第10話 決して切れない縁

 一体なにがどうなっているのか。

 僕は、ソファにどっかり座った女性の前で、正座をしている。

 すると、おもむろに彼女は組んでいた足をといて揃えた。両手を膝の上に置いた。そして言う。

「まずは、このたびは、ご愁傷さまでした」

 頭を下げている。

「はい?」

 あまりにも意外だ。ちゃんとした言葉を返すなんて無理だった。

 と、動揺している間に、彼女はまた足を組んで元の姿勢に戻った。この方が彼女らしい。って、さっき会ったばかりだけど、たぶん間違いはないはず。

「で、用意はいい?」

 彼女、ミヤさんは言う。

「えっと、なんの?」

「なあに? きいてないの?」

 ミヤさんは眉間に皺をよせた。恐ろしい。

 横にいるサアルが言う。

「山崎さんから、きいてない?」

「いや、特になにも……今日うちに来るようなことは言ってましたけど」

 サアルとミヤさんは顔を見合わせた。

 どうも話がうまく伝わっていないらしい。

 そのとき、外でバタバタと音がして、玄関のチャイムが鳴った。

 僕が立ちあがろうとすると、ミヤさんが大きな声を出す。

「開いてるわよ!」

 ドアが開いて顔を出したのは、山崎さんだった。

「あら、やっと来たのね。ずいぶん遅いじゃない」

 山崎さんは恐縮した様子で部屋にあがってきた。

「申し訳ありません。なにぶん昨日の今日なもので、そこまでお急ぎとは思わず……」

「まあ、そうね。仕方ないわね」

 ミヤさんはそう言ったが、山崎さんを見る顔つきなどからすると、とても仕方ないの一言で済むような気配ではなかった。

 それをわかっているのか、山崎さんは恐縮した態度を崩さずに、僕の隣に座った。

「まずは、さっさとあなたの仕事を終わらせてもらいましょうか」

「はい」

 山崎さんは、僕の方に少しだけ体を向けた。

「では、クウさんにお伝えすることですが、近日中にこの家を退去しなければいけません。手続きなどは、私の方ですべて行いますので、クウさんはご自分の荷物だけを整理していただければ結構です」

「えっ、でも」

「実は、家を出ていただくのは今日中になります。クウさんの迎えが来るのは今日の予定になっていまして……お知らせするのが遅くなってしまい、たいへん申し訳ありません」

 と、山崎さんは僕に向って頭をさげた。大人にそんなことをされたことはない。今度は僕が恐縮する番だ。

「いえ、そんな……」

「学校の方の手続きなども、こちらで行いますので、クウさんは何も御心配には及びませんので、ご安心ください」

「はあ……」

 よくわからないが、そういうものかと思った。

「と、言うわけで、あたしたちが迎えにきたのよ。さっさと用意してちょうだい。できるだけ早く出たいから」

 ミヤさんはそう言うが、はいわかりました、と言えるはずもない。

「今すぐですか?」

「もちろん、今すぐ。とりあえず数日分の着替えとか、身の回りのものだけでいいわ。その他のものは、あとで取りにこさせるから。いいわね?」

 最後の問いかけは、山崎さんに向けたものだった。山崎さんは大きく頷いた。

 ミヤさんは、一体どういう人なんだろう。若く見えるけれど、人を使うことに慣れているような感じだ。

 しかし、根本的な疑問がある。

「あなたたち、誰なんですか?」

 僕の知らない人たちだ。いや、正確に言えば、一人はずっと前に会っていて顔は知っている。もう一人は昨日会って顔と名前を知っている。まったく知らないのは一人だけだ。

「んー。それについては、ちょっと複雑なのよねえ。簡単に説明するのは難しいわね。クウちゃんに理解できるかもわかんないし」

「いや、それにしたって。僕はあなたを知らないし、知らない人に来いって言われても、一緒に行けるわけないじゃないですか」

 子供の基本だ。

「あたしはミヤよ。そっちはサアル」

「いやいや、だから、名前だけの問題じゃなくて。あなたたちは、僕の何なんですか?」

 ミヤさんは難しい顔をして考えはじめた。反論を素直にきいてくれるとは思わなかった。意外だ。

「ものすごく噛み砕いてわかりやすく言えば、高太郎の知り合い。それじゃ駄目かしら」

「ちょっと不安はあります」

 ミヤさんは、体をぐっと前に乗り出した。僕の顔をじっと見る。

 濃いメイクに彩られているけれど、ミヤさんの瞳は深い色をしている。濡れているように光っている。とても綺麗だった。

「クウちゃんが生まれたとき、あたしたちみんなで会いに行ったのよ。いいえ、生まれる前から、あたしたちはクウちゃんを待っていたの。クウちゃんが二歳になる前にいなくなっちゃうまで、ほとんど毎日のように会っていたのよ」

「僕は、覚えてない……」

 と言ったが、内心では驚きと嬉しさが湧いてきていた。僕には親族と言える人はいないのだと思っていた。

 横にいるサアルが言った。

「覚えていないんじゃなくて、忘れているだけよ。クウちゃんと私たちは、決して切れない縁で繋がっているんだから」

 決して切れない縁。なんていい言葉なんだろう。

 そこでやっと思い出した。僕には一番身近で大事な人がいるんだった。

「そういえば、キクエさんはどうしたんですか? 昨日から帰ってきてないみたいなんですけど」

 

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