第5話 病院

 身を切られるほどの寒さのはずなのに、ちっとも寒くなかった。

 駅に着くと、ちょうどよく電車が来たので乗った。三駅分乗って降りると、駅前にはタクシーが止まっている。なにもかもタイミングが良い。目的地が病院でさえなければ、良い気分なのに。

「北部病院までお願いします」

「はい」

 しばらく走ってから運転手が言う。

「年末が近いせいか渋滞してますよ。いつもより時間がかかるかもしれません」

「どれくらいですか?」

「うーん、ちょっとわからないけど、二十分はみておいた方が」

 思ったよりもたいしたことはなくて、僕はほっとした。

 窓の外は見慣れない景色。車なんて滅多に乗らない。どこを走っているのかもよくわからなかった。

 病院へは何度も行ったことがあるけれど、夜は初めてだ。記憶にある道と結びつかなくて少し不安になってくる。

 タクシーは住宅街の狭い道に入る。歩いている人も滅多にいないような暗い道だ。

 ふいに、影のように真っ黒で大きな建物が現れた。

「裏に回りますね」

 運転手は気を利かせてくれた。夜間受け付けがある裏口へ、車は静かに止まった。

「あの、お金をもらってくるので、ちょっと待っててもらっていいですか」

「はい」

 ドアが開いたので僕は急いで車を下りた。

 受け付けにいる警備員に話をすると、中へ入れてくれた。

 廊下に、スーツを着たサラリーマンのような中年の男の人がいた。

「久有さんですね」

 僕は驚いて立ち止った。

 どう見ても覚えのない人だ。

「はい……」

 心臓がドキンと鳴る。

 男の人は丁寧なお辞儀をした。

「山崎と申します」

「はい、あの……」

「タクシー代を払ってきますから、少しここで待っていてください」

 そういって、山崎さんは外へ出ていった。

 僕のタクシー代を払ってくれる? どういう人なのか、さっぱりわからない。

 山崎さんはすぐに戻ってきた。

「こちらへ」

 先に立って歩き出すので、僕はどぎまぎしながら後をついていった。

 夜の病院は薄暗い。

 建物の中には賑やかな気配のする場所もあるけれど、僕たちが進んで行ったのは、半分電気が消されているような場所だった。

 角を何度か曲がってエレベーターに乗った。山崎さんは黙って四階のボタンを押した。下りると、同じような静かな廊下が伸びている。また角を何度か曲がった。途中で病院のスタッフらしい人と何人かすれちがったけれど、誰も無言だった。

 ききたいことは山ほどあったけれど、言い出せるような雰囲気ではなかった。それに、何も知らなさすぎて、何をきけばいいのかもわからない。

「ここです」

 山崎さんが、横開きのドアを開けた。

 中はカーテンで仕切られているので何も見えない。

 僕はカーテンをめくった。

 横になっている人がいる。

 白いシーツの薄い布団。皺だらけの顔の、老人。知らない人に見えたのは、僕が見たくなかったからかもしれない。

「じいちゃん?」

 僕は小さな声で呼んでみた。小さすぎてきこえないかもしれないくらい、小さな声で。

 目をかたく閉じたままのその顔は、もう生きている人ではなかった。


 

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