第2話 相談
「まだ起きてたの?」
はっ……とミサトは目を凝らす。白い天井、いつものソファ、煌々と灯るシーリングライト、時計の針はもう一時を指そうとしている。寝ちゃったのか――寝ちゃったんだな。
「考えごとしてたのよ」
「そう」夫のトミオは大して興味もなさそうに相槌を打ちながら冷蔵庫から取り出したペットボトルの炭酸水をシュっと音を立てグラスに注いでいる。
「またPTAの話?」
「もう来週だからね、総会」
テーブルいっぱいに広がった資料を面倒そうに一瞥し、少しの躊躇と諦めに揺れたミサトは一枚一枚を拾い集め始める。不本意ながら再会してしまったコピー紙の裏に乱雑に書き殴られたメモ書きには寝落ちするまでミサトの頭のなかで煮詰まってしまっていた思考のスープが再現されていた。
「で、答えは出たの? あの話でしょ、前に言ってた」
「そ、あの話」
働き者の靴屋が目を覚ますと作りかけの靴が完璧に縫い上げられているように目を覚ました私の前に「あの話」の答えが出来上がっていればいいのに――そんなことを考えるミサトの目にトミオの膨れ上がった大きな腹が映る。
「あなたじゃ小人はムリね」
「何の話だよ、小人って」
トミオはグラスをテーブルに置くと大儀そうに椅子に腰を着地させた。
「それに――メタボ体型の小人さんだっているかもしれないだろ。だいぶ手強そうだね」
「手強いって言うよかね、意図がワカンナイのよね、もしクレーマーだったら、総会屋みたいに総会の混乱を狙ってるんだったら、当日その場で質問をぶつけた方が効くはずでしょ、執行部はオタオタするだろうし。なんで事前に質問してきたのか。かと言って何かを要求しているわけでもない、事前に回答が欲しいわけでもなさそうだとなると、なんでこんな質問をしてきたのかが全く理解不能なわけなのよ」
「単に生真面目な人なのかもしれないよ。最近新聞とかでも聞くじゃない、PTAでトラブルになったとか裁判になったとか。何年か前に市内でもあったよね、たしか」
「よく知らないけど、そんな新聞とかネットで付けてきた知恵を自分でも使ってみたくなるものなの?」
ミサトは拾い集めたプリントをテーブルでトントンと揃えていく。
「まあ色んな人がいるからな。僕が子どもの頃はPTAに入るか入らないかなんてこんな田舎じゃ考える人もいなかったけどね」
「田舎って言うけど最近は都内から越してくる人も多いのよ。快速一本で都心直結。豊かな自然、広い建坪。ウチの学校も新入生や転校生が増えてきて五年と六年は今年からプレハブ校舎になったのよ」
「ファミリーマイトの裏手もすっかり家が張り付いちゃったよな。あそこは山だったときはミヤマクワガタが随分いたんだけどな、子どものときに通ってたとっておきのクワガタポイントが今じゃすっかり小綺麗な住宅地だもん。昔はおっきな蛇がいて怖かったんだ」
「クワガタは別にいいんだけど、その宅地に越してきた人らしいのよね、質問した人も。PTAに加入するのは義務なのか、そういった説明はなかったがどうなのか、入会の手続きもした覚えないぞってね」
ミサトは件の質問状のコピーをつまみ上げてヨロヨロとソファに倒れ込んだ。
「でもさ、PTAって会員の親睦や学習のための団体ってことになってるんでしょ、タテマエ上。そうだったら入りたくないって言えば入らなくってもいいんじゃないの?」
農業系の技術屋ではあるが一応は公務員の端くれだけあって、トミオはまずはタテマエから話を始めたがるところがある。
「そうは言ってもね、PTAがなかったら学校回らないよ。みんながみんな役員やりたくないからって言ってPTAに入らなくなったら運動会もプールも卒業式もどうなるのよ?」
「ということはさ、実態は学校の支援団体なんだよね、まあ子どもたちの学習を支援する団体って言った方が適切なのかな。そうだとしても子どもを支援するのに会員でなければならないってことはないんじゃないの? 例えば赤い羽根の共同募金ってあるけど個々人が趣旨に賛同して寄付しているんであって会員でもなんでもないわけでしょ。それから大きな災害があると全国からボランティアが集まるよね。現場で仕切ってるのは災害ボランティア専門のNPOの人たちだけどボランティアで来ている人たちは会員でもない個人で活動してるんだよね。あれとどう違うの?」
いつもそうだ、二人の意見が別れるとき、情報量で畳み掛けられちゃうんだよな――ミサトはギュッと目を強く閉じ両方の手で頭を抱えこんだ。
「とにかく、く、く、く……、クレーマーだかクライマーだか知らないけど、何の恨みがあるっていうのよ、このただでさえ忙しいときに!」
「まあ今日はもう寝たほうがいいよ。よく寝てスッキリさせた頭で考えるといいアイデアが出るかもしれないよ」
「起きたら小人さんの仕事が終わってるといいんだけどなぁ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます