第20話 散歩・大和・平和
目が覚めた。
やはり夢か。
『高太郎は、君に何をしたんだ?』
その言葉が気になる。
退院してから三週間が過ぎるというのに、僕の頭の中はいっこうに戻らない。ぼんやりしたままだった。
何かを考えようとしても集中できない。そして、忘れやすい。内容の薄い文章なら読めるけれど、少し難しい本はまったく読み進むことができない。
時間の感覚も少しおかしい。妙に長く感じたり、逆に数時間くらい抜け落ちていたりする。
もしかして、前からずっとこうだったんじゃないか?
何度か病院に行っているものの、どこにも異常はないのでそのうち治るでしょう、くらいのことしか言われない。
困った。
こんな状態では学校に行けない。自宅安静が続いている。一人で外出するのも危ないからダメ。
ずっと家の中にいるのはさすがに精神衛生上よくないということで、一日に一度は外に出ることになった。三十分ほどの散歩だけど、もちろん一人ではない。
サアルと一緒のときは、一番楽しいというか、気が楽だ。
建物の周囲は意外に急な坂が多かった。道は狭い。そのせいか、車はあまり通らない。古びた塀がずっと続いていたり、樹が茂って薄暗い場所もある。古くからの住宅街のようだ。「都内」というイメージからは程遠い。遠くに高層ビルが見えるときだけが都会っぽかった。
家のある建物は、坂を登り切る少し手前にあった。崖の上に建っている。それで視界が開けているんだ。
サアルはいろんな他愛のない話をしてくれる。天気とか季節とか、考えなくても会話ができるような、そんな話だ。のんびり歩きながら、三十分はすぐに終わってしまう。
次に楽しいのはアトだ。アトと一緒のときは、毎回違うルートを選ぶ。人が一人しか通れないような細い道を見つけたら、とりあえず行ってみるとかする。探検のようで面白かった。僕は記憶力が危ういから覚えていられないこともたくさんあるけど、周辺の道にはかなり詳しくなったんじゃないかと思う。
ミヤさんとは、会話が少ない。というか、ミヤさんが一方的に喋っていることがほとんどだ。適当なあいづちを打っていると、ちゃんときいてるの!? とキレられることがある。すいませんあまり覚えていられなくて……って言い訳をする。別に恐縮しているわけじゃない。これがミヤさんとの付き合いかたなんだ。それがわかった。
困るのは、大和だった。
僕は、大和のことがよくわからないままだ。なにしろ喋らないし、いつも恐い顔をしているし。話しかけると、まず冷ややかな目線が返ってくる。返事はたいてい一言しかない。
見かけは三十歳そこそこのようだ。銀縁の眼鏡。いつも暗い色のスーツを着ている。散歩のときもだ。そういえば、スーツ以外の服を見たことないな……寝るときはどうしているんだろう。今度きいてみよう。なんて返事するだろう。
「大和」って皆が呼ぶから、いつの間にか僕もそう呼んでいる。かなり年上の人に対して失礼かなと一瞬思ったけれど、そこは不思議と違和感がなかった。
「呼び捨てにしてもよかったですか?」ってきいたときの返事は「構わない」というぶっきらぼうな一言だけだった。
嫌われているのかな、と思う。
そうかもしれない。僕は、明らかに、皆に迷惑をかけている。
好きになってもらえないのは仕方ないかもしれない。だけど、それを隠さずに態度に出す大人も、どうかと思うんだよね。
というわけで、目下の悩みごと大和のことだ。
平和だな……
いつまで続くんだろう、こんな日が。
ずっと続いてもいいかな。
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