魔宮図書館へ

 謁見の間を出た。

 気が付くと、全身がべっとりと汗ばんでいた。


 扉の外でミーシャが待ち構えていた。

 部長も一緒だった。気になって様子を見に来たのかもしれない。


 ミーシャの右手には小さな水晶玉が十個ほど握られている。

「いいですか、見ててください」


「ほう」

 ダンデルが声を上げた。


 バラリと足元に置いた。

 親指幅ほどの小さな水晶玉が、同じ方向に動き出し徐々に加速する。

 水晶玉は勢いよく転がり、次々外壁にぶつかった。


「なんですか、それは一体?」

 シュニンが驚いた顔をして尋ねた。


「建物の水平を確認する方法ですよ。測量して見ないと分からないけど、傾斜角1/100くらいかしらね」

「相当ひどいな。」

 ルドルフはそう言ったが、ダンデルは黙っている。何かを考えているようだ。


「でもおかしいわね。柱や梁はそれほど痛んでないのに、こんなに傾斜するなんて」


「やはりそうか」

 そう言ったきり黙り、ダンデルは黙り込んでしまった。


 部長は事の重大さを、すぐに理解したらしい。

「責任を問われる・・・・・・」

「え?」

 ミーシャが聞き返した。

「責任を問われる、と言ったのだ」

「責任って・・・・・・」

「しっ、ミーシャ、魔王宮職員には魔王宮職員の世界があるんだ」


 何か問題が発生した場合、責任者を求めて吊し上げるという、悪しき慣例が、魔王宮にはある。それはスケープゴートや、気に食わない同僚を陥れる場合など、策謀と結びついている事もある。ここが伏魔殿と渾名される所以である。


