episode9:こんなにも朝ご飯が美味しいなんて、おかしいな
いつの頃だったか、夢を見るようになっていた。
決して忘れるなと言っているかのように、何度も、何度も……。
暗闇よりも暗く、本当に何もない虚無。
懺悔を言うことさえ許されない、早見優人の過去の記憶。
結末が分かっている映像を何度も振り返るのだ。
悲しくて、どうしようもない。
決して戻ることのない、あの日のこと……。
――――これは僕の罪であり、罰だ。
サァァァァ、っと……。
脆く、痛く、自分が崩れる音が全身に響き渡る。
酷く冷たく、ただ残酷に。
目の前で、暗闇より暗い闇に広がる赤く血色に染まる夢。
――――助、けて。
火で燃えた焦げ臭い煙の臭いと、周りで聞こえる騒がしい声。
何度も、何度も……。
あの言葉が頭から離れない。
――――ねぇ。
やめてくれ。
頼むから……っ。
それ以上は、聞きたくない。
その罰を受け入れるかのように、僕はゆっくり両手を差し出した。
――――なんで、助けてくれなかったの?
――――優人っ……。
僕が起きるまで繰り返される無限ループ。
永遠ともいえるこの時間は、寝る度に見続けなければならない。
これが神様から与えられた罰と言わんばかりに何度もだ。
しかし、今日はいつもと様子が違った。
「――――♪」
包み込むような優しい
空からゆっくり降りてくる雪のように綺麗な音。
闇を真っ白い雪で照らしてくれる。
そんな白雪色の光だった……。
♯♯♯
瞼を通して透かす朝の眩い光からぼやけた意識の中、目が覚める。
透明感のある朝の空気を感じつつ、カーテンの隙間から漏れる曙光が白い床を輝かせていた。
ベットから起き上がりグッと背伸びをして、一息つく。
目の前にはいつも見慣れたピアノと数多くの作曲家が残した楽譜の小さな机。
傍から見たら何の面白みもない部屋。
しかし、今日はいつもと違う色がそこにはあった。
「すぅ……んっ、パパ……えへへっ。ダメですよ、そんなにデストロイヤー食べたら豚さんになっちゃいますよー?」
(まさかのデストロイヤー。どんな夢を見てんだか)
ちなみにデストロイヤーとは、ジャガイモとサツマイモを組み合わせたような見た目で皮の色が紫なのが特徴なんだけど、甘みが深く見た目以上に美味しい。
(……まぁ、なんだ)
寝言が可愛らしく苺とかケーキじゃなくてデストロイヤーってところがまた何というか、絶妙なズレ具合でけっこう面白かったりする。
「……ったく、僕はそんな食いしん坊じゃないんだけどな」
つい苦笑い気味に頬を緩ませながら視線を映す。
昨日から家族になった銀髪の女の子、白雪。
僕の隣でスヤスヤと気持ちよさそうに寝言を言いながら眠っていた。
「それにしても……」
(今日はいつもより体の調子がいいな……)
あの夢の終わりがいつもの終わり方じゃなかったのは、きっと隣にいる白雪のおかげなのだろう。
いつもの寝起きは全身汗だくで、全力疾走で二百メートルを走り終えたくらいには疲れているはずなのに、今日は全くその気配がない。
(これも白雪のおかげなのかね……)
隣で眠っている白雪のマシュマロみたいな頬を人差し指でツンツンしながら「ありがとな」と、小さな声で感謝を伝えておく。
それにしても……。
(ツンツン……)
うわっ……。
めちゃくちゃ柔らかいな……。
(ツンツン……)
しばらく白雪の頬をツンツンしていると、流石に目が覚めたのか。
僕の人指し指を両手で掴んで不機嫌そうな目で「……んんーっ、パパのエッチ」と頬を膨らませていた。
「ごめん、ごめん……」と、笑いながら頭を撫でる。
(へぇ……。寝起きの白雪は敬語が抜けるんだな)
新たな一面を知ったなーと、心の中でそっと記憶しておいた。
「ふぁぁぁぁぁ……っ。パパ、おはようございます」
「うん、おはようございます。顔洗っておいで」
「はーい」
ベットから降りて、トコトコと洗面台に向かっていく。
(ん、いい朝だなぁ……)
今日から新しい日々の幕開けだ。
どんな理由があるにしろ、やることはやらなきゃ何も始まらない。
