頼む。飲むスピードが早いからピッチャーを渡していたほうが効率がいいはずだ。ほら、これ」
「毎度のことながら見事ね。よく人を見ているわ」
「そりゃあどうも……。ほら、額に汗かいているぞ」
そう言って、持っていたハンカチを音羽の頬に軽く当てる。
「~~っ、あなたね……っ、人の気も知らないで……っ」
「頬が赤くなってるな。一人でホール回すのきついだろ?バタバタで髪が邪魔かなと思ってヘアゴムもあるけど使うか?」
「べ、別に赤くなんかなってないわ……コホンッ、どうもありがとう」
「どういたしまして」
「あなた……今日はやけに張り切ってるわね。何かいいことでもあったのかしら?」
「……べ、別になにもないけど」
「へぇ……。なんか怪しいわね」
ジト目で僕を見てくる。
恐らく白雪のことがあったからか。
無意識にいつもより張り切ってしまっていたのかもしれない。
「ほ、ほら! こっちはいいから行った、行った」
「……わかったわ」
そう言いながらも、少し不満げに音羽はフロアに戻っていく。
「……ふぅ、疑い深いやつだな。危ない、危ない」
まさか、昨日からパパになりました!
……だなんておいそれと言えるわけがないだろうが!?
(……それにこんな話。言っても信じてもらえないだろうしな)
「ゆ、優人くーんっ!!デザートとBセットの用意できるかな!?」
店長の泣きそうな声が聞こえる。
「よし……。僕も集中しなきゃだな」
店のピークタイムが終わるのは十四時頃だ。
それまでこのペースが続くがこの後はしばらく落ち着くはずだ。
あとは、店長にシフトをもっと入れてもらえるようにあとから相談してみよう。
これからは生活費も稼いでいかなきゃいけないしな。
「すぐに用意しますっ!」
(……白雪は一人で大丈夫だろうか?)
そんなことが頭に一瞬よぎったが、今は目の前の仕事に集中することにしたのだった……。
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