「ところで先輩、これってもしかして・・・・・・」

「そうだ、おそらく基礎工事の手抜きだ」

 部長は事の重大さを認識しているらしい。青い顔が、白くなっている。


 魔王宮ほどの巨大建造物ともなれば、地中に巨大な杭を打ち込むのだが。

「もしこれが疎かだと・・・・・・、そうだな例えて言うと」

「コーヒーゼリーの土台の上に、デコレーションケーキを乗せるようなもの、ね」


 ミーシャの例えに、ルドルフは言葉に詰まった。


「でしょ?」

「まあ、その通りだ」

「それでは、図書館へ行きましょう」

 シュニンがルドルフたちを促した。


「ではルドルフ先生、よろしく頼みましたよ」

 部長の言葉に力強くうなずいた。


 魔王宮図書館へ行く前に、東へ向かった。建設中の舞踏会場を見る為である。ダンデルも同行している。


 長い回廊を進むごとに焼け焦げた匂いが強くなってくる。

 ルドルフは、段々と不安が大きくなって来た。

 大勢の衛兵たちが、水の入ったバケツを必死でリレーしていた。


「急げ、燃え移る前に、消し止めるんだ!」


「まさか!」

 ルドルフは走り出した。

 見えた。

 目の前の情景を見て、ルドルフは愕然とした。


 巨大な穴が開いて、陥没した大屋根。

 特にこだわって選んだ建具から噴き出す炎。


 シュニンが衛兵の一人に尋ねた。

「一体、何があったんですか!?」

「勇者の残党が出たんだ! 北から巨大な火球を投げ込んだらしい!」


 ルドルフは、ガクリ、地に膝を着けた。

 カバンから設計図がはみ出ている。

 おもむろにそれを取り出した。


「くそっ!」

 両手で引き裂こうとした。


「先輩っ、やめて!」

 ミーシャが飛びついて止めようとした。

 シュニンが心配そうに見ている。


 しかし気が済まない。

 右手で設計図を持ち上げ、地面に叩きつけようとした。

「くそっ、こんな物!」


 誰かが右手をつかんだ。

 師匠のダンデルだった。


「ルドルフ、お前が私の立場だったら、設計図を何枚引き裂けば済むだろう?」

「師匠・・・・・・」


 ルドルフは返す言葉がなかった。師匠は自分の何十倍も辛いに違いない。


「私はもう老いた。再建する気力は、無い」

「師匠・・・・・・、本当に、本当に引退を?」


 ダンデルはコクリと頷いた。

 ルドルフは、それ以上何も言う事ができなかった。


「これからは、お前たち若い者が新たな意匠を産み出して行くのだ」

 哀切を噛みしめるようにして、二人の弟子に言った。

 恐らくそれが、最後の指導のつもりなのだろう。

 隠者の森へ旅立つ。そう言い残して去って行った





 クロスボーン城の南に位置する、魔宮図書館。


 ここには魔界で発行される、全ての本が収蔵されている。

 ルドルフは、伝統建築や新たな建築技術を学ぶため、ときどき訪れる。


「ここは、ほとんど被害がなかったようですね」

 シュニンはルドルフを気遣って、そっとミーシャだけに聞こえるように言った。


 ところどころ本が散乱しており、司書たちが整理に追われていた。


 ルドルフはなんとか気を取り直していた。

「シュニンさん、古い設計図がどの辺にあるか、ご存知ですか?」

「いや、ここへはちょくちょく訪れるのですが・・・・・・、どこにあるかはちょっと」

「では司書に聞いてみましょうか」

「そうですね。その前に、ちょっとお待ちを」

 そう言うと、シュニンは書棚へ向かった。


「これこれ、読みたい本がやっと戻って来た」

 書棚の上には『ライトノベルコーナー』と書かれている。

 ルドルフはシュニンの肩越しにそっと覗いてみた。

 タイトルが目に入った。


『異世界転生~冴えないエルフが異世界でハーレム生活~』

 表紙にはかわいい魔族の女の子が描かれている。


「今こういうのが流行っているんですか?」


 ルドルフの言葉にシュニンはビクッとした。

「あ、すいません、勤務中なのに」

「いや、いいですよ」

「帰り際に借りてきてもいいでしょうか?」

「ええ、全然」

「ありがとうございます。どうか部課長には内密に」


 今度はミーシャがいない。


「どこに行ったんだろう」

「あそこにいるのがミーシャさんでは?」


 黒髪を束ねた、作業着姿の女性はここでは良く目立つ。文芸書コーナーにいた。


「ミーシャ、何してるんだ」

「先輩、ごめんなさい。読みたい本が有ったもんだから、つい」


 ちょっと前に流行った本だ。

 タイトルは『キミの内臓をガッツキたい』


「これ、魔界ムービーで上映されたやつか?」

「さすが先輩! そう、これすごくいい話しなんですよね!」


 ルドルフはどちらにも興味がない。小説と言えば、歴史小説を少し読むくらいだ。最近では、『魔忍の邦』や『魔界太平記』と言ったところか。


「司書に聞いてみよう」

 ルドルフは貸出・返却コーナーへ向かった。


「すみません、こういう文献を探しているのですが」


 メモを差し出すと、受付の男性はルーペを取り出してメモを眺めた。


「うーん、確かに有ります。ですけどねえ、ちょっと・・・・・・」

「ちょっと?」

「有るには有るのですが、違う場所に保管されておりまして」


 司書はそう言うと、鍵を取り出し、背後の扉を指さした。

「入るには届け出が必要です」


 面倒だな。ルドルフはそう思ったが、ここまで来たら入らねばならない。


「私は魔王宮の職員です」

 隣のシュニンが口を出した。


「ああ、職員の方ですか。なら、身分証の提示だけで結構です」


 面倒な手続きが省略されて、ルドルフはホッとした。


「第一建設部の方ですね。では開けますよ」

 きしんだ音を上げて扉が開くと、地底に続くかのような洞窟が、姿を現した。


「この先が、古文書保管庫になっております。どうぞお気を付けて」


 コウモリが飛び出して来た。中から魔獣の唸り声が聞こえる。

 ルドルフは驚いた。


 ここは古文書保管庫と言うより、ダンジョンではないのか!?

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