第6話 悶々

「――ということで、ただ今ご紹介をいただきました市P連会長の茶伊東でございます。本日はミノリ区PTA連合協議会の総会にお招きいただきまことに――」


 総会が終わり、連休が明けると各種団体の総会シーズンが追いかけてくる。まず、PTAや自治会の役員が決まり、彼らが自動的に「充て職」として役職を割り当てられる、青少年育成委員会などの総会が五月から六月にかけて開催されるのである。そんなわけでミサトはミノリ区内のPTA各校によって構成されている協議会の総会の執行部席、「監事」と書かれた長机に座らされ、幹事校の校長先生やら市PTA連絡協議会会長やらのあいさつを聞かされているのであった。


「――ええ、私たち、市P連といたしましても、各区におけるPTA活動が積極的に行われていることは誠に喜ばしく感じているところでありまして――」


 まったく、市P連だかなんだか知らないけど、私たちに何してくれるっていうのさ。ミサトはさっきからカチカチとシャーペンの頭をノックしては机の上にシャーペンの芯を散らかしていた。四月の総会――総務の役員にとってはつつがなく終えることができた会議進行であったが、嫌がらせじみた高田の質問と捨て台詞を喰らったミサトにとっては屈辱以外の何物でもなかったあの総会以来、ミサトはPTAのことを思い出すたびにカリカリしていたのだ。特にミサトの神経に障ったのは、いくらでも二の矢三の矢を射ることができたにもかかわらず質問するだけ質問して余裕綽々で追撃の手を緩めて立ち去った高田の態度だった。なにが「その程度だ」だ、なにが「いつか痛い目見る」だ、どうせネットか何かで聞きかじった知識で馬鹿なママさんたちに一泡吹かせてやろうとわざわざ仕事休んで平日に出てくるなんて、いったいどれだけ性格悪いのよ? どうせ家庭でも職場でも誰にも相手にされない鬱憤を立場上抵抗のできないか弱いPTAの役員にぶつけて晴らしてやろうっていう人格破綻者に違いないのよ。ああ! もうイライラするなぁ。


「――そういうわけでありまして、市P連としても、もう一度初心に帰ってそもそもPTAとは何のためにあるのかといったようなところに立ち返ってその『あり方』を再検討する必要があろうかと――」


 だいたいよ、PTAなんて誰も好き好んでやってるわけないっちゅーの。それでも誰かやらないといけないと思って総務の人たちも私も役員やっているわけじゃない。それをよ、さも私たちがPTA大大大好きで、やりたくもないと思っている哀れな一般保護者をだまくらかしてPTA会費と役員としての無償労働を搾取しているかのように喚き立てるのっておかしくない? 私たちだって役員なんかやらなくて済むんだったやるはずないに決まってるでしょ! あぁぁもお、余計なことばっかり好き放題言ってぇぇぇぇ――。


「――ということで、今年度から市P連の中に『あり方委員会』というものを設置しまして、われわれPTAの役割とは何であるのか、今の時代にふさわしい活動のあり方とは何かについてじっくり検討したいと――」


「あああぁぁぁぁ! 黙ってろ!」


 バンッ!



 無意識のうちにミサトの手は会議机の上に振り下ろされていた。しん、と静まり返った会場の目という目がミサトに向けられている。さっきまで挨拶を述べていた市P連会長の茶伊東はポカンと口を開けたまま元々丸い目を二倍くらいの大きさに見開いてプルップルップルっと震える手で自分の顔を心配そうに指差している。


「――あ、あの、あの、すいません。ちょっと居眠りしてましてぇ――」


                ◇


「す、すいませんでした。茶伊東会長、怒って帰っちゃったんですか?」


 区P連の総会も無事終わり、バスで移動してきた懇親会場。ミサトは新年度の区の会長を務める本登田小PTA会長の椎名のグラスに両の手でビールを注いでいた。


「いや、だいじょうぶだよ、茶伊東さんもさ、今日は三箇所で総会があるからっていって次の会場に移動しただけだからさ。それより、そっちの学校、大変だったみたいだね、総会。噂は聞いてるよ」