まずは、二人でこれから生活するためにも何よりお金が必要だ。
「……働かざる者食うべからず、だな」
キリスト教徒たちによって書かれた文書。
新約聖書のテサロニケの信徒への手紙二三章十節には「働きたくない者は食べてはならない」という一節が記してある。
これが「働かざる者食うべからず」という表現で日本で広く知られることとなった所以だ。
ただ淡々と時間を過ごしてきた僕にとって、今のこの状況はとてもありがたい。
「柄にもなく生きる希望とやらでも見つけたのかもな……。狂姫には感謝だな」
(……本人には癪だし、絶対言わないけど)
「しーちゃんがどうかしましたか?」
僕の呟いた独り言に首を傾げる。
「んーん、何でもない。それよりも白雪」
「なんでしょう?」
「これから仕事に行くけど、一人で留守番とかできるか?」
「パパは私を何歳だと思っているんですかっ!?」
「えっと、十歳だよな?」
「そうです。もう立派な十歳なんですよ!? そこはお気になさらず、です!」
「……そ、そう? そんなものなの?」
「そんなものなのです! えっへん、です!」
控えめな胸をすごく自慢気にふんぞり返っている。
どうやら一人で留守番できるです! と、アピールしたいお年頃らしい。
「それと、一つ我儘を言ってもよろしいでしょうか?」
「それはいいけど……。どうした?」
「パパがいない間、ピアノを弾いてもいいですか?」
(……ああ、まったくこの子は)
僕がいない間とわざわざ言うのは、白雪の気遣いだろう。
まったく、子供らしからぬ遠回しな気遣いだ。
「気にせず弾いていいぞ。なんなら楽譜とか本も好きに使って問題ない」
「そうですか……。よかった」
「……っていうより、今日から白雪の家でもあるんだからわざわざ聞かなくても、僕がいても別に自由にしていいからな? なんなら防音完備してるから深夜に弾いても問題ないぞ」
「……そ、そうなのですか? えっと、それってあまりに我儘じゃないでしょうか?」
「昨日言った僕からのお願いを忘れたか?」
「あっ……えっと……そうでしたね。ありがとうございます、えへへっ」
子供は子供らしく気を遣わずに我儘を沢山しておけ。
僕の言ったことを思い出したのか、頬を赤く染めながらコクコクと頷く白雪。
――――あ、頭撫でて欲しいときとか、手を繋いだり抱きしめたりして甘えてもいいんでしょうか?
本当の親子みたいにお願いごとをパパに言ってもいいんでしょうか?
あの言葉を僕は絶対忘れないだろう。
きっと、今の白雪が心の底から出た切なる願いがあの言葉の裏には含まれていた気がしたから……。
「どういたしまして。それと、白雪」
「はい、何でしょうか?」
――――ぐぅー……。
「お腹空いたから、朝ご飯にしようか」
「ふふっ……。はいっ、パパ!!」
嬉しそうに返事をする白雪とそれから朝ご飯を楽しんだのは言うまでもなく。
――――
発想用語で使われる「愛らしく」という意味の用語だ。
「パパのウインナー、凄く美味しいです!」
「ありがとう……。あと白雪さん、その言葉だけちょっと誤解を生む可能性があるから『焼いてくれた』をしっかりつけてね、本当に」
「んー? よくわからないですが、わかりました! それにしてもパパが出してくれたミルクも、濃厚で美味しいですっ!」
「いや、それ絶対わざとだよねっ!?」
お茶碗と箸の当たる始まりの日常音が部屋中に鳴り響く。
今までの朝ご飯の音はただ一つの音でしかなく孤独な音だったけど……。
今では、二つの音が部屋中に鳴り響いていて……。
落ち着かなかったけれど、それは決して嫌な気分ではなくて……。
朝ご飯が一人から二人になっただけ……。
たったそれだけのことなのに。
「こんなにも朝ご飯が美味しいなんて……。おかしいな」
気づいたら自分の口元が微かに緩んでいた。
当たり前なこの音でさえも、愛らしく聞こえるのはきっと……。
白雪が奏でてる
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