第9話 夢から来た人

 キクエさんは昨夜から戻っていないようだった。念のため、二階のキクエさんの部屋をのぞいてみた。やはり、いない。

 部屋はいつものような片付いている。だけどどこかガランとしていた。なんだか様子がおかしい。

 僕は戸惑いながらも、下へおりて台所の冷蔵庫を開けた。いろいろな食材が入っている。いつもと変わらない。ただ、それを使って料理する人がいないというだけだ。

 すぐに食べられるものはなかった。炊飯器の中も空だった。棚にはリンゴがいくつかあった。ふと思い出して居間に行くと、テーブルの上の籠に、みかんが入っている。

 とりあえず、みかんをひとつ剥いて食べた。少し酸っぱい。そういえば数日前に「このみかんはハズレだったわ」と、キクエさんが言ってたっけ。それで、そのとき僕は食べなかったのだ。


 玄関のチャイムが鳴った。

 僕は迷ったけれど、立ち上がった。この家には僕しかいないのだから。

  そういえば、山崎さんが来ると言っていた。あの人ならキクエさんがどうしたのか知っているかもしれない。

 ドアを開けると、立っていたのは知らない人だった。

「お邪魔します」

 その人はいきなり入ってきた。僕はその勢いに負けて、後ろに下がった。

 彼女は靴を脱いで、家に上った。かなりヒールの高い靴だ。

「え、いや、ちょっと……」

 止めようとしたけれど、彼女は勝手に奥へ入っていく。くるくるに巻いた茶色の髪がなびいている。

 追いかけようとすると、しかし、玄関にもう一人入ってきた。その人を見て、僕は完全に言葉を失った。

 彼女は言った。

「こんにちは、クウちゃん」

 長い髪がゆらっと揺れた。

 あの人だ。

 僕はただ突っ立っていた。

 記憶の中の姿と、まったく変わらない。いやちょっと待て。おかしくないか。

 あれはもう十年以上も前のことだ。なのに、目の前にいる彼女は、どう見ても二十歳そこそこにしか見えない。

 頭が混乱している。

「ねえ、何やってるの。早くいらっしゃいよ。サアルも、クウちゃんも」

 奥から声がした。

「はーい」と、目の前の彼女が返事をする。

 サアル、って名前なのか。そういえば肌の色も顔立ちも、日本人ではないようだ。と思って、僕はがっかりする気持ちに気がついた。そうだ。彼女が僕の母親であるわけがない。似ているところがひとつもないのだから。

「ミヤさんが呼んでるわ。行きましょ?」

 と、サアルも靴を脱いだ。

 僕の家なのに、僕はサアルの後について、居間へ入った。

 ミヤさんは、足を組んでソファに座り、すっかりリラックスした姿勢だ。

「なに突っ立ってるの。座んなさいよ」

 ミヤさんがソファを占領しているので、サアルは奥の床へ腰を下ろした。膝を揃えて正座している。

 狭い部屋の中で、僕に残されたスペースは、ミヤさんの正面の床の上しかない。気持ち的に抵抗があった。だってそこに座れば、ミヤさんを見上げるしかない。

 正座して?

 ミヤさんが凝視してくる。まるで睨まれているようだ。僕は座った。

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