2.藤島真央はツーアウトを告げた

 予約した店はこの間女性マガジン、『恋人と一緒ならココ』に紹介された『人気店15選』に載っていたお店だった。


 穏やかな雰囲気。安くても美味しい料理。窓ガラスから見える街の景色など。何もかも平均値を上回った。なので予約は必須条件である。


 真央は道を迷わず店をすぐ見つけ出した。外には順番を待っている人々――だいたい恋人同士に見えた――が列に並んでいた。


 先に店を予約しなかったら、二人とも列に並んで2時間はひたすら外で待ったかもしれない。


 「すみません!今日は215番のお客さんまでお入りいただけます。今日も『空の宿』にお越しいただきありがとうございました。明日はより美味しいメニューで皆さまのお越しをお待ちしております」


 人で混んでいた店の外が店員さんの一言で静かになった。ぎりぎりセーフ。真央は急いで入ろうとした店員さんを呼び止めた。


 「すみません!」


 「は、はい!」


 いきなり大声を出したため店員さんが驚いて返事をした。お恥ずかしい。心の中でずっと焦っていた感情が裏目に出てしまった。


 真央は気を緩めて今度は声を低くした。


 「大声を出してすみません。先に予約した者なんですけど、まだ店は閉めていませんよね」


 「あ、はい。店はまだ開けています。ご予約のお名前を教えていただければお席までご案内いたします」


 まただ。

 

 真央と目が合った瞬間じっと顔を眺められた気がした。男子が真央を観る時はだいたい『あんな』顔をしている。


 何というか、間抜けな顔だ。


 相手が気づかなかったらいい話を、残念ながら真央を含めて、殆どの女性は皆男性の視線に意識してしまう。


 本能的に。官能的に。


 これは、仮にも数十億往年の距離にある星雲にも当てはまる、法則だ。もしかしたら、アイザック・ニュートンが見つけた万有引力ばんゆういんりょくより前から存在した引力に違いない。


 「『藤島真央』の名前で予約しました。友達が先に入ったはずです」


 真央は自然に振舞いながら、早く予約した名前を教えてあげた。

 

 「『藤島真央さまと他1名さま』ですね。こちらです」

 

 店員さんが先に歩き出して席を案内した。


 後ろを追って入った店の中は、雑誌で観た通り穏やかな雰囲気だった。


 暖かいオレンジ色の照明にインテリアが映える空間に、右側には一人で来た客でもゆっくり休めるカウンター席が、窓側には四人用のテーブルが並んであった。


 天井にも空中庭園を思い出せる植物がぶら下っていて、かなり店のインテリアに気を使ったような気がした。


 「あ!マちゃん、こっちこっち」

 

 客で溢れている席の中で誰かが手をあげて真央の名前を呼んだ。


 萌だった。


 今夜の萌はボリュームタートルネックケーブルニットを着て、下はジーパンを合わせて穿いていた。靴は前に一緒に買ったムートブーツだ。帽子は……、見当たらない。どこか適当に抜いてあるようだ。


 相変わらず外に出たらなお、萌のファッションのセンスが光るモエだ。服は基本的に不愉快ではなければいいと思う自分マオとは、大違いだ。


 服に関しては詳しく知らない真央はいつも買い物をするたびに、萌と同行した。今日着た服だってこの間萌がコーデしてくれたものだ。


 「もういいです。ありがとうございました」


 これだけ言い残して、真央は咄嗟に店員さんをおいて一歩先んじた。


 「こんばんは。お腹空いてない?」


 予約した席に辿り着いてすぐ直球を投げる真央。


 不意に機嫌を伺われた萌は後ろで唖然とした顔でこっちを見詰める店員さんと目が合って、慌てた。


 「え?ん……、うん。空いたよ。てか、何で約束を忘れたの?説明が必要です」


 「ごめん。疲れてすぐ寝たから約束を思い出せないほど余裕がなかった。代わりに今夜は全部奢るから、ね?」


 「当たり前でしょ!この店の料理は全部注文するからね。あの、注文しま~す」


 タイミングよくさっき目を合わせた店員さんを呼び寄せた。


 「ご注文は何になさいますか?」


 「あ、待って。注文する前にこれを渡したい」

 

 そろそろ店員さんがややきまり悪がっているように見える頃だった。


 真央は丁寧に注文を取ろうとする店員さんを待たせて、ポケットからピンク色の封筒を取り出した。


 中には緑色のチケットが入っていた。


 「はい、チケット。メインステージと近い席よ」


 「ぎゃあああああ!」

 

 ものすごい悲鳴が店の中が2秒くらい、静かになった。隣で立っていた店員さんも本当に驚いて注文書を床に落とした。


 真央は淡いブラウンの瞳で萌の目をただじっと観た。


 「……お客様、大丈夫で――」


 「嘘。ハイタッチ会参加券に個別サイン会スクラッチ券まで?普通にライブ・チケットしかくれないと思ったのに。ずるい。ずるいの~」


 いよいよ店員さんが呆れた顔をした。我慢できるのもここまでだろ。


 「お客様、店内ではお静かにお願します」


 「あっ、ごめんなさい……」

 

