第10話 同じ苦労はさせられない

「で、会長、今日は何の話なんですか?」


 アスミはいかにも面倒だという眠そうな顔をして大げさにあくびをしてみせた。


「実はね、この間の総会で質問のあった入会の話なんだけど、あれをもう一回よくみんなで考えてね、できれば来年の新入生の保護者にはちゃんと説明してみようと思うのよ」


 ミサトは緊張を押し払うようにわざと大きな声で話した。


「説明って二月にいつもやってるやつですよね?」


 ユミが手元のクリアフォルダをめくった。


「そう、あの二月にやってる説明会のときにね、PTAではこんな活動をしています、入会は強制ではありませんが、ぜひ入ってくださいってね」


「え? あの話だったら総会のときにけりがついてるじゃないですか。それに入会するかどうかは自由ですなんて話ししたら入りたくないって人も出てくるかもしれないですよ。いまでも陰でいろいろ言ってる人もいるんですから」


 トモコが小さなメモ帳をつまみ上げてひらひらと揺らした。


「あの話ね、いろいろ調べてみたのよ。総会で質問してくれた高田さんにももう一度話を聞いてみたし、それから全国の事例もね」


 どん! ミサトがテーブルに何冊もの水色や黄色のフラットファイルを積み上げた。


「何すか、これ?」


 トモコは何かの危険物でもあるかのように直接触れずに四方八方からフラットファイルを興味しんしんに眺め回した。


「これね、全国で起きたPTAの入会トラブルの調査報告書。ある人が一人で何年もかけて調べたものなのよ。嘘みたいでしょ、でも、♪~嘘のようだが本当だ♪」


 ミサトが鼻歌を歌いながらごそごそとカバンからCDを取り出す。


「資料貸してくれる代わりにこれをみんなで聞いてくれだって」


 CDを受け取った役員たちは一様に怪訝そうな表情を浮かべている。


「でみんなに聞いてほしいのよ。何年か前に市内の学校でPTAのトラブルがあったでしょ、あの話なんだけど――」


 ミサトは高田の学校で起こった一連の騒動を説明した。最初はつまらなそうに聞いていた役員たちは、運動会の参加賞を配るかどうかの辺りでは「そんなの自業自得」的な反応を示していたが、学者陣営の攻撃でメディアやネットが大炎上した辺りに差し掛かると伏し目がちになり口を開く者もいなくなった。


「――というわけでね、この間はたまたま高田さんが寸止めにしていたけど、もしかしたらうちの学校でも大炎上していた可能性はあるわけなのよ」


 総務の役員たちはしばらく黙って机を見つめてはチラチラとお互いに横目を配っていた。沈黙に耐えられなくなったアスミが口火を切る。


「それじゃあよ、ミサトはどうしたいわけ? 今までは全員入ってくださいねって言ってきたけど今日から退会も自由です、嫌だったら辞めてもらって結構ですって言うの?」


「そんなね、誰かに入ってほしくなくて任意だって説明するっていう話じゃないのよ。高田さんの前の学校も、最後は結局全員がPTAに参加して誰も辞める人はいなかったっていうしね。ただ、知らないうちにPTAに入ってました、会費も取られてましたっていうわけにはいかないからね。ちゃんと説明して、みんなに入ってもらいたいと思ってるわよ」


「今までの説明会と何を変えようとしているの?」


 ユミがファイルをパラパラと眺めながら聞いた。


「まず、入学予定者説明会のときにね、PTAの活動を知ってもらおうと思うんだ。今でも説明してるけど説明会って平日にやってるからお父さんが参加しているとことは少ないでしょ。だからね、PTAの年間の活動とかしくみとかを説明したガイドブックを作ろうと思うのよ」


「今までの揉めてるケースを見てもお父さんが訴え出ていることが多いですからね」


 トモコはすごいスピードで取っ替え引っ替えファイルをチェックしている。


「それでね、そのガイドブックの中でPTAへの入会は任意であることをね、ちゃんと書こうと思うのよ」


「入会は任意ですって書いてあったら、入らなくってもいいんですかって聞いてくる人もいるんじゃない? ほら、ここにもさ、入りたくないって人がたくさん出てきたケースがあるけど」


