第11話 キクエさん

 山崎さんが、あっ、という顔をした。

「彼女は、ご実家の方へ戻るということでした。荷物の方は、後日こちらで手配して送ることになっています」

 うまく頭が回らない。

「僕は、なにもきいていないんですけど」

 山崎さんは、申し訳なさそうに小さく頷いた。

「昨夜、クウさんに話すのは辛い、ということを、おっしゃっていましたから……」

「だからって、そんな、いきなり……僕をおいて、なんで……?」

 ミヤさんの声が飛ぶ。

「あの人は、関係ないもの」

「関係ないって? 僕のおばあちゃんなのに」

 ミヤさんとサアルが、また顔を見合わせる。そしてミヤさんは山崎さんに顔を向けた。

 だから話すのは山崎さんだ。

「キクエさんからは、数年前から相談を受けていました。なんでもご実家にいる妹さんが家族とうまくいっておらず、戻りたいと。ですが、クウさんが成人するまで、という約束でしたので、それだけは守ってもらいたいという、高太郎さんの考えがありまして、その、キクエさんには辛抱いただいていたわけで……」

 頭の中を、いくつもの言葉が流れていった。引っかかったのは。

「……成人するまでの、約束?」

「ひとりでクウさんを育てるのは難しいということで、高太郎さんに頼まれて、私が彼女を探してきました。母親代わりになる、しっかりした人で、条件には最適な人でした」

「え……いや、そんな」

 だって、キクエさんは僕のおばあちゃんでは……

 あんなに優しくて……

 ……キクエさんは、接する人の誰にでも優しい。

 僕の、おばあちゃん……

 心から信頼していた、というか、そもそも他人だなんて思ったこともない。

 なのに。

 山崎さんの話は続いていた。

「報酬として、ご実家の近くの不動産を渡すことになっていました。こんなことがあり少し時期が早くなってしまいましたが、昨夜、約束通りに報酬をお渡ししました。これで児島キクエさんとの契約はすべて終了しました」

 児島キクエさん。

 それがキクエさんの名前なんだ。僕と同じ「斉藤」ではなかった。

「他人だったなんて……」

 僕にそれを知られないように、じいちゃんとキクエさんは普通の家族のように暮らしていた。

「クウさんには、決して不自由がないようにという、高太郎さんの強い意向でした」

 山崎さんはしんみりとした感じで言った。

 ああ。

 だから「おばあちゃん」ではなくて「キクエさん」と呼ばなければいけなかったんだ。

「じいちゃんは、僕の為を思ってくれたってこと?」

 あんなに厳しかったけど。大切に思ってくれていることは、わかっていた。だけどそれは義務感からくるものだと思っていた。もしかすると、僕はいろいろと思い違いをしているのかもしれない。

「あの、もしよかったら、じいちゃんのことをもっと教えてくれませんか」

 僕には知らないことがたくさんある。もっと早く知ればよかったと思う。たぶん僕は、キクエさんのことがショックで、無意識にじいちゃんに気持ちの拠り所を求めていたんだと思う。なにしろ、じいちゃんはもう死んでいて、変わりようがないから。

 そこで、ミヤさんが身を乗り出してきた。

「あのね、じいちゃん、じいちゃんって言うけど、高太郎はあなたの祖父じゃないわよ」

 じいちゃんが死んで、キクエさんは他人で出て行ってしまい、僕はただちにこの家を出なければいけない。

 これ以上ショックなことは、もう起こらないと思っていた。

 ミヤさんは、容赦がない人だ。

「……じいちゃんでなければ、何なんです」

 僕も、どこか心が麻痺してしまったのかもしれない。

 ミヤさんは言う。

「高太郎は、あなたの父親よ。実の父親。そして、あたしたちからあなたを奪った誘拐犯だわ」

 ミヤさんは、本当に容赦がない。

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