第4話 踏み出せなかった一歩

「――と、いうわけなのよ、これなら行けるんじゃないかしら」


 PTA室の会議机を囲んだ総務の役員たちは怪訝そうな目でミサトの顔を覗き込んだ。今日は総会前の最後の準備の日だ。あとは総会直前に先生方とのシナリオの読み合せがあるくらいで、普段なら準備はすべて終わっているところだ。宿題になっていた質問状へのミサトの答えに役員たちは難しそうな表情を浮かべた。


「でも会長、もし、PTAの加入は任意です、入りたくなければ入らなくても構いませんって答えるとするでしょ。それを聞いた会員の人たちはどう思うかしらね?」


「そうよ。じゃあ今からでも辞めようかしら、今辞めればPTA会費払わなくても済むし、役員も引き受けなくていいのよねってなれば、辞めますっていう人も随分いるんじゃないかしら?」


「何より役員決めよね。ウチは子ども一人につき卒業までには一回は役員をやってもらうってことになってるから、まだ役員やっていない人たちは戦々恐々としているでしょ。この間の今年度の役員決めだってどうにか全クラス決まったけど二時間もずっとみんな黙り込んでなかなか決まらなかったクラスもあったんだし、あの人たちに、PTAは自由に退会できますよって言ったらみんな辞めちゃうんじゃないの?」


「そんなことになったらますます残された人の負担が増えるわけでしょ。そうしたら最後には誰も残んないんじゃないかしら」


 役員たちは口々に不安を口にした。年度初めに各クラスで行われる「役員決め」には総務の役員たちも手分けして参加して、時にはなだめ、時には励まし、時には有形無形の圧力や拝み倒しを駆使して、やっとの思いで今年度の役員を選び出してもらったのだ。あの場を重く支配していた緊張感を思い起こせば、入会も退会も自由です、好きなときに辞められますよ、などとは軽々しく口にできない気持ちはミサトにもよくわかった。


「まあ、会長の言っていることはたしかに正しいかもしれませんよ。美しいですよ。エクセレントですよ。たしかに『模範解答』かもしれませんよ。でもね、いくら理屈では正しくても会員が辞めちゃったら活動できなくなっちゃうよ。そうしたら困るのは子どもたちなんだよね。そうなってからじゃ後の祭り、本末転倒、元も子もないでしょ。そうなるくらいなら、多少強引というか無理があったとしてもね、なんとか理屈つけて全員会員になってもらうほうが、結果的にみんな幸せ、ウィン=ウィンで八方丸く収まるわけでしょ。なんとかそういう方向でみんなで知恵出し合うほうが建設的なんじゃないですか?」


 アスミは立ち上がって両手をブンブン広げたオーバーアクションで力説した。


「でも……、PTA自体は法律で決まってる組織でもなければ法人格もなくて通帳一つ作るのだって総会資料やら何やら提出させられて何時間もかかったりするくらいなんだから、そんな都合のいい理屈があったりするわけないんじゃないの?」


 PTAは「任意団体」だ。それは入退会が任意かどうかという意味ではなく、財団法人や社団法人のように法的な根拠を持っていないという意味であり、そのため会長名義の通帳を作るときも色々と煩雑な手続きが必要となり、ミサト自身も書類が足らず何度も窓口に足を運んだ経験があった。


「あのお、だったら会則の第六条で説明するってのはどうですかね。ちょっと見てもらえます?」


 書記のシゲミがおずおずと小さく手を上げた。ミサトは総会用資料から会則を取り出した。


「第三章 会員

 第六条 この会は、千葉市立名矢文小学校に在籍する児童の保護者及び教職員をもって組織する。」


「ここに、児童の保護者をもって組織するってなってますよね、名矢文小学校の保護者はPTAの会員なんですよって。これで説明できないですかね」


 役員たちは各々改めてまじまじと会則を眺めた。たしかにそういう風に読めないこともない。


「でもこれって保護者と教職員は自動的にPTAの会員になりますよって意味なのかしら? むしろ、保護者でも教職員でもない人は会員になれませんよって意味にも読める気がするんだけど」


 ミサトはどちらとも断言する自信が持てなかった。


「会長、まあそういう見方もできるかもしれないけど、ここは一つこの線で行きましょうよ。自分で自分を追い詰めてどうするんですか。みんなが読んで違和感ないってことはそれでオーケーってことですよ」


 アスミはもううんざりだとでも言いたげに舌を出しておどけた顔をした。


「そうですよ、とにかく会則に書いてあるんだからこれが決まりなんですってドンと大きく構えてくださいよ。まずは会長が態度で示さないと。私が法律だ、文句あるかってね」


 トモコも相変わらず調子のいいことを言っている。



 自分が答えるわけじゃないからってみんな気楽なもんだ。ミサトはやれやれと小さなため息をついた。でも、不思議なもので、みんなから自信を持ってと励まされると不思議と自信が湧いてくるような気がした。そうだ、私達はこうやって一年間力を合わせてやってきたのだ。色々大変なこともあったけど、意見が別れることもあったけど、それでもなんとか一年間乗り切ってきたのだ。


「そうね。みんなの言うとおりかもしれないね。わかった、なんとかその線で頑張ってみるわ。みんな、応援よろしくね」

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