第8話 逡巡

「一歩踏み出すって簡単に言いますけどね、相手の身にもなってみないと」


 かん。ミサトは飲みかけのビールの缶を空けるとテーブルに叩きつけた。中身の重みを失った空き缶はゆらゆらとバランスを取りながら頭を揺らしている。


「まあ、考えすぎなんじゃないの? いいじゃない、向こうから投げてよこしてきたボールなんだからさ」


 トミオは少しぬるくなったお湯割りのグラスをチビリと舐めた。


 小金沢を訪ねた日からもう三日が経とうとしていたがミサトは相変わらず決めあぐねていた。区Pの椎名会長は小金沢さんに会えば何かヒントがわかるかのように話していたが、ミサトの手元に残されたのはさらに大きくなった謎だけだった。


「結局、何も教えてくれなかったのよね。ただとにかく高田さんに会ってみろって言うだけでさ」


 ミサトは解凍した茹で落花生を一口つまんだ。


「その小金沢さんはさ、何か目論見というか、考えがあってそう言ってるのかな」


 トミオも落花生に手を伸ばす。


「そんなわけでもないみたいよ。とにかく一歩踏み出してみろってね、ま、自分の人生訓というか、経験上の考えだって言うんだけど、その結果があれだって言うんだけどね」


 ミサトは、サイドボードに積み上げられたCDの山に目をやった。赤いタキシードに身を包んだスキンヘッドのおじさんが十二人。


「あ、一ダースもらってきたんだっけ?」


「そ、学校の皆さんにも宣伝してきてくださいってさ。まあ、小金沢さんのお話自体はもっともなんだけどね、私としてはCDじゃなくて、高田さんに反論できたり総務のみんなを説得できたりするなんかいい材料かなんかあるらしいって期待してたんだけど……」


「ま、そこは成り行きだと思って。流れには乗るもんだよ。それにさ、何もしないのも気持ち的には落ち着かないでしょ」


「そりゃそうですけどね、やっぱり不安よね、何しに来たんだって言われたらどうしようかって思うと」


「まあとにかく会ってみなよ。話ししたからって何か失うわけでもないでしょ。それに小金沢さんにも深い考えがあるかもしれないよ」


 うーん。小金沢の顔を思い浮かべる。一瞬だけ思慮深い高僧のような佇まいを感じたことは確かだが、どうしてもキワモノっぽい見た目の印象が強くて、ミサトはつい吹き出しそうになってしまった。


「深い考えはわからないけど、あの突き抜け方見てるとちっちゃなことで悩むのが馬鹿らしくなるわね。わかった、とにかく高田さんに連絡してみる」


「そうだよ、それがシンプルな答えさ」


 トミオは笑いながらお腹を軽く叩いた。

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