 アスミが持っていたファイルを開いて指差した。


「そこはね、ちゃんと説明してね、任意ではあるけど、子どもたちのために、できるときにできることをしましょうって話せば入ってもらえると思うのよね。だからさ、今年のうちに、今の私たちの代のうちにちゃんとした形にしておきたいのよね。たとえばさ、入会の意思確認なんかもしたいんだ」


 ミサトはだんだん調子に乗って家で考えてきたアイデアを話しだした。


「でも、いちいち『入会申込書』とか書いてもらってたら面倒っすよね。書きたくないって人もいつかもしれないし」


 トモコのツッコミが入る。


「それはね、もうすでにそれらしいもの書いてもらっているじゃない、保護者全員からさ」


「あ、『役員カード』があったっすね」


 ミサトたちのPTAでは、役員をやるなら何の仕事をいつ頃引き受けたいかという希望を「役員カード」という形で会員全員から提出してもらっていた。


「そう、あれを使えばさ、元々みんなから役員を引き受ける意向を聞いてるわけだし、あそこに『PTAの趣旨に賛同して入会します』って項目作ってチェックしてもらえばいいじゃない」


「でも、チェックを入れてくれない人もいるんじゃないの?」


 これまでも役員カードを集めたり記入漏れの確認はユミたちが手分けして行っていた。


「それでもね、まるっきり一枚申込書書いてもらうよりハードルは低いと思うのよ。もちろん、今ここで全部決めようってわけじゃないんだけど、これから一年かけてPTAの入会の手続き関係の弱い部分をちゃんとしておきたいんだよね。みんな、お願いだから一緒にやってくれないかな」


 ミサトは立ち上がると目をつぶって勢いよく頭を下げた。時間の感覚が麻痺して、じっとりと粘り気を持ったかのようにゆっくりと時間が流れていくのを感じる――。


「よし」


 ばん。フラットファイルの上にアスミの手が振り下ろされる。


「とにかくさぁ、私思うんだけど、さっきのミサトの話もそうだし、このファイルもそうだけど、こんなトラブルに対応する苦労を次の役員さんにやらせるわけにはいかないよね。それはすごく思うわ」


 アスミが右手を自分の胸に置いて切々と話す。


「今回だってさ、私らはあんまり深く考えずに会則に書いてあるからってミサトに適当に喋らせちゃったけど、こういう資料見てるとさ、すげーヤバい地雷踏んでた可能性もあんだよね。あの質問してたのが高田さんじゃなかったらさ、今頃私ら真っ赤な顔して入会しないっていう人と戦争してるか真っ青な顔して学者とかにビビってガクブルしてたかも知んないんでしょ。そんなさ、いつ爆発するかわからないロシアンルーレットみたいなのをさ、次の代とかその次の代の役員さんに引き継ぐわけにはいかないから、今私らが潰しとかないといけないんだよ。私はミサトに賛成だよ。みんなはどう?」


 アスミが役員たちをぐるりと見渡す。普段はややこしい話を面倒臭がるアスミが力説していることへの驚きを浮かべつつ、アスミの話に聴き入っていた。


「そうなんだよね、私たちの代を無事乗り切ってもどっかで当たった人たちに苦労させちゃうことになるんだよね。だったら今、私たちが芽を摘んでおかなきゃいけないのかもしれないね、こういうの見ちゃうとね」


 ユミもテーブルの上に置いたファイルに手を置いた。


 他の役員たちもめいめいに右手をテーブルの上に伏せた。


「それじゃ、これから一年、未来の役員たちのためにきっちりカタをつけるよ、みんな、いいね!」


 バレーボールの試合が始まるときの円陣のように、ミサトが差し出した手の上に役員たちの手が重ねられ、運動部のような鬨の声が上がった。

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