 落ち込んだ萌は親に叱られた子供みたいに恐る恐るメニュー表に手を伸ばした。さすがに罪悪感にさいなまれる。


 メニュー表には洋食の名前がイメージと共に載せられていた。


 「モエはこれとジンジャーエールにする」


 適当に選んだ萌は早く注文を終わらせた。


 「私は生ビールと同じく、お願いします。あ、生ビールは無しで」


 店員さんは二人が注文したメニューを書き、「少々お待ち下さい」だけ言い返して、帰った。


 「ふえ~」


 萌が両手を頬にあてて安堵のため息を吹いた。


 「バカ」


 にっこりと微笑んだ真央はジャケットを脱いで壁にかけた。


 「バカと言わないで。マちゃんにも責任あるよ」


 「私は何もしていないわ。大声を出した人はモエちゃんでしょ?」


 「いいえ、店員さんはその前からマちゃんの気勢にたじろいで、不機嫌だったんです。見てなかった?あの人、すっごく慌ててこっちを見つめたよ?」


 「ん、知らなかった。私より背が低い人の顔色なんて、見えないんですもの」

 

 「うわ、出た。さりげなく酷いこと言うマちゃん。気を付けた方がいいよ?いつ後ろから人に襲われてもおかしくないから」


 「ご心配なく。自分の体は自分で守ります」


 二人が笑いながら話をする間に飲み物が先に出た。ビールとジンジャーエールの組み合わせに乾杯して、一口飲む。


 会話は時間に流されて気が付くとメインメニューが出ても続いていた。

 

 「でね、ジンハがセヨンと付き合うって記事に出てびっくり!まさかのスキャンダルにファンの皆が大騒ぎだったのよ」


 「ん?『西方神起にしほうしんき』のジンハじゃないよね、それ」


 「違うよ!『ASTRONG』のジンハだよ。同じ名前の違う人!ちなみにセヨンは『少女学校ガールズ・スクール』のリーダーで、『ASTRONG』と同じ会社のグループ。そろそろ『西方神起』から離れて」


 「私はモエちゃんと違って『西方神起』しか知らないから仕方ないよ」


 最近話題になっている韓国アイドルのスキャンダルで萌は相当ショックを受けたらしく、話がここで停滞していた。


 別に話が進まない原因は萌だけじゃく、真央にもあった。


 「モエちゃんだって『西方神起』しか知らなかったんだろ?」


 「過去のモエはもう死んでいます。ここにいるモエは、新しく生まれた『モエ(改)』です!」

 

 知っているアイドルグループの範囲が広い萌に比べ、真央は未だに『西方神起』限定に縛られている。


 韓国人の名前を覚えにくい部分も、否定できない事実だった。


 「そもそも、真央はファンとしての熱情が足りないんだよ!もっと、積極的に好きなアイドルを応援しなきゃ――」


 「ちょっとストップ。お互い趣味活動には手を振らないって約束したでしょ?」


 「ん……、それはそうだけど。これはこれなりに楽しみがあるから、マちゃんにも教えたくて」


 「ツーアウトです。」

 

 「え!今のはワンアウトじゃない?」


 「一回、ワンアウトしたことある」


 「怖いなぁ、マちゃん。スリーアウトされたらもう会わない?」


 「やってみれば?この調子なら今夜スリーアウトされるよ」


 真央がかすかに笑みを浮かべてビールを飲み干した。


 「すみません、生一丁追加してもいいですか?」

 

 もう三回目のおかわりだ。テーブル上には飲み終わった後に泡のラインができたグラスでいっぱいだった。


 「ところでマちゃん」

 

 「ん?なぁに?」


 「その……」


 化粧もしてない素顔に咲いた紅潮の花びらは時間が経ってこそ美しく色を浮かぶ。


 舌が縺れている友達の顔見た萌は、簡単に口を利けなかった。


――今日に限って真央の調子が変なのは何故かな。


 心の中では出来る質問が現実では言い出しにくい理由は、たぶん。真央の顔に、その答えが書いてあるからだ。


 ブー。

 

 「軽井沢かるいざわくんについて相談したいことがある」


 ブー。


 「この間ね。偶然、軽井沢が他の女性と市内で歩いているとこを見たの」


 ブーブー。


 「でさ、話しかけようとしたけど。二人が手を繋いでいて……、それが、それが—―」


 ブー。


 「はぁ、モエちゃん」


 「ん⁉何?」


 「話は電話が終わってからにしよ」


 冷ややかに笑った真央は震えるスマホを持って、店の外に出かけた。


 着信中の名前に『茂』が表示されている。


 ——最悪。


 真央はしばらく着信中の画面が見守った。ラインのプロフィール写真は旅行先で撮った写真だった。


 初めて見る、写真だった。

 

 「もしもし、藤島真央です」


 酒の勢いを借りて電話に出た。声は沈んでいる。


 〈今何している?〉


 挨拶なしで本論を言い出す。


 「モエちゃんと会って酒飲んでる」


 〈酒飲んでちゃんと帰れるか?〉


 「遅くなったし、モエちゃん家で泊まるつもり」


 〈……そっか〉


 「はぁ。話はそれだけ?」

 

 店の窓ガラスに息を吹きかけて何かを書く。それを向こうの萌が見て読んだ。


 『さむい~』


 すると萌が逆に息を吹きかけて『がんばれ』と書いた。


 〈ん、それだけ。じゃー〉


 電話の切る音に真央は耳元からスマホを離した。あっという間に電話が終わった。


 「茂も今夜、ぎりぎりスリーアウトされるかもな」


 真央は東京の夜空を見上げた。真っ黒になって星は見つからない。月は雲に隠れて、明日は雪でも降りそうだ。


 「はぁ」

 

 何回目なのかも忘れたため息が夜空に上がり、消えた。


 「マちゃん~大丈夫?生ビール来たよ~」


 中で待っていた萌が店のドアから顔を出して親切に生ビールの上りを知らせてくれた。


 「分かった。入る!」


 忘れよ。一旦飲んでから考えようと真央は決めた。


 

 

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