謁見の間

「まずは、竣工図が必要だ」


 御影石みかげいしの壁、大理石の床、それら内装材を一度撤去してから建物構造の修復を行う事になる。それに先立ち目視調査を行うのだが、建物構造を把握する為に図面が必要である。魔王宮の古図面を閲覧する為、ルドルフはミーシャと共に魔宮図書館へ向かっていた。


 城内は再び厳戒態勢となった為、シュニンが案内役を命じられた。




『この後、私は会議が二件、書類作成と伝票処理が山積しているのですが』

 シュニンはそう言ったが、年長の職員は許さなかった。


『そんなの、他の誰かに任せなさい! もしこの件で私が左遷にでもなってごらんなさい。あなたたちにも少なからず、しわ寄せが行くのですよ!』

『・・・・・・』

『そうだ、課長! 部下の不在はあなたがカバーしなさい! いいですね!!』

『わ、分かりました・・・・・・』

 課長と呼ばれた男性は顔を引きつらせてうなずいた。


『ハァ、今日も残業かぁ』




 小声でつぶやいたのをミーシャはしっかり聞いていた。


「宮仕えって、大変ねぇ」

 ちらりシュニンを見ながら、気の毒そうに言った。

「そうだな。我々にはとてもできそうにない仕事だ」


 三人は事務棟の三階の廊下を歩いていた。天井は落ち、窓ガラスは全て割れて風が入ってきている。ここも、至るところに亀裂クラックが入っている。


 地震が来たら、即アウトだな。


「本当は五階に上がって、空中回廊を通れば近道なんですけどね。」

 シュニンはそう言った。

 と言う事は、空中回廊は崩れ落ちたと言う事か。


 広い空間に出た。ここから先がグレイト・キャッスルとなっている。廊下との境目から外が見える。エキスパンションジョイントと呼ばれる、建物と建物をつなぐ部材が剥がれ落ちていたからだ。隙間から、隣の建物が見える。ビッグニードルと呼ばれる城塔が、今にもこちらへ倒れて来そうに傾いている。


 引き受けてしまったはいいけれど、修理には膨大な時間と労力が掛るだろう。気軽に引き受けてしまった事を、ルドルフは後悔し始めていた。


 師匠じゃなければ、やはり修復はうまくいかないのでは? 丁重にお断りするべきだったか・・・・・・。


 その時、館内に魔響放送が流れた。

『えー業務連絡、建築部のシュニンさん。同行者をお連れして、謁見の間へお急ぎください』


 謁見の間? 


 シュニンの顔がみるみる強張って行った。


「シュニンさん、顔色が青いですよ。」

 いや、元々青いので、一段と青ざめた。とでも言おうか。


「いや、なに、元からこんなですから・・・・・・」

 そう言いながら指差した。


「あそこです。あそこが謁見の間です。」

 指先が震えている。


「ええ知っていますよ。改装工事には私も関わっていましたから。」

「ねえ、わたしはどうしたらいいの?」

「はい、ミーシャさんはこの辺りでしばらく待機していてもらえますか」

「じゃ、この辺から先に調査開始しますね」



 ミーシャを残し、二人は重いドアを開けた。中は広い吹き抜け空間になっている。天然大理石の壁、血の色の絨毯、クリスタルのシャンデリア。全て師匠ダンデルがプロデュースしたものだ。一番奥のひな壇に玉座がある。黒地に赤で彩色された、美しい模様が描かれている。


 魔王様が我らを謁見するのだろうか。

 確か三か月間絶対安静だと聞いているが。


 衛兵がズラリ並んでいる。一番端の衛兵が叫んだ。


「魔王様、ご降臨!」


 室内は、緊迫した空気に包まれた。


 ふと、隣のシュニンを見ると、横顔に大量の汗が浮き出していた。


「ドクン!」

(何かが来る!!)

 ルドルフの本能がそう告げた。次の瞬間、巨体の持ち主がひな壇の脇から姿を現した。


 魔王様だ!


 こんなに近くでお目に掛れるとは。恐るべき威圧感! 禍々しき威厳に満ち溢れ、魔界の王者の貫禄を発している。が、同時に疲れ切っても見える。


 両脇を、美しいナースが支えていた。その後ろを医師とおぼしき魔法使いが続く。

 更に、師、ダンデルが続いた。


「あ、ダンデル師匠」

「しっ! 静かにして下さい!」

 シュニンが怯えた様子で人差し指を口に当てた。


 魔王は、ドォーンと、地響きを立てて玉座についた。

 天井からパラパラと破片が落ちてくる。


「ご苦労・・・・・・」


 重低音のその声は、まさしく魔界の王者そのものだ。普通に話しているはずなのに、ビリビリと振動が伝わってくる。


「魔王様におかれましては、いつもご尊顔うるわしく・・・・・・」

「前置きはよい」

 ドン、と重低音が響き、シュニンは震えあがった。


 ギロリ、ルドルフに目をやった。


「貴様が弟子か」


 恐るべき威圧感。抗う事を許さぬかの様な眼光。

 その目で睨まれたならば、誰もが無言でひれ伏すだろう。


 すくみ上がる自分自身を叱咤して、ルドルフは答えた。


「左様でございます」

「貴様の師匠はもうやる気がないらしい。貴様がやれ」

「ははっ、命にかえましても!」

 言ってしまった。言って、しまった……。

 しかし、このシチュエーションで他に何が言えるだろう。


 医師の魔法使いが、心配そうに魔王に近づいた。

「魔王様、そろそろベッドへお戻りください」

 巨大な角が前後した。うなずいたのだろう。


「魔王様、ご退席!」

 衛兵が叫んだ。


 魔王が立ち上がると、その巨躯が一段と大きく感じられる。

 二人のナースが両脇から魔王を支えた。


 ルドルフはようやく平静さを取り戻しつつあった。余計な物まで目に入る。

(あの二人のナース、なんであんなにスカートが短いんだろう)

 ミーシャを思い出した。

(うちのミーシャも、もう少し女性らしくした方がいいかも知れない)

 作業着姿で麺を美味しそうにすする、ミーシャの姿が脳裏に浮かんだ。

(いやいや、男のエゴか。ミーシャはあのままでいいんだ)


 魔王は去った。衛兵たちも後に続いた。

 ダンデルが一人残された。


「師匠っ」


 ダンデルは普段と変わらぬ様子でルドルフを見つめていた。

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