 近年急速に人口が増え学校も新設されてきたミノリ区は、PTAという形にせず「保護者会」という組織スタイルを取っている学校が多い。そのため、PTAに参加している八校だけが参加しているミノリ区PTA連合協議会は、いい意味では親密で結束が固い、悪い意味では悪ノリが過ぎる区として知られていて、毎年の市P連の新年会では周到に準備を重ねた被り物やら仮装やら極小コスチュームやらによる演し物に命をかけているイロモノ系の区Pとして一部で名を馳せているのであった。そんなミノリ区だからなのか、二次会三次会と延々と飲み会に付き合った結果であろうか、会長どうしは非常に打ち解けていて、ちょっとしたトラブルがあれば数日のうちにはメールとラインがミノリ区内を駆け巡り、あっという間に巷間に流布する事態となってしまっているのである。


「まあ一応総会に対する質問ということでは解決したということになっているんですけどね。それにしても悔しいんですよ、まるで私たちの考えていることが見透かされたというか、私たちが自分に都合よく考えるだろうなってことを始めからわかっているかのような口ぶりで言われちゃうもんですからね」


 ミサトは小ぶりなビールのグラスをくいっと半分ほど空けた。


「はいはい、お疲れ様でした。でも、最近はこういう話多いんだよ。今日も会長が話してた『あり方委員会』もそういう流れを踏まえて設置することになったって話だし」


 椎名がビールの中瓶をかざす。ミサトは黙って盃を受ける。


「でもね、市Pは一応検討しましたよってアリバイがほしいだけなんじゃないかと思うんですよ。だって私たちが直面している困難は現場で起きてるんですよ。会議室で話し合った綺麗事なんかで組織は動いたりしたりはしないんですよ。よく言うじゃないですか、事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだって」


「いやでもさ、ミサトさんが直面した事件は総会っていう会議の場で起きてるじゃないですか?」


 椎名は笑いながらビールを注ぎたげに傾けた中瓶を揺らす。


「もう、揚げ足取らないで。現場ってそういう意味じゃないのよ。各学校で起きている事件はどっかの会議室で集まって議論したら解決するような甘っちょろいもんじゃないっていうことを言いたいの!」


 ダンっ! ミサトは飲み干したグラスをテーブルに叩きつける。


「だいたいさ、PTAの事務方なんてみんなやりたくてやってるわけないでしょ。それをさも勝ち誇ったように、さもそんなことも知らないのかとでも言うのかのように、みんなの目の前で質問して私たちが困ってるところ見てニヤニヤしてるだなんて、コイツも相当性格ひん曲がってるよね!」


「まあまあまあまあ、ミサトさん、ちょっと落ち着きましょうよ。ええ、悔しいですよね、つらいですよね。だったらね、一度会って話してみるといいと思うんですよ。あの人に」


「あの人?」


「ええ、あの人。ウチの小学校のね、ちょっと前の会長OBでね。もしかしたら名前を聞いたことがあるんじゃないかと思うんですけど小金沢っていいましてね、ウチの学校の顧問をやってもらってる人なんですよ」


 ミサトにはその小金なんとかさんに思い当たるフシはなかった。そもそもミサト自身がPTAの活動に関わるようになったのは三年前に副会長を引き受けて以来だ。何年も前のことなんて知ったことではない。


「ちょっとね、独特というか……個性の強い人なんだけどね。市P連の副会長なんかもやっていたこともあって、どっかの学校でトラブったとかなんかでPTAのことを色々調べてたりもしてたようなんですよ。だからPTAの入会だとか退会だとかのことではヒントを貰えると思うんですよね。まあ個性の強い人ではあるんですが」


「その人、その市Pの副会長だったとかの人に相談すれば、あの小憎らしい高田のオッサンの鼻を明かしてやることもできるってことかしら?」


「ああ、その高田さんって人もね、もしかしたら僕も知って――」


 そのとき、いい調子で話していた椎名の頭は後ろから忍び寄った屈強な腕によって組み伏せられていた。


「コラっ、椎名! なにミサトちゃんを独り占めしてるんだ。いいから日本酒呑め、日本酒」


 椎名は他校の会長さんたちが両手に抱えてきた一升瓶によって奪い去られてしまった。もしかしたら、酒癖の悪いことでは一二を争うミノリ区の飲み会でこれだけゆっくり話せたことのほうが奇跡だったのかもしれない。ミサトは諦めてまだ中身の入っているビール瓶を探し出し、校長先生たちに注いで回ることにした。


 それにしても、その小金沢って人は何を調べていたっていうんだろうか?

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