3.藤島真央は自分自身が嫌いになった
かちゃん。
ドアからカギがかかる音がした。出かける時に閉めたはずが。何故か。開けている。
おかしく思った真央はもう一度カギが閉まったドアを開ける。
玄関のドアノブが動いて、真央は気持ち悪い胸騒ぎがした。酒が回ったせいでもない。むしろ酔いに覚めて冷静に判断できた。
この辺りには一人暮らしが多くて頻繁に泥棒がマンションに出入りしている。もしこれが泥棒の仕業なら、通報すれば済むことだ。
しかし、真央が思ったようなことではなかった。
ドアノブを強く握り締めて下に目を下ろした。
ドアの空き間から見え始めた玄関に見知らない靴が一つ、増えていた。スニーカー。真央の好みと程遠いピンク色だった。
中に入ってドアを閉めると完全に暗くなった。
真央はブーツを脱いで冷やしたリビングに音を殺して、足元を踏み出した。
「「――あ……がう――」」
男女の声が微妙に混じり合って聴こえてきた。
一人は知らない声で、明るく男子の話に笑ってあげる。可愛い声で周りの男子に愛されやすい印象が、頭の中に浮かんだ。
「うちの話ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてる。だから休まずに動けよ」
「も~。茂くんって意地悪い」
胸の鼓動が速く荒くなる。
――ドキドキ。ドキドキ。ドキドキ。チクチク。ドキドキ。ドキドキ。ドキドキ。
勝手に激しく打つ鼓動に右手で掴んで捻った。
「ん、そそ。いいぞ」
しばらくの間真央は沈黙を守って目が闇に慣れる瞬間を、待った。でも、弾け出される心臓はどうにもできなくて、なるべく息を殺して時間をつぶした。
――私はここで何をしている?
ふっと思った簡潔な疑問が頭をよぎった。
情けない。
真央は独りでつぶやいた。独りで、身に染みる恥を、どうにもできない自分が、生まれて初めて、あほらしく感じた。
その後は順調に進んだ。
玄関で靴を片手に持ち込んで、マンションの階段で降りた。
ひたすら感情は殺した。皆が寝ている時間に、外を出回している人影も見えないのに、一秒でも速く人の目から逃げようとする動きで、足を運んだ。
「絶対泣かない……」
ポロポロ。
涙の一滴。
止め処なく流れる涙で瞳が赤い線で滲んだ。冷静に涙を呑んであきらめようとしても。心臓はそう簡単に平然と動かない。
悪いやつは
また、情けないと思った。
足を踏み外して階段からずるずると滑り落ちた。痛みが下から頭のてっぴんまで上ってくる。針で刺される苦痛が脳裏を打ち叩いた。
――痛い。痛いよ。私でも。
転んだせいで髪も乱され、着ていた服も汚れ、階段には冷えた冬風が渡っていく。
今夜は最悪な日だ。
真央は体を起こしてスマホ捜した。割れたけどまだ使えた。
『藤島真央』
〔モエちゃん〕
〔今からそっちに向かってもいい?〕
とメッセージを送っておいて速くマンションから出た。そして、すぐそこで待機していたタクシーに乗りこんで目的地を言った。
「川口駅までお願いします」
そう言いつつ、真央はタクシーの窓ガラスに頭を当てて冷え切った瞼を閉じた。
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